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レトロエリアやベイエリア、いろいろな顔を持つ福岡

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福岡市には、仕事で何度も行っていますが、通常は1泊ないし2泊なので、移動に便利な博多駅周辺のシティホテルかビジネスホテルに泊まっていました。しかし、福岡で開催された国際会議を取材する機会が2度あり、その時は滞在期間が長かったので、どちらもコンドミニアムタイプのホテルにしました。 一つ目は、博多港に近いホテル博多プレイスです。大相撲九州場所が行われる福岡国際センターの真向かいにあり、同センターと福岡国際会議場、マリンメッセ福岡、福岡サンパレスからなる福岡コンベンションセンターが近く、会議の取材には最適でした。元アパマンショップ・レジデンスだったことから、部屋もある程度は広く、ミニキッチンや洗濯機、電子レンジが付いていました。 博多プレイスは、その名の通り、福岡市の博多区にあります。博多区には、博多港だけではなく、博多駅と福岡空港もあり、福岡はもとより九州全体の玄関口ともなっています。で、この博多区が、私が思っていたよりだいぶ広くて、北は国際会議場などが近い博多港ですが、南は福岡市の端で大野城市と春日市に接し、東には福岡空港があり、西は那珂川を挟んで天神エリアと接しています。なお、博多と天神を隔てる那珂川の中州には、新宿・歌舞伎町、札幌・すすきのと並んで、日本三大歓楽街の一つとされる中洲があります。中洲や天神は、屋台でも有名ですが、地元の人に言わせると、もっとおいしくて安い店がいっぱいあるので、屋台に行くことはないそうです。 博多区は、ビジネス街の趣が強く、商業地区としては、九州一の繁華街と言われる天神地区に一歩譲る形となっています。しかし、中央区天神という狭いエリアの天神に比べ、博多区は範囲が広い分、実はいろいろな顔を持っています。 例えば、博多駅から南へ1kmほど行った美野島には、昭和の面影を残す商店街があります。美野島は那珂川沿いにあり、川を渡ると中央区の清川になります。この清川地区は、明治後期に柳町の遊郭が移転してきて、九州では長崎・丸山、熊本・二本木と並ぶ大きな歓楽街としてにぎわいました。それによって、隣接する美野島地区も発展。更に昭和初めに、美野島南部が博多織や足袋、ゴムなどの工場地帯となり、そこで働く人やその家族など、多くの人が集まり、住宅や商店街が形成されました。 しかし、1958(昭和33)年の売春禁止法施行により特殊飲食街が廃止されたことで、歓楽街で...

ディープな街にある沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」

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少し前まで、寒くなると「おでんの季節になりましたねえ」なんて言っていたのに、今や1年中おでんを売っているコンビニもあります。日本人って、いつからこんなにおでん好きになったんでしょう。しかも、南国・沖縄でも、おでんはしっかりと根付いています。 以前のブログで、うるま取材の際、 ホテル選択の決め手が、近くにおでん屋があったから、と書きました。ちょっとだけ再掲してみます。 「ホテルは、旧具志川市にあるホテルハーバーで、なぜここを選んだかと言うと、近くに『いこい』というおでん屋さんがあったからです。 知らない人は、『わざわざ沖縄でおでん?』と思うかもしれませんが、実は沖縄の人は、おでんが大好きらしいのです。私はこれまで、那覇市の有名店『悦ちゃん』と『東大』に行っていますが、どちらもとてもおいしかったので、カメラマンの田中さんにもぜひ沖縄おでんを味わってもらいたいと思ったのです。 沖縄おでんには、テビチ(豚足の煮込み)やウィンナー、夏ならウンチェー(空心菜)、冬なら小松菜、レタスなど季節ごとの青物が入ります。もちろん大根、玉子、昆布など、定番のおでんだねもありますが、やはり郷に入っては何とやら、いこいでは、迷わずテビチと野菜とソーセージを注文しました」(「 沖縄の定番グルメ『いなりチキン』と『沖縄おでん』 」から) そうなんです。沖縄で飲む時、私は結構、おでん屋さんを選択しがちなのです。沖縄おでんは、泡盛にも合うんですよねえ。 沖縄おでんの詳しいルーツは知らないんですが、一つの説として言われている「飲み屋発祥説」には、結構納得してしまう私です。実際、沖縄の飲み屋街には必ず、おでん屋さんがあるみたいで、うるま市の「いこい」の周囲にも居酒屋さんが何軒かありましたし、有名店の「悦ちゃん」は、戦後沖縄の繁華街として最も栄えた「桜坂社交街」の入り口に、また「東大」は、ディープな飲み屋街「栄町市場」の場外にありました。 そんなわけで、今回は、沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」、そしてその周辺の記事になります。 「おでん 悦ちゃん」は、私にとっては、沖縄おでんに興味を持つきっかけとなった店です。というか、最初は、おでんではなく、「悦ちゃん」そのものに興味を持ったのですが・・・。 というのも「悦ちゃん」、営業中でもドアに鍵を掛けているというのです。で、客は外からトントンとノックをして入れ...

