民謡のある風景 - 人の興亡しのばせる哀愁(青森県 十三の砂山)
青森県五所川原市十三(じゅうさん)。太宰治が「人に捨てられた孤独の水たまり」と言った十三湖をまたいで、十三大橋がかかります。橋は、6年の歳月を費やして1979(昭和54)年に完成したもので、全長234m。コンクリートの中にピアノ線を組み込んだ特殊な工法で造られていて、その橋のたもとに「十三(とさ)の砂山碑」が建っています。 ♪十三の砂山ナーヤーエ 米ならよかろナ 西の弁財衆にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ 弁財衆にゃナーヤーエ 弁財衆にゃー 西のナー 西の弁財衆にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ 十三(とさ)は、鎌倉時代に全国七湊の一つに数えられていました。当時、この地は津軽・安東氏が支配し、十三湊は安東水軍の根拠地として栄え、諸国の船が出入りしていたといいます。 南北朝時代の1341年、この湊を大津波が襲い、にぎわいを一気に奪い去りましたが、その後、日本海・西回り航路が開かれると、上方の綿布、塩、陶磁器を積んだ北前船が入り、十三からは津軽の米と木材が積み出されていきました。 北前船は、上方の特産品をもたらしただけではなく、弁財衆と呼ばれた船乗りたちによって、舟唄もまた運ばれてきました。『十三の砂山』は、そのようにして伝えられた舟唄『酒田節』の名残だといいます。地元では、舟唄が盆踊り唄に変わり、上の音頭と下の音頭の掛け合いの形で唄われます。 現在、広く唄われている曲調は、地元の民謡研究家で唄い手でもあった成田雲竹が編曲したもので、三味線伴奏譜は高橋竹山が工夫し、1951(昭和26)年、全国郷土芸能大会で披露されて評判となりました。 地元の唄は、この雲竹調とはかなり異なり、哀愁の色あいが濃くなっています。十三湖畔で聞くと、なぜか無性に人恋しくなるのも、土地の興亡の歴史が背景にあるからなのかもしれません。