築地界隈を歩いてみる - 築地3〜7丁目編

築地本願寺

今日は築地3丁目から7丁目までを駆け足で回ります。

3丁目は、新大橋通りを挟んで2丁目の向かい側になります。北端は築地川公園のわんわん広場という公園です。ドッグランがあるので、そう呼ばれているんだと思いますが、公園には3オン3が出来るバスケットコートもあります。この公園から晴海通りまでが、3丁目になります。

3丁目一のスポットは築地本願寺です。もともとは1617(元和3)年に、西本願寺の別院として浅草近くの日本橋横山町に建立されました。しかし、1657年に「振袖火事」という都市伝説的な話を生んだ、有名な明暦の大火で本堂を焼失。その際、再建のために幕府から与えられたのが、八丁堀沖の海上でした。

そこで佃島の門徒が中心となって、海を埋め立てて土地を築き、1679年に本堂が建立されました。これが「築地」という名前の由来になっています。その後、1923年の関東大震災で再度本堂を焼失。そして34年に再建し、現在の本堂の姿になりました。


その本堂は、ちょっと見、日本のお寺とは思えない外観をしています。インドなどアジアの古代仏教建築をモチーフとした建物は、東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授で建築史家の伊東忠太博士による設計で、ステンドグラスや動物の彫刻などとても特徴的な本堂になっています。

また、本堂の中には、仏教寺院とは思えないもの、パイプオルガンがあります。そして、毎月最終金曜日には、パイプオルガンによるランチタイムコンサートが開催されます。本願寺の中には、「紫水」というレストランもあり、精進カレーなどが食べられます。お寺で精進カレーを食べた後、パイプオルガンの演奏を聴いて、優雅な一時を過ごすことが出来るわけです(※新型コロナウイルス感染症の影響で、4月以降は残念ながら中止しているようです)。

鶴の友が飲めるさらしなの里
3丁目で、もう一つ紹介しておきたいのが、1899(明治32)年創業の手打ちそばの店「さらしなの里」です。築地に店を開いたのは1967(昭和42)年で、場所はちょうど私が働いていた築地細田ビルの裏側でした。その後、2003(平成15)年に現在地に移転。場所が移っても、事務所からは歩いて2、3分だったので、よく食べに行きました。

昼時には、「昼天もり」というランチメニューがあり、週替わりで天ぷらが代わるので、それが楽しみでした。また夜も、何度も利用させてもらいましたが、何を隠そう、私のお目当ては、お酒でした。

さらしなの里には、新潟市内野の銘酒「鶴の友」が置いてあるのです。鶴の友は、蔵元が地元の人の口に合った酒造りを目指し、新潟市以外ではほとんど売られていないことから、県外不出の地酒と呼ばれています。しかし、その旨さは口コミなどで広まり、知る人ぞ知る幻の銘酒となっています。

きつねや
築地場外の行列が出来る人気店「きつねや」
きつねやのホルモン丼
きつねやのホルモン丼

先日のブログで、灯台下暗しで津金ワインが新富町のおばんざいの店にあった話を書きましたが、鶴の友の場合もまさに灯台下暗し。去年、新潟県長岡市での取材が終わり、駅で新幹線を待つ間、駅ナカの「ぽんしゅ館」で猪口5杯が飲める試飲がありました。私は、5杯全部、鶴の友にした上、SNSに投稿するともう1杯無料になるというので、インスタグラムに投稿して、もう1杯鶴の友をせしめました。そんな私のこと、この店に行くと、必ず鶴の友を頂くことにしています。

次なる4丁目は、晴海通りを挟んで1丁目と2丁目の向かいになります。ここには、家内の親友の元カレの実家で、大正時代から続く老舗の寿司店があるんですが、別れてしまったので、紹介はしないでおきます。

築地一の行列店・井上のラーメン
4丁目で最も有名なのは、「金田中」と共に日本二大料理屋と称される高級料亭「新喜楽」です。1875(明治8)年の創業で、98(明治31)年に大隈重信邸の跡地だった現在地に移転しました。口の堅さに定評があり、政財界人や文化人の利用が多いことでも知られます。また、直木賞と芥川賞の発表は、毎回この新喜楽で行われます。

