投稿

9月, 2020の投稿を表示しています

本州最南端・串本節の古里を歩く

イメージ
  JR串本駅から歩いて20分ほどの所に、海岸から紀伊大島へ向かって一直線に続いている大小40ほどの岩があります。長さは約850mにも及び、それらの岩が橋の杭を思わせるところから、橋杭岩(はしぐいいわ)と呼ばれています。 橋杭岩には、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭けをして、一夜にして出来たという次のような伝説があります。 昔、弘法大師が天の邪鬼と、串本から大島まで橋を架けられるか賭けをしました。弘法大師は橋の杭をどんどん作っていき、天邪鬼はこのままでは負けてしまうと、とっさにニワトリの鳴きまねをして、弘法大師に朝が来たと思い込ませました。弘法大師は、それで諦め、その場を去ったため、橋の杭のみが残りました。 弘法大師伝説はともかく、まるで橋脚のように直線上に連なる岩を見ていると、対岸の大島へ行きつこうとして果たせない、未練の思いを形にしたようにも見えます。 串本は、紀伊山地を背に雄大な太平洋に突き出した本州最南端の町です。東西に長く延びた海岸線は、リアス式海岸になっており、橋杭岩だけではなく、多くの奇岩・怪石の雄大な自然美に恵まれ、吉野熊野国立公園の指定を受けています。 東京からは、羽田から1時間15分のフライトで、南紀白浜空港へ。空港から串本までは、車で約1時間半となります。ただ、便数は3往復なので、フライトの時間が旅程と合わない場合は、新大阪から特急くろしおに乗ることになります。 2年前の2018年9月に、カメラマンの田中さんと私が選んだのは、特急くろしおでの往復でした。取材は朝だったので、前日中に入ればよく、往路はどうとでもなりましたが、帰路は昼の飛行機には間に合わず、さりとて夜の便では時間を持て余してしまうための選択でした。 前日、東京駅からのぞみで新大阪まで行き、乗り換え時間10分少々で特急くろしおに乗車。串本着は18時34分の予定で、乗車時間は約3時間20分。夕食は着いてからでいいものの、時間がたっぷりあるので、くろしおではビールでも飲みながら移動しよう・・・。田中さんも私も、そう目論んでいたのですが、くろしおには、車内販売がありませんでした。 ゑちご亭の料理たち 列車での車内販売は、日本では1935年から行われていたそうですが、近年は駅のコンビニや駅ナカなどが充実したことより、車内販売の利用客が年々減少。更に離職者が増え、人員確保も難しくなったこと

福山市民のソウルフード、大衆食堂「稲田屋」さんが閉店

イメージ
たぶん、広島県の中で、一番多く行っている所は福山市だと思います。記憶にあるだけで8回、ここ2年に限っても福山で三つの取材をしています。また、福山の北にある三和町や豊松村(2004年の新設合併により現在はいずれも神石高原町)で取材をした際には、取材時間の都合で福山で前泊または後泊をしており、回数としては恐らく2桁を超えていると思います。 ちょっと話が逸れますが、子どもの頃、同じ東京の小金井市に住んでいた従姉妹(母の妹の娘)は、私より一つ年上で、一人っ子の私にとって、姉のような存在でした。その従姉妹が広島県庄原市の男性O君と結婚。彼と従姉妹は、安倍前首相と同い年、同じ大学の出身で、卒業後は東京と広島で遠距離恋愛を続けていました。彼は広島市内の会社に就職しましたが、数年後、実家の仕事を継ぐために庄原市へUターン。そのため従姉妹も、結婚を機に、庄原に住むことになりました。 稲田屋特製定食(880円)と関東煮(1本180円) ある時、従姉妹から、庄原に行ってから知ったという漬物、広島菜漬と安芸紫が送られてきました。広島菜漬は、九州の高菜、信州の野沢菜と並ぶ日本三大漬菜と言われる広島菜の漬物で、安芸紫は、じっくり熟成させた広島菜をしそ風味に仕上げたものでした。で、この安芸紫が非常においしく、これさえあればご飯がいくらでも食べられちゃうという漬物でした。これ以降、広島出張の際には、必ず安芸紫を探すようになりました。 ところが、福山ではなかなかお目にかかれないのです。ある時など、安芸紫自体を知らない土産物店の人がいました。今でこそ、銀座に広島県のアンテナショップがあったり、ネットで安芸紫を購入出来たりしますが、当時は広島への出張時にしか入手出来なかったので、その反応の悪さに憤慨したものです。 広島菜は、1600年代前半、福島正則の参勤交代に従った人が、帰途に京都で手に入れ持ち帰った種子が元になっています。それが、明治時代に川内村で品種改良され、現在の広島菜が出来上がったと言われます。川内村(現在の広島市安佐南区川内地区)ではその後、広島菜が盛んに作られるようになり、広島を代表する特産となりました。 関東煮(1本180円)と純米酒(600円)の熱燗 となれば、広島菜から作る安芸紫も、知っていて当然でしょ! というのが、私の思考です。こうなると、同じ広島県でも、広島を中心とした西部は安

