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神宮外苑の思い出

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神宮外苑の人気スポットのナンバー1は、銀杏並木らしく、多くの人が神宮外苑と聞いて思い浮かべるのは、黄葉したイチョウの並木道のようです。確かにきれいですが、神宮外苑と言えば、絵画館とか国立競技場、神宮球場だろうと思う、古い人間の私です。 明治神宮は、内苑と外苑から成り、内苑はもちろん日本一初詣客が多い神社、外苑は聖徳記念絵画館を中心に、スポーツと文化・芸術の施設群が建ち並ぶエリアです。明治神宮創建のきっかけは、明治天皇崩御の後、国民が明治天皇を記念する施設を求めたことからとされます。そのため、基本的に国民の寄付で賄うこととされ、内苑の方は国費により政府が造営しましたが、外苑は全国からの寄付金がベースになりました。また、鎮守の杜は、全国から献木された木々を植樹した人工の森になっています。 私が、最初に初詣に行ったのは、中学3年生の時でした。当時は、小金井市に住んでいたので、武蔵小金井駅から代々木駅まで、友人たちと出掛け、明治神宮の参拝が終わった後、地元の神社にも参拝して、解散という流れでした。また、大学に入ると、友人たちと年越しを過ごすようになり、その中に、明治神宮参拝も含まれていました。しかし、卒業後は、明治神宮は混むので、自然と避けるようになりました。 そのため、明治神宮の思い出というと、内苑より外苑の方が、大きなウエートを占めています。施設としては、バッティングセンターやアイススケート場も利用したことがありますが、やはりメインは神宮球場です。 神宮球場は、ヤクルトスワローズの本拠地となっていますが、学生野球の聖地でもあります。私が物心ついた時には、長嶋茂雄はプロ野球のスーパースターでしたが、学生時代は、杉浦忠、本屋敷錦吾と共に立教三羽烏と呼ばれ、六大学野球の花形として活躍しました。3人とも卒業後はプロに進み、長嶋がセリーグで、杉浦がパリーグでそれぞれ新人王を獲得しています。しかも、長嶋は打率3割5厘、29本塁打、92打点、37盗塁で本塁打と打点の2冠王(打率と盗塁は2位)、杉浦は27勝12敗、防御率2.05で、二人ともとんでもないルーキーでした。また、本屋敷も1年目から2番遊撃手として130試合にフル出場、打率2割6分、33盗塁、三塁打はリーグ1位の10本と走攻守そろった選手でした。 ちなみに2年目のジンクスと言われますが、杉浦はこの年38勝4敗、勝率9割5厘、防

ヨーロッパ軒敦賀本店で念願のパリ丼を食す

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それは、2007年12月26日。仕事で富山へ行った時のことです(いま思うと、よくもまあ、こんな暮れも押し迫った時期に出張なんてしてたものです)。 同行したライターの砂山さん、敦賀から来られたSNさんと共に、当時、富山に住んでいた友人NYさんの案内で、夜の富山を回り、冬の北陸のおいしい魚と日本酒を堪能させてもらいました。 ブリ、ズワイガニなど季節のものから、ノドグロ、黒作り(塩辛)、それに忘れちゃいけない、げんげと・・・。また、日本酒は、立山、勝駒、満寿泉、三笑楽と、それぞれ違う味わいの酒を、的確な順番で飲ませてもらい、2軒目では銀盤という、これまた富山のお酒を味わうことが出来ました。 しかし、それにもまして、砂山さんと私に衝撃をもたらしたのが、NYさんとSNさんが、そろって絶賛したヨーロッパ軒のパリ丼です。「これを食べずには死ねないですよ」とまで言われ、焦りまくる二人。でも、ヨーロッパ軒は福井にあり、その時は叶わぬ夢・・・Impossible Dream・・・と諦め、帰宅したのです。 で、なかなか福井へ行く機会もなく、時は過ぎていきました。そして、あの日から1年半ほど経った2009年の6月11日、東京・築地のいきつけの店で関あじのランチを食べている時、砂山さんから「来てしまいました」というメールが入りました。留守中に、事務所にでも訪ねてきたのかと思ったのですが、メールの本文はなく、添付写真オンリー。 写真には「敦賀ヨーロッパ軒」の暖簾が・・・。どうやら、抜け駆けでヨーロッパ軒を訪問した模様。むむっ! 先を越されたか! 無念な思いで、その報告を聞いた私。でも、各地のソースカツ丼を食べ、ソースカツ丼に対してはウンチクもある砂山さんは、ソースカツ丼発祥の店であるヨーロッパ軒で、ソースカツ丼を食べずパリ丼を食べるという選択が出来なかったらしいのです。つまり、パリ丼はまだ口にしていない! というような長い長い物語があって、私、とうとう2009年7月24日、敦賀に出張した際、SNさんの案内で、無事、「敦賀ヨーロッパ軒」の「本店」に行くことが出来ました。くれぐれも言っておきますが、「本店」です。店構えからして、違います。 写真を入れておきますが、このラブホチックな外観・・・目黒エンペラーではありませんよ。「味のお城」、パリ丼キャッスルです。で、たぶん砂山さんが行った店と同じ暖簾を