長田のB級グルメ群。そばめし、ぼったこ、みかん水

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神戸市の花・あじさい 旭川で塩ホルモン(「 塩ホルモン発祥の地、道北・旭川グルメ旅 」)を食べてから1年ほど経ったある日、その時の面子が、神戸で顔をそろえました。カメラマンの田中さんとライターの砂山さんは富山、私は下関で、それぞれ取材を終え、神戸での取材のため合流。これに、神戸が地元のDHさんと、その先輩・のりちゃんさんを加え、北野でスタバ・ミーティングを行いました。 北野のスターバックスは、1907(明治40)年に建てられた木造2階建ての建物で、国の登録有形文化財に指定されています。更に店内は、アンティーク調の家具で統一され、なかなかどうして優雅なカフェタイムを過ごせました。 ところで、この時の神戸取材に当たって、田中さん、砂山さんと私は、綿密に打ち合わせを重ねました。ただし、綿密だったのは、ディープな神戸探訪の件でしたが・・・。 そして取材後、我々が速攻向かったのは、長田区の駒ケ林でした。目的は、西神戸センター街にある、お好み焼き「ゆき」のそばめし&ぼったこ。 地下鉄駒ケ林駅上は、DHさんとの共通の友人・THさんの会社と聞き、電話を入れてみました。しかし、残念ながらその日は定休日ということで、お会いすることは出来ませんでした。で、歩いているうち、シャッターを下ろしている店が結構多いことに気づきました。居酒屋も定休日になっています。この辺りで私、非常にいや〜な予感が・・・。 しかも、そのいや〜な予感は的中してしまいます。「ゆき」も定休日になっていました。そうなると急にお腹が空き始め、周囲を探索。そのうち、とってもディープな一角を見つけました。 「丸五市場」です。中に入ると、何となくアジアン・テイストな空気感。店先の鉄板で、牛すじやホルモンを焼いている店。「どんぶり かれーあじ」「どんぶり しょうゆあじ」とメニューを書いた看板を掲げる店(いったい何丼だあ!)。 すると、更に発見。「丸五丼」。ウナギの蒲焼きにマグロのヅケ、焼き鳥、カルビになぜか漬け物までのっかって・・・。丸五市場が誇る5品を集めた丼だそうな。 むむっ! これは逃せないのではないか! 我々3人、等しく色めき立ったものの、よくよく見ると、毎月5の付く日限定と書いてあります。今日は何日だっけ? とお互いに聞くものの、瞬時に日にちが思い浮かばないほどの焦りよう・・・。 が、少し冷静になったところで、ここはひと...

飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

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高山は、戦国武将・金森長近が、京都を模して形成した城下町です。長近は、織田信長に仕え、「天空の城」と呼ばれる越前大野城を築いたことでも知られます。大野も、高山と同じような碁盤目状の城下町で、1576(天正4)年に造られました。その10年後、豊臣秀吉から飛騨国を与えられた長近は、1588(天正16)年に高山城を築城し、城下町も整備しました。 現在では、大野市が「北陸の小京都」、一方の高山市は「飛騨の小京都」と呼ばれています。 私が担当していた写真コンテストの常連に、高山の岩佐清さんという方がいらっしゃいました。岩佐さんは、産婦人科医で、上一之町、上ニ之町と共に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている上三之町に医院を構えていました。築180年余りになる建物は、伝統的な町屋の造りで、病院部分をリフォームした以外は当時のままでした。 ちなみに雑誌の写真コンテストは、1989年から2007年まで続きました。岩佐さんは、当初から応募してくださり、最終回の時は80歳を超えておられましたが、きっちり優秀作を獲得。2004年には、1年間の最優秀作の中から選ばれる年度賞にも輝きました。以前のブログ(「 人の営みにより作られた美しい風景 - 山古志 」)で、この写真コンテストに参加された方を案内人に、ブログのタイトルに使っている「旅先案内」という企画を立てた、と書きましたが、岩佐さんも、その案内人のお一人で、お好みの撮影スポットを中心に、高山の街を紹介してくだいました。 さて、その高山に、前のブログ(「 復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち 」)で触れた、岐阜県・各務原の友人OTさんが、移住をしました。しかも、2005年に高山市に編入するまでは村だった、高根という地区に住むことになりました。この高根、北を乗鞍岳、南を御嶽山に挟まれた文字通り「高根(=高嶺)」の村で、標高1000m、冬はめっちゃ寒くなります。 そこで、移住した最初の冬に、安否確認の電話をしてみました。SNSなどへの露出がめっきり減っていたため、半ば冗談で冬眠してるのかと聞いたら、一時大雪で避難勧告が出て、集落ごと避難をしたとのこと。びっくりしましたが、そんな所なら一度行ってみたいと(笑)、2月に家庭訪問をすることにしました。 そのやりとりの中で、近くにOTさんの友人が経営している塩沢山荘という宿があり、ジ...

復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち

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前のブログで、東日本大震災後、沿岸部へ入る拠点の一つにしていた一関について書きました(「 地元の方お勧めの居酒屋こまつと喜の川 」)。で、当初は一関でレンタカーを借り、陸前高田や南三陸へ入っていたのですが、そのうち、気仙沼の駅前にある観光案内所が、駅レンタカーの代行をしてくれるようになり、気仙沼で車を借りることも多くなりました。 気仙沼でレンタカーを借りるのは、主に陸前高田や大船渡へ行く場合で、取材が気仙沼市内だけの時は、観光案内所のレンタサイクルで回ることもありました。ただ、どちらの足を使うにしても、気仙沼で必ず寄っていたのが、復興屋台村気仙沼横丁でした。 気仙沼横丁は、プレハブ造りの仮設商店街で、震災の年の11月12日にプレオープン。震災前は駐車場だった土地を市が借り上げ、中小企業基盤整備機構がプレハブ店舗を建設、ライオンズクラブが厨房設備などを提供しました。 気仙沼全体では約7割、屋台村が設置された南町はほぼ100%の飲食店が津波で流されました。オープン時に入居したのは、ご当地グルメ「気仙沼ホルモン」や寿司、マグロ料理、ラーメン、うどんなどの飲食店の他、鮮魚店や八百屋などの22店舗。このプロジェクトは、これら店主の復興支援だけではなく、市民や漁業関係者、観光客、ボランティアなどが集まる拠点を作って、港町ににぎわいを取り戻すことを目指していました。 気仙沼横丁開村に当たり、中心的役割を果たしたのは、現在、宮城県富谷市の市長を務める若生裕俊さんでした。若生さんは、仲間と共に度々被災地に入り、炊き出しなどの支援活動を展開していました。1カ月ほどした頃、被災された方はもとより、ボランティアや復興関係者が食事をする所がないことに気付き、店を失った店主たちが、身一つで仕事を再開する場を提供出来ないか考え始めました。 その答えが、屋台村でした。若生さんは、スローフードなど食をテーマにした活動にかかわっており、青森県八戸市の屋台村「みろく横丁」が、街の活性化に貢献したことを知っていました。屋台形式なら同一規格で店舗を用意出来、コストが安く上がります。しかも「みろく横丁」の中居雅博代表とは、スローフードの関係で面識があり、協力を求めやすいなど、条件がそろっていました。 早速、中居さんに相談したところ、屋台村のノウハウを全て提供するとの力強い言葉を得ました。そして中居さんは実際に...