十三浜ワカメに焼きハゼ、石巻焼きそば、そして鯨の刺身
前回のブログ(「復興のシンボル『がんばろう!石巻』の大看板」)で、2011年5月18日に、南三陸から十三浜を経由して雄勝へ入った話を書きましたが、この半年後、私は十三浜の「わかめサポーター」になりました。
震災後、被災地を応援するプロジェクトがいろいろ立ち上がり、ウェブでも参加出来るものがいくつかあることを知りました。きっかけは、ミュージックセキュリティーズ株式会社が立ち上げた「セキュリテ被災地応援ファンド」でした。4月下旬に、当初は3事業者による募集が始まり、その後、各地に拡大。
このファンドには、取材でお会いしていた南三陸町の「ヤマウチ」さん、「及善商店」さん、「マルセン食品」さんが入っており、こうした応援の仕方もあることを知りました。更に調べてみると、最初に取材に入った被災地・岩手県大槌町にも「立ち上がれ!ど真ん中・おおつち」という地場産品復興プロジェクトがあることが分かり、まず「セキュリテ被災地応援ファンド」と「立ち上がれ!ど真ん中・おおつち」に申し込みをしました。その後、「三陸石巻復興わかめサポーター制度」のことを知り、それが、5月に雄勝へ行く際に通った十三浜のワカメだったため、応援させてもらうことにしました。十三浜は、前の記事で触れたように、北上川河口の間にあった13の集落(小滝浜、大指浜、小指浜、相川浜、小泊浜、大室浜、小室浜、白浜、長塩屋浜、立神浜、吉浜、月浜、追波浜)の総称です。この十三浜のワカメは、肉厚の食感でありながら、柔らかいのが特徴で、三陸の中でも最高級の評価をされている逸品です。
そうしたワカメをブランド化し、全国に広めていくことが、若い漁師たちの「夢」だったそうです。しかし、東日本大震災で甚大な被害を受け、漁業自体にも大きな影響が出ました。しかも、時間が経過しても一向に進まない復興に、若い人たちが漁業から離れてしまう懸念もあり、「三陸石巻復興わかめサポーター制度」を立ち上げたということでした。
わかめサポーターになった後の2012年の2月、新潟県の小千谷市と南魚沼市、長岡市で取材がありました。その際、泊まった宿の近くで「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」が開催されていました。祭り自体は、いろいろなイベントがあったようですが、私が行ったのは夜だったので、雪灯りと雪上花火のみでした。
ただ、夜もたくさんの屋台が出ていて、実はその中に、十三浜のワカメが出店していたのです。この宿は、山古志の朝霧を撮影するためにキャンプした場所(「人の営みにより作られた美しい風景」)にあり、土地勘があったので泊まったのですが、それが結果的に、いい出会いを生んでくれました。
わかめサポーターは、ウェブでの申し込みだったため、実際に十三浜の漁師さんたちとお会いするのは、それが初めて。で、いろいろな話を伺い、3月からは「石巻wakamo(ワカモ)プロジェクト」として、ネット通販を始めることも聞きました。
この活動はその後、養殖から販売までの全工程を行う「漁業生産組合浜人(はまんと)」へとつながり、ワカメのインターネット販売プロジェクト「wakamo(ワカモ)」の他、特産ワカメのブランディングなどを行っているようです。さて、前の記事では、伝統工芸の雄勝硯が頭にあったため、炊き出し場所を勘違いして雄勝に行ってしまったと書きましたが、その途中に通った大川地区(旧大川村)も、長面浦の焼きハゼで、一度取材したいと思っていた場所でした。長面浦は、ハゼの宝庫として知られ、仙台雑煮に欠かせない焼きハゼ作りが盛んに行われてきました。
焼きハゼでだし汁をとり、セリ、ゴボウ、かまぼこを具材にする仙台雑煮は、藩政時代、領内全域に広まっていたと言われてます。しかし、現在は、伝統的な仙台雑煮を作る家庭も少なくなり、焼きハゼは、石巻市の長面浦や万石浦、それに松島湾でしか作られなくなっていました。その上、焼いた後に煙でいぶす古い製法を、代々受け継いでいたのは、長面浦の集落だけだったようです。
しかし、長面地区は、東日本大震災の津波で、集落の約140戸がほぼ全壊。住民約500人のうち死者・行方不明者は約100人に上りました。宮城県随一の焼きハゼ名人として知られていた榊正吾さん、照子さん夫妻も、自宅、作業場、船着き場の全てを流され、一度は復活をあきらめかけたと言います。
