富士山の湧き水が断崖から流れ落ちる白糸の滝

白糸の滝
昨日の小山町とは反対の富士山西麓、山梨県富士河口湖町の南にある富士宮市は、B級グルメの代表格「富士宮やきそば」で有名です。ご当地グルメで町おこしを目指すイベント「B-1グランプリ」の第1回が開催されたのは、2006年2月でした。富士宮やきそばは、ここでグランプリを獲得。一躍、その名が全国区になりました。

第1回B-1グランプリには、全国から10団体が参加。第2位は横手焼きそば(雪国の叙情あふれる小正月行事 - 横手のかまくら)、第3位は室蘭やきとり(鶏肉じゃない「やきとり」で室蘭の町を元気に)で、私はこの二つに加え、青森生姜味噌おでん(インパクト大の青森二大B級グルメ - 生姜味噌だれおでんと味噌カレー牛乳ラーメン)と久留米やきとり(B級グルメの聖地・久留米で焼き鳥のはしご)も食べており、かなりのB級グルメ好きと、今更ながら思うわけです。しかし、第1回に続き、第2回大会でもグランプリを獲得し、殿堂入りを果たしている富士宮やきそばは、いまだかつて食べたことがありません。

富士宮でやきそばによる町おこしが始まったのは2000年。私が富士宮に行ったのは、その前だったので、もちろん焼きそばはあったでしょうが、まだ「富士宮やきそば」と呼ばれる焼きそばはなかったのです。

そんなわけで、私の中の富士宮のイメージは、富士山と朝霧高原、そして白糸の滝です。


一昨日の記事(世界遺産構成資産となっている富士山麓の忍野八海)に書いた、富士五湖を東からぐるっと回ると、最も西にある本栖湖から5kmほどで、富士宮市に入ります。そこはもう朝霧高原で、牛たちが草をはむ緑豊かな高原の向こうには、遮るものなく富士山を望むことが出来ます。

朝霧高原から10kmほど南下すると、白糸の滝があります。本滝の一部は、朝霧高原の更に奥にある毛無山の中腹に湧き出た芝川の支流が流れ落ちていますが、それ以外は全て、崖から直接湧き水が流れ出ています。これらの湧き水は、富士山の雪解け水で、大小数百もの細い滝となって、垂直に落下しています。そのため、高さ20m、幅150mというスケールを誇りながら、優しい印象の滝となっています。


白糸の滝は、古くから知られていて、源頼朝が、1193(建久4)年に富士の裾野で数十万人の兵を集めて盛大な巻狩りを催した際、ここに寄っています。そして白糸の滝を前に、「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」という和歌を詠んだと伝わります。ちなみに、この巻狩りの最中、日本三大仇討ちの一つと言われる「曽我兄弟の仇討ち」が起こっています。

また、織田信長が力を振るっていた戦国時代末期、富士講の開祖とされる長谷川角行(1541 - 1646)が、救世済民の志を立て、富士山麓で荒行を重ねた際、富士の人穴での修行や白糸の滝での水行を行ったとされます。大行を成就した角行は、1572(元亀3)年、初めての富士登山を行い、その後、「富士は世界の鎮守」として、富士信仰の心を人々の間に広めていきました。


これにより、江戸を中心に各地で、富士山信仰のための講「富士講」が成立。やがて、「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講、江戸に旗本八万旗、江戸に講中八万人」とうたわれるほど、富士講は爆発的な興隆を見せます。江戸時代の富士講信者による絵図には、白糸の滝で修行する様子が描かれ、それには現存する石碑なども含まれているそうです。

白糸の滝は、そうした富士山信仰とも深いつながりを持っており、富士山が世界遺産に登録された際には、その構成資産の一つになりました。


もちろん、そんな歴史的、文化的背景とは別に、景観としての白糸の滝も一級品です。1936(昭和11)年に、国の名勝及び天然記念物に指定され、50(昭和25)年には、「観光百選滝の部」で1位に選ばれ、日本を代表する名瀑として不動の地位を得ました。その後も、90(平成2)年に、「日本の滝百選」にも選ばれるなど、その見事な眺めが、多くの人たちから愛され続けています。

なお、東京から白糸の滝までは、中央高速でも東名高速でもさほど変わりませんが、中央高速の方が、若干、距離も時間も短くなっています。

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