ユネスコ無形文化遺産・小千谷縮の雪さらし

小千谷縮雪さらし

「雪中に糸となし 雪中に織り 雪水に濯ぎ 雪上に晒す 雪ありて縮あり 雪こそ縮の親と言うべし」

江戸後期の商人で、随筆家でもあった鈴木牧之は、当時の魚沼地方の生活を描いた『北越雪譜』の中で、小千谷縮をこう表現しています。

小千谷縮は、昔からあった越後上布に改良を加えたものです。緯糸に強い撚りをかけた織物を、お湯の中で丹念に強くもむことで、ほどけた布に「シボ」と呼ばれる独特の細やかなしわが出ます。1955年に国の重要無形文化財第1号指定を受けた他、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されています。ちなみに重要無形文化財の指定条件には、使う糸や織機の他、湯もみ、雪さらしなどの技法も示されています。

雪さらしは、本来は晴れた日に行いますが、小千谷の冬を彩るイベント「おぢや風船一揆」では、デモンストレーションとして天候に関係なく実施されます。2012年に、おぢや風船一揆に行く機会があり、その際、粉雪が舞う中、雪さらしが披露されていました。

▲小千谷紹介観光ビデオ「小千谷風船一揆」(小千谷市観光協会)

雪にさらすことで麻生地が漂白されると共に、麻糸が更に鮮やかさを増し色柄を引き立てます。その科学的根拠として、一般にはオゾンの漂白効果が挙げられます。実際に日本雪氷学会が雪上のオゾン濃度を調べたところ、確かに晴れた日に上昇し、雨の日は低下する傾向が見られたそうです。ちなみに、雪の日は雨の日ほど濃度の低下はなかったそうですが、やはり晴れた日の方がいいのでしょう。それを経験則として取り入れていた先人の知恵には脱帽するしかありません。

おぢや風船一揆は毎年2月下旬、2日間にわたって開催されます。日本を代表する熱気球大会「日本海カップクロスカントリー選手権」を兼ねたイベントで、今年で45回目となるはずでしたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となりました。

以前は、競技と各種イベントが同一会場で行われていたようですが、雪が少なかった13年前に、競技とイベントを別会場で実施してから現在の形式になったと聞きました。イベント会場では、熱気球試乗体験やうまいもの市場、雪像コンテストなどが実施され、多くの市民や観光客で賑わいます。

おぢや風船一揆雪像コンテスト

小千谷市は、新潟県のほぼ中央、いわゆる中越にあります。2004(平成16)年10月23日に起きた新潟県中越地震では、小千谷でも震度6強の揺れを観測しました。しかも、最初の揺れから15分後に震度6の烈震が、更に20分後には再び震度6、そして2時間ほど経った頃にも3度目の震度6が小千谷市を襲いました。

地震から数日後、出張先の岩手県平泉にいる時、災害の被災地支援に熱心な明石の橋本維久夫さんから、中越地震の炊き出しに行くと連絡をもらいました。ちょうどその日、ホテルのロビーに取材先の方が迎えに来られた際、ソファから立ち上がったとたん、ぎっくり腰になってしまった私、さてどうしたものか、かなり迷ったものです。でも、取材も兼ねて、やっぱ行きべきだよなあ・・・と。

ただ、新幹線はまだ、脱線車両が現場に残されたままで不通。そこで羽田空港から臨時便が飛ぶことになった新潟空港まで行き、あとは在来線で移動することにしました。しかし、松戸の友人・高橋昌男さんから、炊き出しに参加するため車で移動していると連絡があり、途中駅でピックアップしてもらい、集合場所の長岡大手高校へ向かいました。

新潟県中越地震炊き出し

長岡大手高校には、全村避難となった山古志村の方々がおり、ここで明石や大阪の仲間が持参した支援物資を降ろし、次に600人が避難していた新潟大学付属小学校へ移動。ここで、うどんの焚き出しを行いました。

この炊き出しの後、沿岸部の柏崎の人たちが、小千谷の避難所で毎日昼食を提供していることを知りました。これは、取材でお会いしたことのある坪田秀雄さんを通じてもたらされた情報で、震災5日後の10月28日から毎日、小千谷市総合体育館で炊き出しを続けているとのことでした。

新潟県中越地震炊き出し

この体育館は避難所となっており、坪田さんの友人・上森一利さんが、小千谷に住む知人に水を届けた際に寄ったところ、約3000人の人たちでごった返し、食べる物も十分にない状態だったそうです。そこで上森さんは、自らが会長を務める柏崎ライフセービングクラブに声を掛け、炊き出しの実施を提案。同時に、坪田さんにも相談したところ、二人が所属するライオンズクラブでも炊き出しに協力することになり、長期にわたる炊き出しボランティアが始まりました。これには、新潟産業大学の学生を始め多くの市民ボランティアが参加。毎朝9時に柏崎日本海ライオンズクラブの事務局前に集合し、車に分乗して小千谷市総合体育館へ向かうことになりました。

新潟県中越地震炊き出し

私も1日同行させてもらいましたが、帰り際、坪田さんは「柏崎市も大きな揺れ(震度5弱)に見舞われ、市内全域で道路破損が発生し、また山間部を中心に家屋の被害も出た中で、より被害のひどい地域の手助けに市民が一丸となって取り組むことが出来た。忙しい中、参加してくれた皆さんに感謝したい」と話していました。

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