世界遺産構成資産となっている富士山麓の忍野八海
富士山のふもと、忍野八海で有名な忍野村は、1875(明治8)年、忍草(しぼくさ)村と内野村が合併、忍草の「忍」と、内野の「野」を合わせて村名としました。「忍草」というのは、多年生のシダ、シノブのことです。一昨日の記事( 忍岡と呼ばれた上野公園と不忍池は台地と低地の境目 )にも書きましたが、シノブは日本全国に分布しており、山地の岩の上や木の幹などに付くシダで、忍野村の辺りにも多かったのかもしれません。 この忍野、富士山のふもとと言っても、標高940mほどの所にあり、隣の埼玉や東京から見ると、十分に高地です。そのため、高原野菜なども作られ、首都圏へ向けて出荷されています。また、天然記念物になっているハリモミの純林もあります。樹齢約250年、富士山から噴出した溶岩流の上だけ孤立して発達しており、学術上、極めて貴重な林だと言われています。 忍野村にある、もう一つの天然記念物「忍野八海」は、富士山の伏流水を水源とする湧水池です。世界遺産富士山としての構成資産の一部となっています。 出口池 現在、富士山北麓には、富士五湖と呼ばれる湖が並んでいますが、古くは「宇津湖」と「せの海」と呼ばれる二つの巨大な湖でした。それが、現在のようになったのは、富士山の噴火活動によるものです。まず800(延暦19)年の延暦噴火による溶岩流が、宇津湖を山中湖と忍野湖に分け、大田川を埋めて河口湖を作り、せの海の一部を分断して本栖湖を作りました。更に864(貞観6)年の貞観噴火による溶岩流で、せの海の大部分が埋められ、西湖と精進湖に分けられました。 お釜池 このままだと、富士六湖になっちゃいますが、忍野湖はその後、桂川の侵食によって水が干し上がり、忍野盆地となります。そして、これによって湖底にあった湧水口が地表に現れ、忍野八海と呼ばれる湧水池が残ったわけです。 銚子池 ちなみに、本栖湖と精進湖、西湖の湖面は標高900m前後、河口湖は830m、山中湖は約980mとなっています。これは、本栖湖と精進湖、西湖は、せの海から分かれた兄弟湖、河口湖は大田川から、山中湖は宇津湖からという、それぞれの湖の生い立ちによるものです。忍野村がある所は、もともと湖底だったわけで、干上がる前の忍野湖も、山中湖同様、980m前後の標高があったと推測されます。 湧池 なお、本栖湖と精進湖、西湖は、湖底でつながっていると言われます。富...