民謡のある風景 - 唄が知られて、川がないのに橋がある(高知県 よさこい節)
土佐の高知の播磨屋橋くらい有名な橋もないでしょう。ご存じ『よさこい節』で、全国的にその名を知られています。 ♪土佐の高知の播磨屋橋で 坊さん かんざし買うを見た ハァ ヨサコイ ヨサコイ 土佐の代表的民謡であることは言うまでもありませんが、ペギー葉山の『南国土佐を後にして』の中に歌い込まれて、更に有名になりました。 播磨屋橋は、1950(昭和25)年に鉄筋コンクリート製になり、その下を流れていた堀川も、埋め立てられて今はありません。元々の橋は、川の南と北に店を構えていた豪商・播磨屋と櫃屋が、互いの往来のために掛けたもので、文政年間(1818 - 29)には、橋の両側に露店風の小間物屋が並んだといいます。「坊さん」がかんざしを買ったのは、その小間物屋ででもあったのでしょうか。 『よさこい節』の起源については諸説があります。慶長年間(1596 - 1614)、高知城の築城の際に唄われた「木遣り」が元唄という説。正徳(1711 - 15)の頃、江戸ではやった『江島節』が土佐に入ったという説。あるいは、各地にある祭礼の『みこしかつぎ唄』が変化したのだという説など。また、安政年間(1854 - 59)には、歌詞にある「坊さん」の恋愛事件が持ち上がり、それが唄い込まれて全国的に唄われたともいいます。 歌詞も地元では「おかしなことやな、播磨屋橋で・・・」 と唄っていましたが、明治維新で江戸へ出てきた土佐の人々が、「土佐の高知の・・・」と替えて唄い出したのだといいます。 明治に入ると、この唄に振りが付きました。高知の料亭・得月楼が踊りにし、芸妓衆に踊らせたのが始まりといいます。日露戦争の頃には、「よさこい」が「ロシヤ来い」と替えて唄われ、播磨屋橋は更に有名になりました。川がないのに橋だけはある、というところが、この唄の知名度を物語っていると言えるでしょう。