それに支援の手を差し伸べたのが、日本スローフード協会の宮城支部で、震災後すぐに榊さんを訪問し、支援を約束。これにより、震災のあった年の暮れには、少ないながらも焼きハゼ作りを再開しました。その中心として活動したのが、同協会初代会長で国際理事も務めた若生裕俊さん(現・富谷市長)でした。若生さんは、この他にも復興屋台村気仙沼横丁(「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」)の立ち上げにも関わり、私はその関係で、若生さんと知り合うことが出来、焼きハゼについても、詳しくお話を伺いました。
しかし、2019年をもって42年続いた雑誌の連載企画が終了することになり、ネタとして温め続けた焼きハゼを取材することはありませんでした。
さて、食べ物ネタつながりで、私の好きなB級グルメ・石巻焼きそばについても書いておきたいと思います。
震災があった2011年11月12、13日に姫路市で開催された第6回B-1グランプリで、石巻焼きそば(石巻茶色い焼きそばアカデミー)が第6位に入りました。石巻焼きそばは、上に目玉焼きがトッピングされていますが、もう一つ、団体名にある通り、茶色い麺が特徴となっています。そのため、「ちゃちゃ丸」というゆるキャラもいるようです。
初めて石巻焼きそばを食べたのは、第6回B-1グランプリの余韻も冷めやらぬ2011年11月20日でした。石巻駅前にあるお店「くるるん」で頂きました。麺が茶色いのは、二度蒸ししているからだそうです。色のせいで、味が濃いのかと思いきや、そんなことはなく、最後にだし汁を加えて蒸すことから、コクのある味わい深い焼きそばになっていました。
実はその年の暮れ、仕事納めの12月28日に、築地の場外へ行き、今年最後の築地ランチを「きつねや」でと思ったのですが、かなりの行列。ラーメン「井上」の前は更に行列が重なり、通行が出来ない状態になっていました(※場外の話は「築地界隈を歩いてみる - 築地3〜7丁目編」)。仕方がないので、諦めて事務所方面へ戻る途中、築地本願寺前を通りかかったら、石巻焼きそばの看板が!
聞くと、金華山がある牡鹿半島の突端・鮎川地区で、炊き出しボランティアをした際に知り合った、ワカメ漁師の方と意気投合。その支援のためにスーパーキッチンカー「HEARTLUCK」号に乗って、各地のイベントやお祭り会場で東日本大震災・被災地支援の石巻焼きそばを販売、売り上げの10%を石巻支援に使うとのこと。
ちなみに、ブルゾンの胸に入っている「とど千葉」というのは、「とどけようfrom千葉」の略称だそうです。「とど千葉」は、環境活動NPO「まるごみ船橋」が中心となり、船橋市内の経営者や市民団体、有志らで構成され、震災後、宮城県石巻市や仙台市、福島県郡山市、岩手県陸前高田市などの避難所へ物資を届けたり、炊き出しボランティアをしたりして、復興支援活動を実施していたそうです。また「HEARTLUCK」というのは、bayfmで毎週土曜日に放送していた「KOUSAKUのHEARTLUCK」という東日本大震災復興支援番組から生まれたもので、番組MCのDJ KOUSAKUや、彼が代表を務める環境活動NPO「まるごみ JAPAN」と、そこから生まれた「とど千葉」の活動資金集めと、被災地支援のために展開していたようです。
で、「HEARTLUCK」号の石巻焼きそばには、牛すじのトッピングもあるというので、もちろんのせてもらいました。そして最後は、やはり目玉焼きがのるわけです。テイクアウトや外で食べることを想定しているため、冷めてもいけるように、少し味付けが濃くなっていました。というわけで、2011年最後の築地ランチは、予想外の石巻焼きそばだった私です。
ちなみに、鮎川浜のワカメ漁師の方は、津波の時、海に出ていて、最も高い第3波で死を覚悟したそうですが、ダメモトで近くにいた大型貨物船の後を付いて行き、大型船が割ってくれた波の間を通って、大津波を乗り切って助かったそうです。鮎川というと、『生きる街』という映画の舞台になった場所ですね。
ところで、石巻には2回ほど泊まっていますが、どちらも宿は石巻グランドホテルで、夕食は、「石巻で二番目」を標榜する店「さかな処三吉」に行きました。で、わたし的この店の看板メニューは、鯨の刺身で、金龍純米吟醸(一ノ蔵)との相性も抜群でした。もちろん、新鮮な刺身や焼き鳥、それにこれまた、わたし的定番になっていた豆腐サラダなどもおいしく、一番の店を知らないのですが、「石巻で二番目」を自負するだけのことはあると思いました。
▼Pharrell Williams - Happy (Ishinomaki, Japan)
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