インパクト大の青森二大B級グルメ - 生姜味噌だれおでんと味噌カレー牛乳ラーメン
このブログは、あまり計画性がないため、書き終えた記事に引きずられる傾向があり、今はご当地グルメやB級グルメのネタが続いています。今回は青森編で、私を導いてくれた導師は、青森市から西へ40kmほどのつがる市から、わざわざ駆け付けてくれたOKさんでした。
私はその日、仙台から天童へはしご酒をした仲間の一人、横浜のKTさんと共に、朝から北海道・函館へ行っていました。函館は雪で、天候によっては羽田へ戻ることもあるという条件付きフライトでした。しかし、雪の中、飛行機は無事に到着。函館での仕事も滞りなく終わり、空路、羽田に戻られるKTさんと別れ、私は列車で青森へ移動しました。
私が乗ったスーパー白鳥26号は、その当時、函館13時54分発、14時38分に青函トンネルに入り、14時52分にトンネル最深部到着、そして15時03分にトンネルを出て、15時41分青森着となっていました。青函トンネル前後も含め、80km以上トンネルが続きます。この時はまだ在来線でしたが、既に新幹線が通れる規格になっていたようです。
そして、青森でも夕方から一本仕事を片付け、OKさんの案内で、市内へ繰り出しました。リクエストは、マイブームのB級グルメです。
で、OKさんが連れて行ってくれたのが、青森おでんの「なら屋」さん。青森おでんは、すりおろした生姜と味噌を混ぜ合わせたたれをのせたおでんで、見た目、かなりのインパクトがありました。ちょっと見、味付けがかなり濃いのではと思ったのですが、だしはよく染みこんでいましたが、くどくはなく、おいしいおでんでした。
戦後、青森駅前周辺に出来た闇市の中のある屋台が、冬の厳しい寒さの中、青函連絡船を待つ乗客に少しでも暖まってもらおうと、味噌にすりおろした生姜を入れたのが始まりと言われています。そして、そのおでんが客にとても喜ばれ、市内各地に広まったそうです。
ただ、青森おでん=生姜味噌だれおでん、というだけの単純な図式ではありません。「ディープな街にある沖縄おでんの名店・悦ちゃんと東大」で記事にした沖縄おでんも、おでんだねに特徴がありましたが、青森おでんも同じです。
まず、「ツブ貝」が入っています。陸奥湾産の貝で、生姜味噌がツブ貝独特の臭みを消してくれ、なかなかどうしておいしいのです。更に「ネマガリタケ」。なぜ、おでんにネマガリタケを入れるようになったのかは不明らしいですが、「なら屋」さんでは、大将自らが収穫しているそうです。
ところで、OKさんが、おでんと一緒にオーダーしてくれたのが、貝焼き。ホタテの貝殻を使って、水に焼き干しを入れて火にかけ、その後に味噌をといて、最後に卵を投入、半熟で火を止め完成、だそうです。ちなみに、OKさんのお宅では、焼き干しではなく、かつおだしだそうです。具としてはホタテや魚の切り身、豆腐、キノコなどを入れるようです。
この貝焼きは、江戸時代に陸奥湾の漁師がホタテの貝殻を鍋代わりにして食べていた漁師飯が元になっています。それが、一般家庭にも広がり、かつおや焼き干しのだし汁、ホタテや地元の旬の食材、味噌や溶き卵を入れて煮込んで作られるようになった郷土料理とのこと。津軽出身の太宰治も、食べていたものだそうで、『津軽』という小説には、貝焼きのことを説明するくだりがあります。
「津軽に於いては、牛鍋、鳥鍋の事をそれぞれ、牛のカヤキ、鳥のカヤキといふ工合に呼ぶのである。貝焼(かひやき)の訛りであらうと思はれる。いまはさうでもないやうだけれど、私の幼少の頃には、津軽に於いては、肉を煮るのに、帆立貝の大きい貝殻を用ゐてゐた。貝殻から幾分ダシが出ると盲信してゐるところも無いわけではないやうであるが、とにかく、これは先住民族アイヌの遺風ではなからうかと思はれる。私たちは皆、このカヤキを食べて育つたのである。卵味噌のカヤキといふのは、その貝の鍋を使ひ、味噌に鰹節をけづつて入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になつて食がすすまなくなつた時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。」
ちなみに私は、この後、更に「限定四人前 母さんのだし巻玉子焼」を注文。なんせ「限定」の文字に弱い人なので・・・。
