民謡のある風景 - 観光長崎のゆとり偲ばせて(長崎県 ぶらぶら節)
1571(元亀2)年からの港町だった長崎は、江戸期、ただ一つ海外に開かれた日本の出窓でした。人工の島である出島を外国人居留地とし、長崎は貿易港として栄えました。さまざまな西欧の文物がここから入り、貿易の利益は、かまど銀などとして、町人にも分配されたといいます。ゆとりある人々は遊びを楽しみ、お祭りに興じました。おくんち、凧(はた)揚げ、精霊流しなど、今に伝わる観光資源が育ち、遊女町丸山には、17世紀末で、760余人の遊女がいたといいます。 そんな、長崎のゆとりが、『ぶらぶら節』というユニークな題名の唄を産みました。 ♪長崎名物 凧揚げ盆まつり 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら ぶらりぶらりと 言うたもんだいちゅう この唄は、丸山の遊廓辺りでお座敷唄として唄われてきたものとされ、発生については、江戸初期とも、江戸末期とも言われ、はっきりしません。 幕末の頃、江戸を中心としてはやった『やだちゅうぶし』という唄の中に、「やだちゅうと言わねえもんだちゅう」という歌詞があるところから、その影響を受けているという説もあります。また、愛媛県・松山近辺に伝わった茨城の『潮来節』とも、何らかの関連があると言われています。さまざまに言われてはいますが、いつ、どこで、だれが唄い出したかとなると、よく分からないらしく、そこがまた民謡の民謡らしいところでもあります。 そんな『ぶらぶら節』が脚光を浴びたのは、昭和に入ってからでした。長崎県西彼杵郡高島町生まれの芸妓愛八が、丸山でこの唄を掘り起こし、1930(昭和5)年にレコード化。今、唄われているのは、この愛八の唄法を伝えたものといいます。歴史のひだの合間を、したたかに生き抜いてきた唄と言えるでしょう。