飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

高山市上三之町
高山は、戦国武将・金森長近が、京都を模して形成した城下町です。長近は、織田信長に仕え、「天空の城」と呼ばれる越前大野城を築いたことでも知られます。大野も、高山と同じような碁盤目状の城下町で、1576(天正4)年に造られました。その10年後、豊臣秀吉から飛騨国を与えられた長近は、1588(天正16)年に高山城を築城し、城下町も整備しました。

現在では、大野市が「北陸の小京都」、一方の高山市は「飛騨の小京都」と呼ばれています。

私が担当していた写真コンテストの常連に、高山の岩佐清さんという方がいらっしゃいました。岩佐さんは、産婦人科医で、上一之町、上ニ之町と共に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている上三之町に医院を構えていました。築180年余りになる建物は、伝統的な町屋の造りで、病院部分をリフォームした以外は当時のままでした。

ちなみに雑誌の写真コンテストは、1989年から2007年まで続きました。岩佐さんは、当初から応募してくださり、最終回の時は80歳を超えておられましたが、きっちり優秀作を獲得。2004年には、1年間の最優秀作の中から選ばれる年度賞にも輝きました。以前のブログ(「人の営みにより作られた美しい風景 - 山古志」)で、この写真コンテストに参加された方を案内人に、ブログのタイトルに使っている「旅先案内」という企画を立てた、と書きましたが、岩佐さんも、その案内人のお一人で、お好みの撮影スポットを中心に、高山の街を紹介してくだいました。

飛騨牛六拾番
さて、その高山に、前のブログ(「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」)で触れた、岐阜県・各務原の友人OTさんが、移住をしました。しかも、2005年に高山市に編入するまでは村だった、高根という地区に住むことになりました。この高根、北を乗鞍岳、南を御嶽山に挟まれた文字通り「高根(=高嶺)」の村で、標高1000m、冬はめっちゃ寒くなります。

そこで、移住した最初の冬に、安否確認の電話をしてみました。SNSなどへの露出がめっきり減っていたため、半ば冗談で冬眠してるのかと聞いたら、一時大雪で避難勧告が出て、集落ごと避難をしたとのこと。びっくりしましたが、そんな所なら一度行ってみたいと(笑)、2月に家庭訪問をすることにしました。

そのやりとりの中で、近くにOTさんの友人が経営している塩沢山荘という宿があり、ジビエ料理(ニホンザル含む)もあるので、そこでどうか、と勧められました。家内がさる年なので、サルは勘弁と思いましたが、塩沢山荘自体が面白そうなので、OTさんのお勧め通り、そちらにお世話になることにしました。

で、当日、新幹線で移動中、OTさんから「今朝は氷点下17度と、キンキンに冷え込んでました」と連絡が入りました。わくわくモノですが、更にOTさんは、私のB級好きを見越して、到着後、まずは高山B級グルメに案内するから小腹を空かせておくように、と追記してきました。

ちとせの肉玉

ワイドビューひだ7号は、高山駅に13時11分に着くことになっていましたが、高根方面に行くバスが、列車到着1分前の13時10分発という、神業的な発車時間に設定されていたため、OTさんが駅まで迎えに来てくれました。そして、真っ先に向かったのが、「ちとせ」という食堂でした。

ちとせイカ焼そば

「ちとせ」は、1960(昭和35)年の創業当時から変わらない、昭和の香り漂うレトロなお店でした。B級グルメというと、静岡県富士宮市の富士宮焼きそばに代表されるように、ご当地焼きそばが定番です。この富士宮やきそばと、秋田県横手市の横手やきそば、群馬県太田市の上州太田焼そばの三つが、「三大焼きそば」と呼ばれているようです。

青氷の滝
ただ、「ちとせ」の焼きそばは、「高山焼きそば」とは呼ばれず、あくまでも「ちとせ」の焼きそばということになります。そして、「高山市民のソウルフード」「飛騨人が育った味」と呼ばれる「ちとせ」の焼きそばには、「焼そば」「肉焼そば」「玉子焼そば」「いか焼そば」「肉玉子焼そば」「いか玉子焼そば」「いか肉焼そば」「いか肉玉子焼そば」と、8種類があります。更に、これらの各大盛と、並と大盛それぞれの定食があるので、焼きそば関係で32種類ものメニューがあることになります。