そして、この店を出た後、OKさんが用意していた最後のシメが、「味噌カレー牛乳ラーメン」でした。正直に告白すると、最初、OKさんに打診された時は、完全に及び腰でした。しかし、せっかくなので、意を決してチャレンジ(ホントはベトナムで野ネズミを食べた時より、腰が引けていました)。
その店は、「味の札幌 大西」。メニューから想像するに、最初は普通に味噌、塩、しょうゆを出していたのでしょうが、ちょっと工夫を凝らしてカレーを入れたところ、客の要望で味噌カレーが誕生。更に牛乳ラーメンを取り入れたことで、味噌牛乳→味噌カレー牛乳(バター入)と、エスカレートしたものと考えました。店に貼ってあったポスターには、「高校生が産み出した奇跡」というキャッチコピーが出ていました。要するに、面白半分ちゃんぽんにしていたのが、思いの外おいしく、定番メニューに入ったのではと思ったものです。
しかし、この「味噌カレー牛乳ラーメン」、どんどん人気が出て、「味の札幌 大西」も今では行列が出来る人気店になっているらしいです。で、実はちゃんと歴史も調べられているのです。
1968(昭和43)年、札幌から青森に移ってきた佐藤清さんという方が、「味の札幌」というラーメン店を開きました。その後、松竹会館に出した支店で、ラーメンにケチャップやマヨネーズ、コーラなどさまざまなものを入れて食べる遊びが中高生の間で流行。更に「味噌ラーメンにカレーとミルクを入れて食べるとうまい」という噂がクチコミで広がり、78(昭和53)年に「味噌カレー牛乳ラーメン」が正式なメニューに加わりました。そして、開発者の佐藤さんが亡くなった後も、弟子や孫弟子たちがメニューを受け継ぎ、それぞれの店で「味噌カレー牛乳ラーメン」を提供しているんだそうです。
「高校生が産み出した奇跡」というのは、そういうことだったんですね。ただ、「面白半分ちゃんぽんにしていたのが、思いの外おいしく、定番メニューに入ったのでは」という推理は、当たっていたようです。肝心の味ですが、出てきたとたんにカレーのニオイがぷ〜んときました。だろうな、カレーの味が強いよな、と思い、スープから飲んでみると、やっぱり想像通り。しかし、麺を食べてみると、牛乳のかおりが漂い、青森おでん同様、見た目よりマイルドな味で、思ったより全然イケました。
私、この店でもう一つ、気になったものがあります。梅干しです。無料はありがたいですが、なんでラーメン屋で「梅干しをどうぞご自由にお食べください」なのかが謎でした。
ところで、青森での取材も「食」に関するもので、雑誌に連載していた「おすすめのippin」という企画でした。青森市のナビゲーターは、結婚式場、ホテル、レストランなどを経営する「アラスカ」の専務さんでした。その方のお勧めは「切り込み」。
「切り込み」は、生のニシンやサケを細切りにし、塩と米麹、それに唐辛子を加えて、じっくり熟成させたものです。製法としては、塩辛に似ています。青森、秋田の伝統食で、北海道にも、両県からの入植者によってもたらされ定着しています。
こうした発酵食品としては、味噌、醤油、酒、納豆など、非常に多くの種類があります。水産系だけでも、ふなずし、いずし、なれずし、くさや、へしこなどがあり、魚醤(しょっつる、いしる、いかなご醤油など)もこの中に入ります。実は切り込みは、魚醤の一つ、しょっつるがルーツとも言われています。
しょっつるは、刻んだハタハタを塩と米麹で漬け、ひと夏からふた夏、じっくり熟成させ、魚のたんぱく質が分解されてドロドロになるまで発酵させます。これを布で濾したものが魚醤となるわけですが、切り込みはその途中、ほど良い味になった頃を見計らって食べられてきました。
「もともとは、ニシンがたくさん捕れていた時期に、保存食として始まったものです。当時は秋に漬け、冬に非常食として食べていたようです。まあ、見た目は正直あまり良くありませんが、あつあつのご飯に乗っけて食べると、これがホントにうまいんですよ。それに、意外としゃきしゃき感もあるんです。我が家では酒のつまみとしても重宝しています。常備しているのは 600g入りのものですが、それだと夫婦で毎日晩酌しても、1週間は保ちます」とナビゲーター。
中でもナビゲーターのお勧めは、内海水産の「にしんのきり込み」だそうです。他社のものに比べるとマイルドで、切り込みで国内ナンバー1のシェアを誇っているのも、その辺に秘訣があるのでは、と話していました。
コメント
コメントを投稿