浅間山北麓、嬬恋高原キャベツ村物語 - 夏編

嬬恋村

Google Mapに「嬬恋村広大なキャベツ畑」というポイントがあります。嬬恋村は夏秋キャベツで首都圏の80%、日本全体でも約5割のシェアを持つ、日本一のキャベツ産地です。キャベツの作付面積は約3500ha。そのほとんどが村の南側、つまリ浅間山の北側の麓に集中しており、ここが「嬬恋村広大なキャベツ畑」というわけです。

この辺りは夏になると、それこそ一面、緑のジュータンを敷きつめたように広大なキャベツ畑が広がります。だいたい7月から10月中旬の3カ月半が嬬恋キャベツの出荷時期。この間、約21万t、1玉1.5kg換算で約1億4000万玉となりますから、日本の人口より多いキャベツが、嬬恋から全国に届けられていることになります。

嬬恋村

嬬恋村、午前3時。丑三つ時は過ぎていますが、まだまだ草木も眠る時間です。真っ暗な中、農家の人たちがキャベツ畑へ向かいます。トラックやトラクターのヘッドライトが照らし出す畑の中で収穫作業がスタート。菜っ切リ包丁で、キャベツを芯から切リ離します。見る見るうちに、キャベツの列が出来上がっていきます。

この時期、嬬恋高原ではよく霧が発生します。取材に訪れた時も、深い霧に包まれた白い世界の中、どこで収穫しているのか全く分からず、途方に暮れたことを思い出します。車ではどうしようもなく、適当にアタリを付けて畑の近くに寄り、耳を澄ませると、サクッサクッという音が聞こえてきます。そちらの方向へ歩いて行っても、音は大きくなるものの、人の姿は一向に見えません。

嬬恋村
嬬恋のキャベツは柔らかくてみずみずしいのが特徴とされていますが、これは嬬恋高原の霧と朝露のおかげだとも言われます。また、嬬恋村は標高700~1400mの高原地帯にあり、昼夜の寒暖差が大きいため、糖度が上がり、夏野菜特有の甘みを豊かに含んだキャベツに仕上がるのだそうです。

嬬恋でキャペツ栽培が始まったのは、明治の後期、自家用として作リ始めたのが最初だったようです。その後、昭和4年に有志による共同栽培が開始され、昭和8年頃から商品として作るようになりました。以後、どんどん栽培面積が広がり、それにつれて、村は裕福になりました。嬬恋村の村章にはキャベツを図案化したものが採用されていますが、こうした経緯を知ると、それも当然のことかもしれないですね。

こうしてキャベツで豊かになった嬬恋村では、およそ村の4軒に1軒がキャベツ農家という時代がありました。が、その比率は平成に入って年々減少。今では農業従事者全体でも3割程度に減り、キャベツ農家は世帯数の12%ほどとなっています。その一方で、キャベツの収穫面積は増えており、経営の大規模化が進んでいることが分かります。

ところで、嬬恋にはキャベツの他にも、全国に胸を張って誇れるものがあります。それは、アイススケートですが、ここにもキャベツが関わっているそうです。

キャベツとアイススケート、二つの単語だけではまるで判じ物。どこがどうつながるのか分からないのが当然ですが、話を聞くとなるほどと納得します。

嬬恋村嬬恋からはこれまで、オリンピックや世界選手権などで活躍したスピードスケートの選手が何人も輩出されています。特に有名なのは、世界スプリント選手権で日本人として初の総合優勝を飾り、カルガリー・オリンピックで銅メダルを獲得した黒岩彰選手と、アルベールビル・オリンピック銀メダリストの黒岩敏幸選手でしょう。

スケート王国とも言える嬬恋村のアイススケートは、昭和30年代後半に、嬬恋西小学校の教諭だった宮崎守さんのアイデアで作られた田んぼリンクがルーツとなっています。宮崎さんは、冬には氷点下になる嬬恋村の気候を利用して、田んぼに水を張ってスケートの授業をすることを思いついたのです。

これに協力したのが、嬬恋のキャベツ農家でした。嬬恋のキャベツは4月中旬から植え付けを始め、7月から10月中旬にかけて収穫します。この間、キャベツ農家は朝早くから夜遅くまで働きますが、それらの作業がない冬は、比較的時間が自由に取れます。そこで、多くのキャベツ農家が田んぼリンクの整備を手伝いました。

こうして子どもたちのスケート活動の場が提供され、宮崎さんが、この田んぼリンクで熱心に子どもたちを指導。その結果、黒岩彰、黒岩敏幸両選手を始め、黒岩美智子、黒岩恵子、黒岩康志、黒岩宗久各選手など、日本を代表する選手が次々と輩出されました。

キャベツの出荷が終わリ、一息つくと、嬬恋はじきに雪と氷の季節。湯治に行ったリ、日本各地のスケート競技会に旅行がてら出かけたリ、キャベツ農家待望の季節となるのです。

冬編につづく

■追加情報:記事に書いたスケート選手の名前が全員「黒岩」さんだったわけですが、嬬恋村の「黒岩」率は実に21%だそうです。はてなブログ「嬬恋村の自然と風土みてある記」に「黒岩姓はどこから来たか?」という記事が載っているので、興味のある方はそちらをどうぞ。

コメント

  1. 訪れたことがない嬬恋。ますます興味が湧いてきました。
    吉田拓郎の「つま恋」と勘違いしていましたが、あちらは静岡県ですよね。

    田んぼリンクってどんな感じなんでしょう。冬の写真はないんですか?(笑)

    返信削除
    返信
    1. 嬬恋の冬の写真は、今日のブログでアップしようと思っていますが、残念ながら田んぼリンクの写真はありません。

      嬬恋では、黒岩選手たちの母校・嬬恋高校などに本格的なスケートリンクが出来ているようですが、40年近く前、黒岩彰選手の話をヒントに福島県川俣町でも田んぼリンクを作り、それが今も続いているようです。周囲も雪に覆われているので、田んぼには見えませんけど、これだけの広さに水を張って、リンクを整備するのは大変でしょうね。
      https://www.driveplaza.com/trip/michinohosomichi/ver131/

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