出雲くにびきマラソンの魅力

イメージ
出雲市には何度か行っており、その度に出雲大社へも寄っています。寄っているというのは、厳密に言うと、出雲大社へ行きながら、お詣りしていない時もあるからで、その件については、ブログを改めますので、今は謎ということで・・・。 最近では、2016年と19年に出雲市を訪問しています。いずれも、出雲くにびきマラソンのためです。と言っても、私がマラソンに参加するわけではなく、参加される方、及び参加者をサポートする人たちを取材するためでした。16年の時は単独で、19年の時はカメラマンの田中さんと一緒でした。 16年も19年も、朝イチの夜行バスで名古屋から出雲市駅に到着する参加者の追跡取材のため、出雲へは前日の夜に入っていました。 16年の時は一人だったので、ホテルのフロントで聞いて、地魚を中心とした料理と、出雲一の地酒がそろっているという駅前の「山頭火」にしました。もともと家では、正月のお屠蘇以外、全くと言っていいほどお酒を飲まない私ですが、出張の際は、飲みに出ることもあります。で、どうせなら土地のものを味わいたいと、だいたいが日本酒を選択するので、フロントの方に勧められるまま、山頭火で食事をして、地酒を楽しんできました。 一方、昨年は田中さんが一緒だったので、少し店を探して駅の周辺を歩いてみました。田中さんとは年齢が近い上、子どもの結婚や孫の誕生なども、ほぼ同時期で、そうした話もお互い気兼ねなく出来るため、いつも長くなるのが常です。そこで、1軒で終わらせるか、2軒にするか、なども含めて、周辺のリサーチをするのが恒例となっていました。 とりあえず、前回行った山頭火があるので、余裕で町歩きをしましたが、いまひとつ、ピンと来る店がなく、結局、2周目に入って、ホテル裏の「錦」という店に入ることにしました。食事処となっていたので、ここでとりあえず腹ごしらえをして、物足りなければ2軒目へという作戦です。 入口近くのカウンターに10席ほどと、小上がりが数席あり、更に奥には広間もあるようですが、我々はカウンター席にしました。で、メニューを見ると、地の魚料理や揚げ出し豆腐、玉子焼きなどに交じって、オムレツやら牛テール煮込みやらが並んでいます。しかも、焼きそばや焼きうどん、丼物といった、食事メニューもあります。むむむ! 和食に洋食、その上に大衆食堂的な? 私と違って正統的な酒呑みである田中さんと一緒

おいしい食べ物が多かった観光地ナンバー1 - 高知

イメージ
土佐伝統食研究の第一人者・松﨑淳子高知女子大学名誉教授チョイスの高知の食材 前2回の記事( 松江 / 香川 )の続編です。羽田~米子~松江~岡山~丸亀~大豊~高知~羽田と移動しながら、松江、丸亀、大豊を取材する行程の第3弾になります。 初日に、島根県松江市と香川県丸亀市で、1件ずつ取材をしたカメラマンの田中さんと私は、次なる目的地、高知県 大豊町 へ移動しました。大豊町は、高齢化率50%を超え、「限界集落」の言葉が生まれた高知県の中山間地で、先の松江の取材と合わせて1本の記事にまとめる企画でした。 大豊町は四国三郎の異名を持つ吉野川の源流域、四国山地の中央部にあり、北を愛媛と徳島に接する県境の町です。人口は約3500人、そのうち約58%を、65歳以上の高齢者が占めます。 高知県の中山間地・大豊町 1955(昭和30)年に4カ村が合併して大豊村が誕生した時、人口は2万2386人でした。戦後の木材需要の高まりと共に、国は農地から杉への転作を奨励。大豊でも山の斜面に広がっていた棚田が杉林に生まれ変わり、木材を都市に供給する林業や炭焼、また農業や養蚕で町は活気づきました。が、高度成長時代に入ると、若者たちは山を捨て都市へと流出。山には、杉とお年寄りが取り残される結果となりました。 「よく『限界集落』という言葉を聞くと思いますが、大豊はまさにその言葉が生まれた地域です」 岩﨑憲郎町長は、開口一番そう切り出しました。「限界集落」とは1991年、高知大学の大野晃教授(現名誉教授)が提唱した概念で、65歳以上の高齢者が半数を超え、集落の社会的共同生活の維持が困難な集落をそう呼びました。 「大豊町は標高200~800mの急傾斜地に集落が点在しています。現在、85の集落があり、そのうち74が限界集落です。町民の平均年齢は63歳、大野教授の概念によれば、町自体が『限界自治体』ということになります」 と岩﨑町長。が、暗くなるような数字のオンパレードでも、町長の表情は意外なほど明るいものでした。 高知市にある大豊町アンテナショップ 「数字的には、確かに厳しいです。しかし、私自身が大豊に生まれ育ったということを差し引いても、この町は魅力のある町、可能性のある町だと思っています」 町長はそれを形にすべく、96年、町とJAなどが出資する

