四季光彩 - 奥日光の自然美 その一
「二、三日前から禁漁となった湖は、黄、紅白、濃淡の緑と、とりどりに彩られた山々の姿を逆さに、鮮やかに映していた。が斯うしたこの湖の誇りも、やがてひと月の後には、氷と雪に封じられて死の湖として永い冬を過ごさねばならないのだ」
これは、大正時代に活躍した作家・葛西善蔵さんの『湖畔手記』の一節です。葛西さんは大正13年秋、奥日光・湯ノ湖畔にある湯元温泉に2カ月ほど滞在して、これを書き上げました。
かつて、そんな奥日光に、1年を通して通ったことがあります。当時よく一緒に仕事をしていたカメラマン氏に付き合っての行軍でしたが、寒いのが嫌いな私にとって、こんなことでもなければ、厳冬の奥日光に行くことはなかったと思います。
関東にありながら、奥日光の冬は長く厳しいことで知られます。見事な紅葉も、その冬を前に精いっぱいの輝きを放っているようで、それがまた、見る者の心を捉えるのではないでしょうか。でも、冬は決して死ではありませんでした。雪と氷に覆われた湖の岸辺で、じっと眠ったように春の訪れを待つ木々の枝にも、固い蕾が見られ、かえって自然の生命力を強く感じさせてくれたものです。
で、奥日光の撮影行ですが、2月にはカメラマン氏の希望により、まさしく氷と雪に封じられた湯ノ湖で、厳冬の幻想的な早朝の光を撮影しよう、ということになりました。ロケハンをしながら土地の人に情報を聞き、その後、宿の人から渡された新聞で日の出時間を確認して当日に備えました。土地の方から、早朝には氷点下20度近くまで下がると聞いた私、こりゃ初めての経験だわい、厳寒の中でモーニングコーヒーを飲むのだ!とはしゃぎながら「万全の」準備をしたものです。
翌朝、目覚まし時計にたたき起こされ、眠い目をこすりながら外を見ると、金精峠から雪と風が吹き降りているらしく、暗がりの中、街路灯が霞んでいました。眠いのと寒いのもあり、「こんなんで朝日出るか?」と、昨夜とは打って変わったテンションになったものの、何とか意を決して着替えを敢行。氷点下20度と聞いたため、ダウンの重ね着をした私は、何だか肉襦袢か着ぐるみを着たような出で立ちになっていました。
ただ、宿から出たとたん、冷たく激しい風が、雪と共に体当たりを食わせてきて、その格好がオーバーではないことを知らせてくれました。玄関の外にある寒暖計は氷点下12度を示していました。
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前日、ロケハンをしてあった撮影地点に着くと、空が少し明るくなってきました。でも、朝日はなかなか出て来ません。新聞で見た日の出時間から既に30分も過ぎています。何かおかしい。「まさか、今頃の太陽は男体山の方角から出るんじゃないだろうな」なんて疑念が胸をよぎります。「だいたい宿の人が貸してくれた新聞、スポーツ紙だったよな。あれ、海釣り用の情報じゃないか?」などと、よからぬ考えも浮かび始めます。
そんな中、やはり同じ思いだったであろうカメラマン氏が、寒さに震えながら声を掛けてきました。
「仕方ないから、例の熱々のモーニングコーヒーを飲もうよ」
そう、その一言で気付いてしまったのです。そして、地吹雪に霞む男体山を呆然と見やりながら、こう答えました。
「コーヒー? 忘れてきました」
「万全の」準備をしたはずなのに・・・。その後は二人とも無言のまま、厳寒の湖畔でガタガタ震えながら日の出を待ちました。
結局、到着から1時間以上が経ってようやく、朝日が顔を覗かせました。そうです、その日の日の出は男体山の方角、しかも頂上付近からだったのです。
※ちなみに、宿に帰って熱々のコーヒーを飲み、人心地がついたところで確認したら、新聞の日の出情報はやはり海釣り用でした。
逆に行けなかった市町村はありますか?
返信削除是非コロナ禍が収束したらライフワークで続けてください。期待しています。
市町村単位では、行っていない所はまだまだあります。今は時間があるので、地図にマッピングしてみようかと思います。
削除ブログは少しでも続けられるよう、一本目を「その一」にしたんですが、「その二」で終わらないようにしたいと思います(笑。。。