投稿

ラベル(秋田県)が付いた投稿を表示しています

白神のブナ林を手軽に探勝出来る岳岱の森

イメージ
白神山地は、青森・秋田両県にまたがる広大な山地帯です。面積は約6万5000haに及びます。標高1000m級の山々が峰を連ね、それらの山を、世界でも例を見ないほどの規模で、ブナの原生林が覆っています。 白神山地が全国的に知られるようになったのは、青秋林道建設工事反対運動によってでした。建設工事が始まった1982年、衛星写真によって解析された白神山地の植生分布が、人々を驚かせました。そこには、世界最大級のブナの原生林が、分断されることなく広がっていたのです。これらの貴重な原生的自然環境が認められ、1993年12月、白神山地の中核部1万6971haが、世界自然遺産に登録されました。 白神岳や駒ケ岳を除き、白神山地には基本的に登山道はありません。大半は、けもの道やマタギが使った道です。その中で、一般の人が、白神のブナ林を探勝しようと思ったら、白神岳への登山道となる青森県岩崎村の十二湖周辺と、秋田県藤里町の駒ケ岳山麓・岳岱がいいでしょう。今回は、その岳岱の紹介です。 白神山地には、人為の影響をほとんど受けていない源流域が集中し、水量豊かで清らかな沢が、森の中を縦横に流れています。これら多くの沢水を合わせた黒石沢と、青森・秋田県境の釣瓶落(つるべおとし)峠から発する白石沢とが合流して藤琴川となり、藤里町を蛇行しながら流れ、二ツ井町で米代川に注ぎます。岳岱へ入るには、これを逆にたどればいいわけです。 藤里町からは、藤琴川に沿って県道西目屋・二ツ井線を北上。太良峡入口の標石を過ぎると、黒石沢と白石沢の分岐点があり、左の黒石林道に入ります。5分ほど走ると、左側にサワグルミが群生しているクルミ台キャンプ場が見えてきます。季節がいいと、大きなサワグルミの木陰で、お弁当を広げる人たちでにぎわいます。 キャンプ場のすぐ脇には、黒石沢が流れています。ここら辺りの川床や岩は独特の色をしており、水も、それらの色をとらえて美しく流れています。ここから更に10分ほど走ると、岳岱に着きます。 岳岱は、駒ケ岳北東山麓、標高約620mにあるブナの天然林で、自然観察教育林に指定されています。コケむした巨岩と12haのブナの原生林が調和した美しい森で、1周約30分の観察コースが設けられています。入口は杉の植林ですが、50mほど歩くとブナ林が始まります。 岳岱のブナ林に足を踏み入れて、まず驚くのがブナの根元でしょ

城のある風景 - 先人の悩み秘めた雪の里

イメージ
東北は、かつて「白河以北一山百文」と言われ、ひとしなみに蔑視され、差別されました。明治維新の折の戊辰戦争が遠因だと言われています。 戊辰戦争で、東北は揺れました。薩長の下級武士の思い上がりに対する反発もあって、列藩同盟まで結成して、北上する維新軍に抵抗しました。動き始めた時代に関する情報も、思うように手に入りませんでした。 もともと同盟に対して消極的であった秋田藩佐竹氏は、家老の戸村十太夫を列藩同盟に送り、調印させました。ところが、秋田は、尊皇思想家・平田篤胤を生んだ土地で、その考えが、青年武士の中に広がっていました。維新軍は、そこを狙ってけしかけました。1868(慶応4)年7月、一種のクーデターが起こり、秋田藩は列藩同盟を離脱してしまいます。同盟成立から2カ月後のことでした。 脱盟に怒った同盟側は、荘内藩兵を核とした軍勢をくり出して秋田藩を攻め、8月、同盟軍が横手城に殺到しました。 横手城は、1672(寛文12)年から、戸村氏が世襲で守りに当たっていたもので、秋田藩の支城でした。同盟調印の当事者であった戸村十太夫にしてみれば、誠につらい立場でしたが、本藩の意志決定には従うしかありません。 横手城の藩兵は、城下の横手川に架かる橋を断って防御を固めましたが、同盟軍は大木を橋代わりにして、大手口から攻め入りました。加えて、場内から火が出たものですから、藩兵も思うに任せず、城から脱出するしかありませんでした。既に7月、江戸は東京と改められ、明治はすぐそこまで来ていました。 横手城本丸跡にある天守閣は、模擬城で、郷土資料館になっており、中に戊辰戦争を描いた絵画が掲げられています。東北にとって、戊辰戦争とは何だったのでしょう。朝廷か、幕府か、選択に迷った先人たちの悩みの深さが秘められているようです。

雪国の叙情あふれる小正月行事 - 横手のかまくら

イメージ
横手市は秋田県南部、東北新幹線の岩手県北上駅から北上線で横に約1時間10分、山形新幹線の山形県新庄駅から奥羽線で約1時間30分の場所にあります。ただ、東京方面から行く場合は、秋田新幹線で大曲まで行き、そこで奥羽本線に乗り換えることも出来ます。 例えば、10時台で検索すると、東北新幹線は東京10:36→北上13:32/13:40→14:51横手(4時間15分13,960円)、山形新幹線は東京10:00→新庄13:31/14:17→横手15:45(5時間45分13,400円)、秋田新幹線は東京10:20→大曲13:35/13:42→横手14:01(3時間41分17,110円)ということになります。距離では北上経由が548.6km、新庄経由が501.1km、大曲経由は629.6kmと、新庄経由が一番近いのですが、最寄り駅まで新幹線で行けるかどうかや、乗り換え時間などにより、所用時間はだいぶ違ってしまいます。 で、私の場合、往路は秋田新幹線で大曲経由、復路は西和賀に立ち寄るために北上経由を選択しました。 さて横手に行ったのは、2月15、16日の雪まつりのためです。横手の雪まつりでは、雪を丸く固めて中を繰り抜いた「かまくら」が、市内のあちこちに出現します。会場は横手城のある横手公園など4カ所があり、全部で100を超えるかまくらが作られるそうです。中でも黒塀の武家屋敷通りがある羽黒町と、昔ながらの雰囲気を感じさせる二葉町のかまくらが人気です。また市内の小学校の校庭では、無数のミニかまくらにろうそくが灯り、幻想的な光でいっぱいになります。 かまくらは小正月にしめ縄などを焼く左義長と、井戸の側の雪穴に水神を祭る風習が結びついたものと言われています。戦後は「ぼんでん」の神事と共に雪まつりとして開かれ、多くの観光客が訪れるようになりました。 高さ3m近いかまくらは、市観光協会認定の「かまくら職人」が作ります。夕闇と共に、それらのかまくらやミニかまくらに灯がともると、まるで童話の世界のような光景が展開します。そして、かまくらの中からは子どもたちが「はいってたんせ(入ってください)」「あがってたんせ(召し上がってください)」と声を掛け、甘酒や餅を振る舞ってくれます。 私の目的は、こうした伝統行事の風景を撮影することでしたが、予想以上に観光客が多い上、明るい場所は情緒がなく、情緒のある所は暗