ただ、私のような庶民には、新大橋通りを挟んだ、築地の場外市場の方が、圧倒的になじみがあるのは当然のこと。ここにも、多くの名店がありますが、その一つ「きつねや」は1947年の創業で、朝から行列が出来る人気店です。

店頭の大鍋で煮込まれる濃厚ホルモンを目にすると、並んでも食べたいと思うのは、人間の自然の欲求です。というわけで、ここを通ると、どうしても行列に入ってしまいます。先日、あるSNSの投稿を振り返っていたら、「きつねや」に関して、こんな投稿をしていたのを見付けました。

あゆむ
あゆむの参鶏湯
「今日は午前中に、カメラマンの田中勝明さん、ライターの砂山幹博さんと打ち合わせ。その後、ひよ子(2丁目編に登場。この時はまだあったんですね)でお茶をしてから、感染性腸炎とおぼしき砂山さんを放置し、場外へ。お目当ては、きつねや。田中さんはまだ行ったことがないというので、ご案内。かなり人が並んでいまして、ラーメンの井上と共に、今日も大盛況です」

この投稿にも出てくるラーメンの「井上」は、場外市場一とも言われた人気ラーメン店で、いつも大行列が出来ていました。しかし、2017年8月に発生した火災で「井上」を含めた7棟、935平方mが焼け、以来、休業を続けているようです。今も復活を期待する声は強いのですが、 いまだ帰って来ない「井上」。築地市場の豊洲移転と共に、多くの人が寂しく思っているのではないでしょうか。

4丁目まででだいぶ字数を使ってしまったので、少し早足でまいりましょう。次の5丁目は、築地市場がありましたが、豊洲移転後は、国立がんセンターや朝日新聞があるエリアということになります。

6丁目は波除稲荷神社のそばと、晴海通りをはさんだ向かい側のエリアに分かれています。この6丁目では、「てんぷら 黒川」がお薦めです。昼の天丼は全て同じ値段だったと記憶していますが、迷ったら、ホタテと芝エビの「かき揚げ天丼」を選択すれば間違いありません。

とんかつ八千代
場外の人気店とんかつ八千代と寿司大
最後の7丁目は、6丁目の隣というか、ほとんど境らしい区切りはなく、強いて言えば、築地川公園と明石町、隅田川に囲まれたエリアです。ここも、いろいろな店がありますが、ランチでは、ちょっと趣向を変えてフレンチもんじゃ&参鶏湯「あゆむ」の参鶏湯、夜は「やまだや」推しです。ただ、「やまだや」さんは、一時体調を崩され、休業されていたようで、再開後も席数を少なくして営業されていました。ちなみに現在、新型コロナウイルスの影響で、どのような営業をされているのかは不明です。

だいぶ駆け足になってしまいましたが、豊洲移転以前は、これに築地5丁目の場内市場が加わっていました。ここには場内の一番人気「寿司大」、トンカツ屋だけどチャーシューエッグが人気の「八千代」、コスパ最高の「洋食禄明軒」、あの「吉野家」の1号店などがありました。今は、ほとんどの店が豊洲に移って営業しているようなので、気になる方は訪問してみてはいかがでしょう。

八千代のチャーシューエッグ
八千代のチャーシューエッグ

コメント

  1. 私の宗派は、浄土真宗(東本願寺)ですが、単純に不思議です。
    次回、ご縁様に聞いてみようと思います。

    記事の構成にやられた感じです。
    蕎麦から始まり、赤味噌ややこってり、汁系で和ましておいて、最後はチャーシューカッツリで、、、意図してたんでしょうか。

    返信削除
    返信
    1. 3丁目から順に回っただけで・・・。
      実はこのシリーズ、お店紹介をしたら、テキストを短く出来るだろうと始めたんですが、いくつか閉店の店があったりして、仕方がないのでまとめて書いたら、逆に長くなってしまって、構想が狂っております。。。

      削除
  2. 一度ランチの前に築地本願寺のコンサートに連れて行っていただいことがありました。仏教寺院ながら不思議な雰囲気のあるお寺だと思いました。それよりも、築地本願寺の前の道路に救急テントが並んだサリン事件の印象が強かったことを思い出します。

    場外の名店巡りもしましたね。初めて一人で行った時はどの店も敷居が高く感じて結局「すしざんまい」に入りました。

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    返信
    1. そう言えば、サリン事件がありましたね。写真を探し出して、後付で足しておきましょうかね。

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