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民謡のある風景 - 噴煙の桜島を唄い、にぎにぎしく変身(鹿児島県 鹿児島小原良節)

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鹿児島には「議を言うな」という言葉があります。理屈を言うな、不言実行、ということらしいですが、錦江湾を挟んで噴煙を吐く桜島は、優柔不断を嫌う、そんな土地柄にふさわしい山です。桜島は、名は島ですが、今は大隅半島と陸続きになっています。1914(大正3)年1月の大爆発で、幅400mの瀬戸海峡が埋まってしまいました。山項は三つの岳に分かれ、南岳が今も断続的に噴煙を上げ、灰を降らせています。 この桜島を唄い込んだ歌詞で有名なのが、『鹿児島小原良節』。  ♪花は霧島 煙草は国分   燃えて上がるは オハラハー 桜島 霧島の花というのはミヤマキリシマのことで、6月が見事。国分の煙草は、慶長年間に栽培が始まったと言われ、昔は出水、指宿と並んで薩摩煙草として有名でした。『鹿児島小原良節』が有名になったのは、昭和になってからですが、元唄は、旧薩摩領だった日向の安久(宮崎県都城市)周辺で唄われていた『安久(やっさ)節』だと言われています。それが、鹿児島郊外の伊敷村原良(現・鹿児島市原良)に入って労作唄となり、『原良節』と呼ばれました。 大正の頃、土地の芸妓一八がこの唄を好んで唄い、その節回しが『一八節』とも呼ばれたりしました。その芸統を引いたのが、やはり地元の芸妓で、名を喜代三といった。1930(昭和5)年、鹿児島「青柳」の2階で、作曲家・中山晋平が、この喜代三の唄う『一八節』と出会います。酒豪で純情、しかも華やかだった喜代三の唄う『一八節』は、まことに情熱的だったそうです。後に彼女は中山夫人となります。 中山の招きで上京した彼女は、新橋喜代三の名でレコード・デビュー、34(昭和9)年1月、賑やかに編曲された『鹿児島小原良節』を発表します。よく知られている曲調はこちらの方で、いわば『喜代三節』。地元の唄は、桜島にふさわしく、放胆な薩摩っぽらしい気力をうかがわせています。

悠久の時が流れる洋上アルプス - 屋久島

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紀元杉 屋久島取材に同行してもらったのは、九州在住のカメラマンF氏。元国税局という変わり種の写真家で、私よりだいぶ年上の大先輩です。とても真面目な方で、電話で屋久島の撮影依頼をした時、 縄文杉 は標高1300mにあり、往復10時間以上かかると脅したら、当日までにそれ相応の装備をそろえて来られました。別に縄文杉に行くとは言ってなかったんですが・・・。 そう。私、縄文杉には行ったことがありません。 言うまでもなく縄文杉は屋久島のシンボル的存在。今は木を守るため、展望デッキからしか眺めることは出来ませんが、やはりその存在感は圧倒的で、縄文杉のツアーは人気を集めています。逆に最近は「縄文杉への日帰り登山は行っておりません」をうたい文句にするエコ・ツアーもありますが、これも縄文杉の人気ぶりを裏打ちしているかのようです。 私の場合は、そういう理由で縄文杉に行かなかったわけではありません。では、縄文杉を取材せず、何を取材したのかというと、やはり屋久杉なのです。実際は、屋久杉工芸をメインにしたのですが、素材の屋久杉も撮らなくては話になりません。とはいえ、日程的に縄文杉までは行けません。そこで目を付けたのが、 ヤクスギランド でした。「ここで済ませよう」。不遜にも、そう考えたのです。 「ヤクスギランド」という響きが、なぜかテーマパークを連想させ、「どうせ大したことはないだろうが、屋久杉の感じぐらいは撮れるだろう」、そんな考えで足を踏み入れました。 屋久杉の土埋木 ところがどっこい、大したものだったのです。お手軽に「済ませよう」どころの話ではありません。樹齢数千年の屋久杉や、藩政時代の切り株、そこから伸びた小杉など、屋久島の原生林が、ちゃんとそろっていました。しかも総面積約270ha、歩道の総延長9kmという広さ。ヤクスギランド恐るべし! でございました。 ヤクスギランドには、30分、50分、80分、150分、210分の5コースがあり、日程や体力と相談しながら、自分のペースで周遊出来ます。ただし80分コース以上は登山道を歩くため、登山靴などそれなりの装備が必要になります。 ちなみに我々は、80分コースを選択したので、カメラマン氏の装備も無駄にはなりませんでした。このコースでは、仏陀杉、双子杉などが見られますが