日本の原風景を見るような環状集落・荻ノ島を訪ねて
昨日のブログで、新潟県中越地震の際、柏崎の人たちが、長期にわたって小千谷市総合体育館で昼食の炊き出しを続けた話を書きました。その中心となったうちの一人坪田さんには、1997年にあることで取材させてもらっており、大学の先輩(しかも同学部)ということもあって、炊き出しの件を聞いた時には、さっさと同行を決めたものです。
2007年7月16日、今度はその柏崎を、マグニチュード6.8の激震が襲いました。新潟県中越沖地震です。柏崎市は震度6強を観測。新潟県中越地震から3年を経たずして起こった巨大地震に、日本中が驚き、また被災された方たちの心中に思いをはせました。
3年前の中越地震と同様、この時も、明石の橋本維久夫さんを中心に炊き出しが計画されました。しかも、中越地震の時の参加者に加え、青森県つがる、東京、千葉県野田、奈良県生駒、兵庫県の神戸と姫路からも参加があり、更に中越地震の炊き出しで知り合った、長岡のMTさんが、現地コーディネートを担当してくれ、輪が大きく広がっていました。
以前のブログ(「震災後初のゴールデンウィークに新地町で炊き出しイベント」)に書きましたが、橋本さんはいつしか、仲間内では「大体長(※大隊長ではありません)」と呼ばれる存在になっていました。で、この記事を書くため、当時飛び交っていた打ち合わせメッセージを見ていて、橋本さんが大体長と呼ばれることになったきっかけを作った犯人が分かりました。それは、神戸のDHさんで、参加者に呼び掛けるメッセージで、DHさんは「大隊長(本当は大体でええやろう)の橋本さんから指示があり・・・(中略)・・・既に大体長(わざと間違ってます)から・・・」と書いており、以後の流れを作ってしまったようです。
それはともかく、炊き出しは9月1日に200戸の仮設住宅があった刈羽村の源土運動広場で、翌2日には柏崎市西山町のいきいき館でそれぞれ実施しました。柏崎では、ボランティア・センターに詰めていた岩手県立大学の学生ボランティアがさまざまな企画を練り、お年寄りから子どもまでが楽しめるイベントを用意。また、小千谷で昼食の炊き出しを続けた坪田さんたちも、自分たちが被災しているにもかかわらず、駆け付けてくれました。
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この中越沖地震から1年が経った2008年7月、同じ柏崎でも内陸部にある高柳町を訪問しました。高柳町は、地震の2年前、05年に柏崎市に編入合併。で、この時の目的地は、旧高柳町の中心から4kmほど山間に入った荻ノ島でした。荻ノ島は「環状集落」と呼ばれ、その名の通り田んぼを囲むようにして、茅葺きの家が円形に並んでいます。荻ノ島のことは、図書館で手にした1冊の本によって知りました。以前のブログ(「築地界隈を歩いてみる - 築地1丁目編」)でも触れましたが、ネットの情報が今ほど充実していない頃は、よく図書館に通って、取材先を探していました。そこで荻ノ島を見つけたわけですが、まさに日本の原風景と言えるようなたたずまいに、いっぺんに引かれたものです。
で、この荻ノ島はもとより、高柳町にも鉄道は通っていません。最寄り駅はというと、JR飯山線の十日町駅か、北越急行ほくほく線のまつだい駅になります。十日町駅からは車で約30分。十日町ならレンタカーもあるので第一候補とし、上越新幹線越後湯沢駅でレンタカーを借りるプランを第二候補にしました。しかし、荻ノ島のことを調べると、集落を一周しても1kmないらしく、さて車が必要なんだろうか、と思ってしまったわけです。
そして最終的には、現地で車がいらないなら、タクシーで行けばいいか、となりました。しかし、これが間違いの元でした。まさに「行きはよいよい 帰りはこわい」だったのです。
往きは、十日町駅前でタクシーに乗り込み、すんなりと荻ノ島へ連れて行ってもらえました。そして、集落を撮影。思っていた以上に美しい風景で、周辺部も含めて、あちこち歩いて回りました。
荻ノ島では、1908(明治41)年に大きな火事があり、その時にほとんどの古文書が焼失してしまったそうです。そのため、いつ頃から集落が出来たのか定かではないのですが、集落の中で縄文時代中期と推定される遺跡が発掘され、既にその時代、人が暮らしていたであろうことが分かります。また、焼失を免れた古文書で、1184年の宇治川の戦いに敗れた木曽義仲の残党の一部が、荻ノ島に落ち延び、村に住み着いたと伝えられており、少なくともその頃には集落があったと推測されています。
集落には現在も、25世帯55人ほどが住んでいますが、高齢化が進み、農業の担い手が少なくなっているそうです。そのため、集落に暮らす人たちの考え方や山の暮らしに共感して、一緒に農業を実践してくれる人を、地域おこし協力隊の制度を活用して募集。現在、荻ノ島の暮らしや活動・考え方に共感する若者数人が、集落に住みながら「農業プラスα」のライフスタイルを実践しているとのこと。
ところで、「帰りはこわい」の方ですが、私、帰りもタクシーを使う気でいました。しかし、集落で出会ったおばあさんに聞いたら、タクシーは、4km離れた高柳町の中心まで行かないとない、と。がーん!ですが、もうこれは歩くしかないわけです。幸い、私は歩くのが猛烈に早く、一度、早足で歩いていた時、道沿いで談笑していた女子高生から「あのおやじ、早くね?」と感嘆の声があがったほどです。で、普通に歩けば1時間はかかるでしょうが、私は40分強で走破ならぬ歩破。しかし、1台きりのタクシーは、柏崎の病院までお年寄りを送って行っていて、もう少ししないと戻って来ない、と。再びがーん!ですが、もうこれは待つしかないわけです。
しかも、とても親切なお宅で、「どうぞ上がってください」と家に上げてくださった上、お茶やお菓子などを出して、ひとしきり高柳や荻ノ島の話を聞かせてくれました。結果、「帰りはこわい」どころか、「帰りは楽し」だったんですが、とにもかくにもかなり印象深い取材行となりました。
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