その中で、一番人気は、豚肉と目玉焼きが乗っている「肉玉子焼そば」、通称「ちとせの肉玉」だそうです。この日は、OTさんと私とで、「肉玉子焼そば」と「いか焼そば」を食べてきました。

軽く腹ごしらえをした我々は、OTさん邸へ向けて出発。高山駅から高根までは、国道361号、通称「飛騨ぶり街道」を通って30km余り。ぶり街道は、かつて富山でとれたブリが飛騨を通って信州まで運ばれた道で、旧朝日町の辺りから飛騨川と並行するように走っています。

高根に入って間もなく、冬場には流れる水が結氷する「青氷の滝」があります。その少し先に、飛騨川をせき止めた高根乗鞍湖があり、この人造湖に飛騨川の支流・塩蔵川が合流する地点を左折すると、約2.5kmで塩沢山荘、更に1.5kmでOTさん邸となります。

野麦学舎

ただ、OTさんは、そのまま直進。15kmほど先にある「野麦学舎」へ案内してくれました。野麦学舎は、1953(昭和28)年に改築された高根村立高根小学校野麦分校の校舎で、81(昭和56)年に野麦分校が廃止された後、改装されて2014年頃まで宿泊研修施設となっていました。この野麦学舎の先には、長野県松本市との県境になる野麦峠があります。女工哀史『あゝ野麦峠』で有名ですが、古来、ぶり街道最大の難所と言われた峠です。

飛騨御嶽尚子ボルダーロード

ここからいったん、ぶり街道へ戻ったOTさんですが、来た道とは反対方向へ走り始めました。目的地は、「飛騨御嶽尚子ボルダーロード」。御嶽山の中腹を走る県道435号のことで、岐阜県出身の金メダリスト高橋尚子にちなんで命名され、2車線道の側道に、広いランニングコースが設けられています。二人とも、高橋尚子のファンというわけではなく、そこから望める御嶽山と乗鞍岳を見せてくれようとしたのです。その日は好天で、雪をかぶった御岳と乗鞍がくっきりと青空に浮かび、非常にすがすがしい風景を見せてもらいました。

そんなわけで、OTさん邸へ着いたのは、夕方の5時を回っており、既に太陽が沈み始めていました。宿では夕飯を用意してあるので、その日はあまり長居をせず、塩沢山荘へ。そうです。ついに、ジビエ三昧です。

猿の焼き肉

塩沢山荘の食堂には、「山肉の焼き肉」というメニューが貼ってあって、「日本鹿」「猿」「猪」「熊」「日本カモシカ」の5種類がありました。それまで、シカとイノシシ、クマは食べたことがありますが、天然記念物のニホンカモシカはもちろん、サルも食べたことがありません。

ニホンカモシカもサルも、狩猟鳥獣ではありませんが、害獣駆除は許されているそうです。で、ニホンカモシカは、シカではなくウシ科の動物なので、味も牛肉に近いんだとか。一方のサルは、昭和初期まで、新潟や長野の山間では普通に食べられていたらしいのですが・・・。

旧湯元山荘露天風呂

ただ、どちらも焼き肉用に、かなり薄くスライスされていたので、サルやカモシカの姿を思い浮かべることはありませんでした。映画『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に登場した猿脳のシャーベットがキモすぎて、サル・・・ううっ、無理! と思っていた私ですが、もちろん、そんなことはなく、獣臭さを感じることもなく、頂くことが出来ました。

旧湯元山荘露天風呂
ちなみに、塩沢山荘と、ぶり街道沿いにある塩沢温泉七峰館では、「美人の湯」とも呼ばれる炭酸水素塩温泉に入ることが出来ます。塩沢山荘の風呂は、内湯とはいえ山荘の外にあり、雪の中、滑って転ばないよう気をつけながら、風呂までの階段を上がったものです。中に入ると、脱衣所の壁に、唐笠が二つかけられていて、「雨・雪の時に露天風呂でお使いください」と書いてありました。が、冬季は露天風呂を閉鎖しているとのことで、残念ながら、外の温泉に入ることは出来ませんでした。

