美しい風紋を身にまとった砂丘と青い海原のコントラスト

鳥取砂丘

砂丘というと、どうしても『砂の女』を思い出してしまいます。『砂の女』の舞台は、鳥取ではないのですが、鳥取イコール砂丘、砂丘イコール砂の女、とどうしても連想してしまうのです。

『砂の女』は、海辺の砂丘に昆虫採集にやって来た男が、女が一人住む砂穴の家に閉じ込められる物語です。安部公房の代表作で、近代日本文学の傑作と言われ、20カ国語に翻訳されるなど、海外でも高い評価を得ています。

1964年には、原作の安部公房自身が脚本を書き、勅使河原宏監督により映画化されましたが、とても「濃い」作品に仕上がっていました。映画はDVDも出ており、それが2枚組になっています。映画『砂の女』は、封切り時は147分でした。しかし、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞したのは122分の短縮版で、勅使河原監督はその後、122分版を正式版とし、147分版は上映されなくなりました。で、その幻のオリジナル版が、一緒に入っているようです。


と、話が鳥取ではなくなってしまいました・・・。今回の記事は、鳥取砂丘の話です。

初めて鳥取砂丘に立ったのは、今から30年以上前でした。ウェート・トレーニング界の第一人者で、当時、雑誌にコラムの連載をお願いしていた小山裕史さんが案内してくれました。

小山さんは出発前、トレーニング・ジムの玄関からビーチ・サンダルを2足、車に積み込みました。10月も下旬になっていたので、サンダルになってまでは・・・と思いましたが、やはりこれは正解でした。

実際に鳥取砂丘に立つと、眺めているだけでは飽き足りなくなります。砂丘といえば、童謡「月の砂漠」のイメージのせいか、一面の砂の原を想像しがちです。しかし、鳥取砂丘は、意外に起伏があるのです。特に正面に見える馬の背状の小高い丘が、おいでおいで、と手招きをしているように思えてきます。高さ47m。傾斜35度。

鳥取砂丘

砂に足をとられながら登るのは、かなりきついです。しかし、その分、頂上にたどり着いた時の風は爽やかです(ただし、あまり長くいると、季節によっては、日本海から吹き付ける風が尋常じゃなく冷たいです)。頂からは、砂丘の広がりと雄大な日本海が一望出来ます。美しい風紋を身にまとった白砂と、青い日本海のコントラストが見事です。

鳥取砂丘を歩きながら、小山さんから、ある相撲部屋の親方が、部屋の力士たちのトレーニングについて相談しに来られた時の話を聞きました。親方は、鳥取のジムで小山さんに会って開口一番「いやあ、鳥取には、大きな埋立処分場があるんですねえ」と、あいさつしてきたそうです。私のように、鳥取イコール砂丘ではなく、上空から広大な砂丘を見て、ゴミの処分場を連想した模様です。国技館からも近い東京湾の埋立処分場を思い浮かべたんでしょうか・・・。

さて、その2、3年後、ある取材で、また鳥取空港へ飛びました。フライトは快調で、カメラマン氏と取材の下打ち合わせなどしてるうち、あっという間に鳥取空港に降り立っていました。座席から立ち上がり、何気なく前の席を見ると、どうも見たような顔があります。

小山さんでした。声を掛けると、今日、冬季五輪の日本選手団と共にアルベールビルから帰国。解団式が予定よりも早く終わったため、最終便に飛び乗ったのだそうです。

実は前日、久しぶりにお会いしようと、小山さんのジムに電話を入れてみました。しかし、まだアルベールビルから戻っておらず、予定では我々が鳥取を離れる日に帰ってくると、当時、小山さんのアシスタントを務めていた好漢M君が教えてくれました。ムムッ、すれ違いなのね。そう思っていたので、小山さんの顔を見てびっくり。しかし、メダル・ラッシュの興奮も冷めていなかったところでもあり、早速、原稿依頼。アルベールビルを発って24時間、ほとんど寝ていないという小山さんの意識朦朧のところへつけ込み、まんまとOKを取り付けました(編集者の鑑ですね)。


ちなみに、小山さんは当時、日本スピード・スケート連盟、全日本柔道連盟、日本水泳連盟、日本陸上競技連盟などのフィットネス・コーチを務め「メダル請負人」と呼ばれており、アルベールビルではメインで担当した黒岩敏幸選手が銀メダルを獲得しました(関連記事「浅間山北麓、嬬恋高原キャベツ村物語 - 夏編」)。これまで、小山さんが指導した中には、野球のイチローや山本昌、陸上の宗兄弟や伊東浩司、柔道の斎藤仁などがおり、非常に多くのアスリートが、小山さんが提唱する初動負荷理論に基づくトレーニングを実践しています。また、医療機関を含む指導提携契約施設も多く、我が家の近くにある整形外科もその一つで、小山さんの初動負荷理論を基にリハビリプログラムを実施しているようです。

ところで、鳥取の味覚と言えば、松葉ガニを思い浮かべますが、この記事を書いていて、小山さんのジムの隣にある「ホテル ユニオンプラザ」に泊まった時のことを思い出しました。ここは、合宿トレーニングを行うアスリートのために、小山さんが買い取ったホテルで、この日は高校野球のチームが合宿をしていました。で、食事中、監督が生徒たちに一人1杯ずつ松葉ガニを振る舞いました。太っ腹、と思いながら見ていたところ、どうやら数を間違えたらしく、1杯余ってしまい、私もご相伴に預かったことがありました。

松葉ガニは、鳥取のお隣・岩美町で取材をしたことがあります(日本海の荒波と風雪が造り出した自然の彫刻 - 浦富海岸)。撮影をお願いしたのは、このブログの一本目(四季光彩 - 奥日光の自然美 その一)の主人公であるカメラマン氏でした。で、この時、水揚げなどの撮影は早朝だったこともあり、取材が早く終わりました。そこで、カメラマン氏の発案で、温泉に入って、帰りの飛行機まで時間調整をすることになりました。鳥取には、市街地に鳥取温泉、郊外の湖山池近くに吉岡温泉と、二つの温泉があります。

このうち吉岡温泉は、因幡三湯(吉岡温泉・岩井温泉・勝見温泉)の一つとして栄えた古湯で、江戸時代には鳥取藩主池田氏も度々湯治に訪れていたそうです。当時、吉岡温泉館と下湯温泉館という二つの共同浴場があり、我々は吉岡温泉館を選択しました。すると、これがまた熱〜い湯で、聞いたところでは吉岡温泉の源泉は50度以上あり、共同浴場のお湯も45度ぐらいあったようです。そんな共同浴場ですが、今は施設の老朽化に伴い二つとも廃館になり、2018年に移転・新築整備をして、「吉岡温泉会館 一ノ湯」として開業。更に今年4月7日に「滞在型」への転換を図って、リニューアルオープンしたとのことです。

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