ソースカツ丼発祥の店ヨーロッパ軒総本店を訪問

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ある時、シカゴの知人から、イリノイ州にある財団が、福井市の施設にスヌーズレンを導入する支援をしたので、実際に使っているところを見て、リポートしてくれと依頼がありました。 スヌーズレンというのは、重い知的障害がある人たちのためにオランダで考え出された活動と理念です。そして、その実践のために作られたのがスヌーズレンルームで、室内は障害を持つ人が楽しめるよう、光、音、匂い、振動など、感覚に直接訴えるものを組み合わせたトータルリラクセーション空間となっています。 多くの人は、音楽で癒やされたり、スポーツや習い事を楽しんだりと、さまざまな形で余暇を過ごしますが、重度の知的障害を持つ人たちの中には、自分からそうした刺激を求めることが難しい人がいます。スヌーズレンルームは、それらの代わりとなる娯楽だと考えれば分かりやすいかもしれません。 取材で部屋を見学させて頂いた時、スヌーズレンを利用していたのは知的障害を持つ児童一人と、自閉症の少年二人でした。自閉症の二人は社会への適応や他人とのコミュニケーションが苦手で、普段は施設の職員さんたちも対処に困るほどだと聞きました。しかし、それぞれお気に入りのウォーターベッドとボールプールを使う二人を見ていると、本当に重度の自閉症なのかと疑いたくなるほどでした。 ただ、人によっては装置の得手不得手があるようです。例えば匂いに敏感な人は部屋に漂うアロマを嫌ったり、光に過剰反応する人は視覚を刺激するバブルユニットがだめだったり、スヌーズレンによって苦手分野が分かることもあります。その場合、苦手なものを自分や家族が理解して、それを回避するよう対処することも出来ます。また、部屋では職員も一緒に楽しむため、子どもたちとより一層良い関係が構築出来るようになったという話を聞きました。 欧米ではスヌーズレンが、コミュニティーセンターや保育施設にまで広がっています。日本ではまだ一般の認知度は低いものの、知的障害者施設を中心に導入が進んでおり、私がインスタグラムでフォローしている春日部市の障がい者生活介護事業所でも導入されています。今後、更に広がっていくといいですね。  ◆ ところで、福井を訪問したのは4月3日でした。ちょうど、日本さくら名所百選の一つになっている足羽川の桜が満開を迎えており、施設見学の合間を縫って桜も撮影してきました。また、夜はライトアップをして

「一陽来復」御守と早稲田の思い出

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今年も、東京・早稲田の穴八幡宮で、「一陽来復」の御守を授かってきました。 例年なら、初日となる冬至の日に並ぶのですが、今年はコロナ禍の中、日にちを2日ずらして参拝しました。Twitterを見ていると、12月21日の初日に並んだ方も結構いたようですが、それでも例年のような混み具合ではなく、特に北参道からは、すんなりと頒布の窓口に到達出来た模様です。 私が東京メトロ早稲田駅に着いたのは、23日の12時18分でした。昼時なら、多少空いているのではと思ったのですが、同じくTwitter情報では、午前中とさほど変わらない参拝客だったようです。 冬至の日に参拝すると、時間によっては、表参道ではなく、左側の西参道から入り、境内に入るまでに結構時間がかかるのですが、今年は表参道の階段からすんなり境内に入れました。境内には、例年同様、行列を整理するためのロープが張られ、そこをぐるぐる歩くことになりましたが、いつもと違って全く立ち止まることがありませんでした。それぞれの窓口も、2、3人が並んでいるだけで、大して待つことなく御守を授かることが出来ました。 ただ、本殿への参拝はかなりの列が出来ており、ソーシャルディスタンスも取れているとは言い難い感じだったので、少し離れたところからお詣りさせてもらいました。早稲田駅で帰りの地下鉄に乗ったのは12時48分。わずか30分の早稲田滞在でした。 「一陽来復」の御守には2種類あり、一つは毎年決まった方角に向けて壁にお祭りするもの、もう一つは財布などに入れる懐中御守です。我が家では毎年、壁にお祭りする紙製の御守と、家族分の懐中御守を授かっています。 「一陽来復」という言葉は、「冬が終わって春(新年)が来ること」「悪いことが続いた後で幸運に向かうこと」などの意味があり、「冬至」そのものを表す言葉としても使われます。早稲田の穴八幡宮で「一陽来復」の御守を授与するようになったのは、江戸期の元禄年間(1688〜1704年)だそうです。 ただ、穴八幡宮の隣にあり、「金銀融通の御札『一陽来福』創始のお寺」をうたう、お隣の放生寺では、「江戸天保年間より當山に伝わる秘法を厳修し一部の信徒に授与したのが始まりです」と説明しています。天保年間は1831〜1845年で、元禄年間からは140年ほど後にずれていますし、一陽来「復」ではなく一陽来「福」とするなど、いまひとつ分から