かつては、この塩沢山荘の近くにもう1軒、塩沢温泉湯元山荘という宿があったそうなのですが、だいぶ前に廃業してしまったとのこと。それでも、地元有志の方が、旧湯元山荘の露天風呂を管理・整備され、野趣あふれる温泉として、知る人ぞ知る野湯になっていました。

サービス精神旺盛なOTさんは、翌朝、この露天風呂にも、案内してくれました。夏なら、旧湯元山荘まで下る道が、ちゃんとあるのですが、冬場は雪で埋もれて、単なる雪の坂にしか見えませんでした。二人の格好と言えば、トレッキングシューズは履いていたものの、どう考えても、こんな雪の中に入って行くことはないだろう、と私は勝手に判断していました。

旧湯元山荘露天風呂
しかし、2000年に標高3076mの御嶽山西面流域における冬期初登(氷瀑登攀)を成し遂げた、名うての冒険野郎にとって、こんな雪は平気の平左だったのです。結局、私も、OTさんがラッセルで作ってくれた道を下り始めることになりました。露天風呂まで300mはあったでしょうか、降り積もった雪に埋もれながら、やっと着いた先には、野趣あふれるどころか、野趣あふれすぎの露天風呂がありました。

ただ、この温泉も汲み上げポンプが壊れてしまい、その年の11月に閉鎖となったそうです。この時、私は足湯ならぬ指湯だけでおいとましたのですが、それを考えると、あの時、入っとけば良かったかな、と思う今日この頃です。

野湯の見学後、OTさんはもう1軒、B級グルメ好きの私のために、「国八食堂」に案内してくれました。高山市の国道41号線沿いにあり、多くのバイク乗りが訪れるため、店先のバイクを見て、バイク屋かと勘違いする人もいるとか。それもあってか、地元では知らない人が居ないほどの有名店。で、その看板メニューが鉄板焼きとうふです。なんせ来店する人のほとんどが、鉄板焼きとうふ定食か、ホルモン定食、もしくはその両方を頼むのですから間違いありません。

豆腐一丁を横に薄く四つ切りにし、更に4分割した16個の薄切り豆腐が鉄板にのってやってきます。豆腐一丁は350g。これが肉なら大変ですが、豆腐といえども結構なボリューム。味付けはこってり濃厚。ホルモン焼きのタレを使っているのかもしれません。一般的な豆腐料理の概念を覆す料理ですが、熱々の鉄板で焼かれた豆腐の焦げめが香ばしく、ご飯が進む一品です。食べ終わった時には、喉の渇きと共に満腹感を味わっていることでしょう。

国八食堂鉄板焼きとうふ


コメント

  1. 最近またO君の姿を見かけなくなりましたね。・・・こんなことを書いていると現れるかも(笑)

    しかし、よくも厳冬期に行かれましたね。すばらしいです。

    ニホンモンキーって食べられるんですね。想像するとノーサンキューです。ニホンカモシカも特別天然記念物に指定されているのに、食べられていたなんて・・・増えすぎているんでしょうか?

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    1. サルは、実はかなりおいしいことが昔から知られていたようです。美食家としても知られた北大路魯山人も、猿を食べていたようです。
      ↓『魯山人味道』(青空文庫)
      https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/54960_48525.html

      これだけ思い切りネタにしているので、Oさんにも知らせておいた方がよさそうですね・・・。

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  2. 中部山岳地帯より、ご無沙汰しております。
    幻のアメリカ大統領就任式を観つつ、また蛇口の凍結で風呂にも入れず燻っているOです。血液型はBなのですが。。今年の冬は、ここ3年の暖冬に相まってか大いに寒さと雪を満喫させてもらってます。ラッセルは基本中の基本で雪に埋れながら、時に埋まってしまいながらの雪中行軍です。
    投稿ありがとうございます。
    https://www.youtube.com/watch?v=aqjX1bQgKa8

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    1. そう言えば、家庭訪問させて頂いた時も、シャワーのノズルが氷結してましたね。八甲田山のようにならないよう、ご自愛ください。

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