丸亀・一鶴、多度津・いこい、琴平・紅鶴。香川県の骨付鶏3選

イメージ
一鶴の骨付鳥 前回の記事( 安全・安心な天神町商店街とシジミパワーの宍道湖 - 松江 )の続編です。羽田~米子~松江~岡山~丸亀~大豊~高知~羽田と移動しながら、松江、丸亀、大豊を取材する行程の第2弾になります。 松江での取材を終えたカメラマンの田中さんと私は、即、列車に飛び乗り、次の取材のため、岡山経由で丸亀に入りました。松江から特急やくもで岡山まで約2時間40分。ここで特急南風に乗り換え、丸亀までが約40分。途中、米子空港でのゴーアラウンドなど、朝のバタバタぶりをSNSに投稿し、現在は丸亀に移動中と書きました。すると、神戸のDHさんから次のようなメッセージが入りました。 鎌田醤油 「丸亀の鎌田醤油ってご存じですか? ここのだし醤油は逸品です。他にもいろいろ醤油があります。わざわざ探して買いに行きましたよ」 以前、高松出身のライターの卵君から、だし醤油をもらったことがありました。なんでも、讃岐うどんの本場・香川では、冷凍うどんを湯がいてサッと醤油をかけて食べるんだとか。で、確かにそれが、結構イケました。田中さんも、やはり卵君からだし醤油をもらっていたので、二人して、DHさんお勧めの鎌田醤油をゲットすべく丸亀駅に降り立ちました。 が、丸亀駅に到着したのが17時40分ぐらい。鎌田醤油直売所の営業時間は17時半までで、残念ながら入手出来ずに終わりました。 その日の夜、取材先の方たちから誘われ、会食をすることになりました。実は松江からの車内で、我々は、丸亀では骨付鳥の一鶴へ行こうと話していたのですが、これにより、鎌田醤油に続いて一鶴も断念することになりました。ただ、会食の際、讃岐うどん談義になり、鎌田醤油の話も出ました。丸亀の皆さんは、冷凍うどんをチンして鎌田醤油をチャッとかけるのがいちばん! 下手な讃岐うどんの店より、よっぽどおいしいと力説。そして、後で送ってあげるよ、と言ってくださり、後日、本当にだし醤油を送って頂きました。感謝、感謝です。 さて、もう一つの骨付鳥ですが、この半年後、今度はライターの砂山幹博さんと、兵庫県加西と高知で取材をすることになり、迷わず途中の丸亀泊を選択しました。加西の取材後、播但線で姫路へ出て、岡山まで新幹線に乗り、そこから瀬戸大橋を渡って丸亀に入りました。 そし

安全・安心な天神町商店街とシジミパワーの宍道湖 - 松江

イメージ
宍道湖の夕日 ある企画で、島根県松江市と高知県大豊町を取材し、一本の記事にまとめることになりました。松江と高知と言えば、中国地方の日本海側と四国の太平洋側です。ちょっと無茶かなと思いながらも、一度に取材することにし、カメラマンの田中勝明さんに、撮影を打診してみました。 すると田中さんも異論はないということで、羽田~米子~松江~岡山~丸亀~大豊~高知~羽田と移動しながら、松江、丸亀、大豊の3カ所を2泊3日で取材する日程を組みました。 初日は4時半起きで羽田空港へ。が、京浜急行がストップし、振替輸送の案内。そこで新橋から浜松町へ出て、モノレールに乗り換え。何とか飛行機には間に合いましたが、初っぱなから前途多難を思わせる取材行となりました。 その予感は的中。米子空港に近付いた搭乗機は、徐々に高度を下げ、滑走路が見えてきました。が、無事着陸と思われた瞬間、飛行機はスピードを上げ再び上昇。 松江天神町商店街の「おかげ天神」 おいおい、いったい何事? すかさずスチュワーデスは、「当機は既に着陸態勢に入っていましたが、再び上昇しております」と、みんなが知ってる事実を伝えたものの、「状況が分かり次第、またお知らせします」でアナウンス終了。数分後に、機長のアナウンスがあるまで、何が起こったのか分かりませんでした。 結局、滑走路にカラスの大群がいて、万が一を考え着陸を見送ったこと、空港にカラスを追い払うよう要請したことを報告。最終的に10分ほど上空を旋回した後、無事着陸しましたが、この日は朝からなかなかうまくコトが運びませんでした。 この時の取材は、高齢社会への取り組みで、高齢化率が全国2番目の高知県と3番目の島根県を取材することになりました。島根での取材は、安心・安全な街作りで全国的に注目を集めた 松江天神町商店街 でした。 松江城をバックにしまねっことこうやくんの神仏混交ツーショット この商店街は、活性化案を話し合う中、ある若手から出された意外なアイデアを採用しました。それは、天神町の南端にある白潟天満宮を、お年寄り向けにイメチェンしてしまおうという案でした。 学問の神様の天神様を、お年寄り向けにしちゃうなんて、かなり突拍子もない案です。当然、商店街の人たちは首を傾げました。するとまた、