民謡のある風景 - 東北に根付いた祝い唄のこころ(宮城県 さんさ時雨)
青葉城は、仙台・伊達62万石のシンボルでしたが、今は城跡が残るのみとなっています。本丸は明治4〜5年に取り払われ、15年には二の丸に落電、大手門を残して、伊達家累代の建物がことごとく焼失しました。仙台の人々が、青葉城と共に誇りとしているのが、民謡の『さんさ時雨』で、この唄には仙台藩祖にまつわる言い伝えがあります。 1589(天正17)年、伊達政宗は、会津の摺上原で芦名義弘を破りました。その時、一族の一人が、「音もせで茅野の宿の時雨来て 袖にさんさと濡れかかるらむ」という歌を詠みました。これを作り替え、政宗が陣中で唄わせたのが『さんさ時雨』の始まりだといいます。 ♪さんさ時雨か 茅野の雨か 音もせで来て 濡れかかる ショウガイナアー 伝説はさておいて、この唄は、七七七五という詞型や曲調からみて、16世紀のものではなかろう、というのが定説のようです。一説では、江戸中期以後、京都から西の地方で唄われていた流行り唄が、仙台藩に入ってきたのではないか、とされています。「ショウガイナアー」と囃す言葉も、近世のものと言われます。同系の唄としては、山形の『ショウガイナ節』、福島の『会津目出度』、山口の『さんさ踊り』などが挙げられています。 もともと『さんさ時雨』は、手拍子で唄われるものでしたが、明治元年、広瀬川のほとりにあった料亭が、土地の芸妓衆に唄わせ、それ以来、二上がりの三味線の手がつきました。これが評判となり、『さんさ時雨』は仙台名物の一つになりました。江戸中期の流行り唄が、時を経て、仙台で大きく花開いたわけです。 もっとも、地元では今なお、祝いの席などで手拍子で唄われ、その方が味わい深く、めでたさもひとしおの感があります。武骨ながら誠実だった東北武士を偲ぶにも、格好の唄と言えるのではないでしょうか。