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町おこしの中から生まれた竹の里の新しい工芸

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以前、全国商工会連合会の主催で「ニッポン全国むらおこし展」という企画展が毎年開かれていました。全国の商工会地区で、むらおこし事業から開発された特産品を展示し、情報交換やPRをするのが目的で、その一環として「むらおこし特産品コンテスト」も実施され、こちらは現在も続いています。 コンテストは、食品と非食品の2部門に分かれ、全国約1000の商工会から最盛期には約5000品目が出品され、競い合っていました(最近は100品目を切っているようです)。1992(平成4)年、そのコンテストで芝川町(現・富士宮市芝川町)の竹細工が非食品部門の最高賞を獲得しました。受賞したのは、「ゆらりとんぼと沢のかに」。トンボはやじろべえのようにバランスをとって、その名の通りゆらりゆらりと揺れるのが特徴です。 この竹細工、商工会と町が中心となった活性化事業の中で生み出されました。芝川の特産品の一つにタケノコがあります。町内のあちこちに竹林が点在し、美しい景観を見せています。「この竹を利用して町おこしが出来ないか」。アイデアは、そこから出発しました。 竹細工製作者グループの中心・佐野昭一さんは、もともとはダンプの運転手をしていました。肝臓をこわし、医師の勧めで半日勤務に切り替えました。出来た時間で始めたのが、竹細工の趣昧。これが、ちょうど竹を使った町おこしを模索していた町に認められ、この事業がスタートしました。1991(平成3)年度には半年間の竹細工教室を開き、規格品製作技術を持つ町民18人を認定。販売は商工会が担当することになり、県と町の補助を受けて販路開拓を進めることになりました。 「タケノコを作っている人たちも高齢化して、冬に切った竹を処分するのに困っていたんです。だから、竹をもらいたいと言うと、あちらも大喜び。こちらも材料費はかからないということで、一石二鳥の効果があるんです」と、佐野さん。 一つひとつが手作りだけに、量産は出来ませんが、取材当時は、佐野さんや渡辺義男さん、佐藤雅美さんらを中心に、二十数人の認定町民が規格品である「ゆらりとんぼと沢のかに」を月平均100セット製作していました。この他、それぞれの工夫で、昆虫を題材とした作品なども登場。伝統がないぶん、逆に制約を受けずに自由な作品を生み出すことが出来るようでした。 旧芝川町は、静岡、山梨両県境にあり、日本三大急流の一つ富士川沿いに開

北の創り手たちの心を伝える温もりの木工クラフト

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東川町は、北海道の屋根と言われる大雪山連峰の山裾にあり、肥沃な土壌と豊かな自然に恵まれています。道内一の落差を誇る羽衣の滝を持つ天人峡温泉、大雪山連峰の主峰旭岳中腹の旭岳温泉の二つの温泉を有し、おいしい米や野菜、木工品が生産される町として知られています。 また毎年、国際写真フェスティバル「フォト・フェスタ」や「写真甲子園」が開催され、写真の町としても有名です。 東川は、旭川市の東にあり、元は旭川村(現市)に属していました。その後、1897(明治30)年に分村、1959(昭和34)年に町制を施行しました。町の西側は上川盆地の穀倉の一環を成す平野部、東部は大雪山連峰の主峰旭岳に連なる火山・原生林地帯で、大雪山国立公園に含まれています。 旭川、東川の周辺は、大雪山系の森林地帯を控え、古くから製材木工業が盛んで、家具などの生産も行われてきました。これらの家具は、狂いの少ないと言われる地場木材を使って、全国的にも高い評価を得ています。 そうした伝統家具の流れの中で、40年ほど前から、木工クラフトが脚光を浴びるようになりました。当初は、旭川に造形作家などを招いて講習会も行われ、家具作りのノウハウを生かしながら、新しいクラフトを生み出してきました。自然をモチーフにしたものが多く、作品からは木の温もりや優しさが伝わってきました。 やがて、題材を自然に求める作家たちは、自然が豊かな郊外へ工房を移すようになりました。特に、素材や工具なども入手しやすい東川は、そうした作家たちにとって、恰好の拠点だったようです。現在、東川には多くの工房が点在し、それぞれ独自の手法とデザインで、楽しいクラフトを制作しています。 しかも、家具を始めとする木工の伝統を受け継いだ作家たちは、高い技術に裏打ちされた新しいクラフトを創り上げ、全国的にも高い評価を得ています。販路も、むしろ道外の方が多く、東京や大阪といった大都市圏に広がっています。コンクリートに囲まれた都会の人間にとって、東川のクラフトは、自然の温もりを感じさせるオアシスとなっているのでしょうか。 ※写真は、鳥のモビールを始め動く木工クラフトを創る早見賢二さん

木のぬくもりを伝える北国のクラフト

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1980年代から、日本のあちこちで、まちおこし・村おこし運動が盛んになりました。置戸町も、そんな町の一つでした。 置戸では、1970年代の後半から、町づくりのためにさまざまなアイデアを生み出してきました。全国的に有名になった人間ばん馬や、町民焼酎、町民ワイン、それにオケクラフトなどがその産物です。中でもオケクラフトは、置戸町のアイデンティティーとも言える森林文化の中心的存在として、町を挙げてその育成、強化に取り組んできました。 置戸町は大雪山の東端に接し、周囲を山に囲まれ、森林が町の面積の8割以上を占めています。森林のほとんどは、エゾマツとトドマツ。軟らかく割裂性が高いため、建材としての需要はほとんどなく、せいぜい炭鉱の支柱用に安い値段でしか売れませんでした。 そのため二次加工に力を入れ、付加価値を高める必要がありました。コロッケを買う時に包んでくれた経木や、駅弁の折り箱などがそれです。しかし、ある時期から折り箱は紙製になり、経木はビニールへと変わってしまいました。 そこで割裂性のよさを生かして、割り箸作りを始めました。これは当たり、高級割り箸の生産はぐんぐん伸びました。が、機械で量産する場合、割り箸に出来るのは表皮に近い部分だけ。樹齢100年ぐらいの太い木でも、中の60年分ぐらいは捨てることになります。これでいいのだろうか。そんな声が、町の中で次第に大きくなってきました。 割り箸にしろ、経木にしろ、使い捨てとは言え、捨てた後はまた自然に返ります。木に囲まれて生きてきた日本人の生活の知恵であり、人間が自然に積極的に関わった形でのリサイクルでした。しかし、機械の導入によって、自然と人間の良い関係が崩れてしまったのです。6割は捨てるとなると、やはり抵抗があります。町でも「豊かな自然を守り、自然と共に楽しく暮らす町づくり」を目指し始めました。 町では、工業デザイナーの秋岡芳夫氏を招き、自然との新たな関係を模索しました。その話し合いの中から生まれたのが、オケクラフト。成長に100年かかった木では、100年使える物を作る。育つスピードと作るスピードを合わせよう。この考え方をベースにした新しいものづくりへの挑戦でした。 エゾマツ、トドマツの見直しが始まりました。東北工業大学からロクロ技術と樹脂強化、クラフトデザインを導入。170種類もの工芸品を試作して、東京のデパートで展覧会を