民謡のある風景 - 落日の中の憂愁の旅情(新潟県 佐渡おけさ)
佐渡のおけさか、おけさの佐渡か、佐渡へ渡る船上で、まず、おけさが流れます。 ♪ハァー 佐渡へ 佐渡へと草木もなびくョ 佐渡は居よいか 住みよいか 新潟から佐渡の両津へ、フェリーで2時間30分。ジェットフォイルでは約1時間。午後の便だと、海に沈む夕陽が、島をシルエットに描き出し、旅情もひとしお。 「嫁も姑も手を打ちならし、五十三里を輪に踊る」と唄われる佐渡島。周囲270km、我が国第一の大きさの島です。船が着く両津港は、日米通商条約締結の折、補助港に指定された港ですが、江戸期には両津よりも小木港の方が栄えました。佐渡の金の積み出しに使われ、西回り航路が開けてからは、日本海交易の中継港となり、出船千艘、入船千艘の賑わいを見せたといいます。奥羽、北陸から山陰沿いに南下し、下関から瀬戸内へ抜けて大坂、更には江戸へという、この海の道は、佐渡へ諸国の芸能をも運び込みました。 「おけさ」も、海の道を通って佐渡へ渡ったといいます。九州の「ハイヤ節」が、日本海を通って小木や新潟の出雲崎などへ上陸、小木で「ハンヤ」と呼ばれるようになり、それが相川鉱山にも広まったと言われています。歴史の古さを示すかのように、歌詞も、18世紀半ば頃の流行詞から、尾崎紅葉の詞まであるという多彩さです。 歌詞による起源説はいろいろ。桶屋の佐助が唄い出したからオケサだとか、猫が芸者に化けて唄ったのが始まりとか、織田信長の娘の侍女発祥説というのまであります。 伝説はさておき、この唄を実際に唄い広めたのは、1924(大正13)年に創立された立浪会で、特に、美声の村田文三の唄で知られるようになりました。これに、新潟出身の小唄勝太郎の「ハァー小唄」調が加わって急速に普及しました。 憂愁と明るさ・・・、夕陽の中で聞きたい唄です。