豊かな自然に恵まれた里海里山の町・南三陸
南三陸町は宮城県北東部、豊かな自然に恵まれた里海里山の町として知られます。海に面している町の東側は、リアス式海岸特有の景観を持ち、沿岸部一帯が三陸復興国立公園に指定されている他、中心にある志津川湾は「ラムサール条約登録湿地」に登録されています。その一方、西と北、南西は、北上山地に連なっており、町域の70%以上は森林が占めています。
地球上の沿岸地域には、海域や水深、底質によって、さまざまなタイプの「藻場」があります。そのうち、日本の代表的な「藻場」は、「アマモ場」、「アラメ場」、「ガラモ場」、「コンブ場」の4タイプになりますが、志津川湾は、これら全ての「藻場」が発達。しかも、暖かい海で見られる海藻のアラメと、冷たい海を代表する海藻のマコンブが混生しているのです。
こうした多様な藻場が発達しているのは、寒流の「親潮」と暖流の「黒潮」、更に日本海を北上する対馬暖流が津軽海峡を抜けて、三陸沿岸に沿って南下する「津軽暖流」の三つの海流の影響をバランスよく受けているためとされています。そのため、180種を超える海藻類が確認されており、その他の生き物に関しても、とても多様性の高い湾になっています。ちなみに、「海藻」と「海草」は別って知ってました? 「海藻」は、文字通り藻類のことで、胞子によって繁殖します。海藻の根は栄養吸収のためではなく、岩に固着するためのもので、葉色によって緑藻・褐藻・紅藻の3種類に分けられます。世界に約2万種の海藻類がありますが、食用にされるのはコンブに代表される褐藻に多く、全部で約50種程度だそうです。一方の「海草」は、海の中で花を咲かせ、種子によって繁殖します。日本の代表的「藻場」である「アマモ場」のアマモは、この「海草」になります。
さて、「ラムサール条約登録湿地」としての志津川湾ですが、藻場としては日本初のラムサール条約登録地となりました。日本のラムサール条約登録湿地には、釧路湿原、尾瀬、奥日光などがあり、湿地と言うと、つい湿原を連想してしまいがちです。しかし、実際には南三陸のような藻場や、沖縄のマングローブ、サンゴ礁、更には水田とかため池も含まれます。
ラムサール条約の第1条第1項には、「この条約の適用上、湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(塩水)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6mを超えない海域を含む」と定義されています。
この志津川湾を望む高台に、何度か宿泊させてもらった「南三陸ホテル観洋」があります。ホテル観洋も、津波により2階まで浸水しました。しかし、岩盤の上に建てられていたため、建物自体は無事でした。これは、創業者である先代が、チリ地震津波の経験から、地震と津波に強いホテルを建てたためだそうです。
震災後、ホテル観洋では、被災した約600人の町民を受け入れ、9月まで避難所の役割を担っていました。最後の被災者がホテル観洋から仮設住宅に移ったのは9月1日。そこから通常営業を始めましたが、当初は、復興工事の関係者やボランティアで、なかなか予約が取れない状態でした。
そのため、私が最初に宿泊したのは、震災の年の暮れ、2011年12月20日のことでした。この時は、大船渡屋台村のオープンを取材した後、南三陸まで移動し、ホテル観洋にチェックインしました。客室からは志津川湾が望め、夜景も、また朝の志津川湾も美しく、とても素敵な宿でした。
ホテル観洋から、国道398号線を南へ下り、石巻方面へ向かうと、石巻編(「復興のシンボル『がんばろう!石巻』の大看板」)で触れた「神割崎」へ出ます。「神割崎」は、南三陸と石巻の境で、ここから石巻市の北上町十三浜に入ります。
「神割崎」の辺りには、その昔、長清水浜(現・戸倉長清水)という村がありましたが、隣の十三浜村との境界は、はっきりしていなかったそうです。ある日、大きなクジラが浜に打ち上げられました。しかし、境が確定していなかったため、二つの村でクジラの取り合いになってしまいます。そしてついに争いが起こったその夜、雷が落ちて岬もクジラも真っ二つに裂けてしまいました。「これは神様の裁きに違いない」と考えた人々は、二つの村でクジラを分け、以降は割れた岬を村の境界に定めたと言い伝えられています。で、ここは2月中旬と10月下旬の年に2回だけ、岩の間から登る日の出を望むことが出来ます。私は、2度のロケハンを経て、2014年10月24日に、神割崎の日の出を撮影しました。5時半頃に神割崎に着き、三脚などをセット。空が染まり始めたのが5時45分頃、そして朝日が顔を覗かせたのは5時55分頃でした。そこから約10分間、波しぶきのタイミングを計りながら、撮影を続けました。
実は前日、南三陸さんさん商店街で、沖縄県恩納村から来られた女性とお会いし、神割崎のことを話したところ興味を示され、その時、一緒にいた南三陸の工藤泰彦さん(「がれきの町から踏み出した復興への歩み」)と共に、早起きをされてこの撮影にお付き合いくださいました。この時は他にも、撮影に来られていた方が数人いたのですが、その中に、朝日をバックに踊っている人がいました。後に、Youtubeでファレル・ウィリアムスの「Happy」南三陸バージョンを見た時、その踊り手を発見。「あっ! これだ」と笑ってしまいました。動画を埋め込んでおきますが、及善商店の及川善祐さんや雄新堂の阿部雄一さんも出演しています。
▼Pharrell Williams - Happy MINAMISANRIKU MIYAGI JAPAN
志津川から神割崎へ行く途中に、「たみこの海パック」というお店があります。「たみこの海パック」を知ったのは、震災の翌年だったと思いますが、その後、2014年の2月に、2013年度のふるさと納税返礼品として、南三陸町から「たみこの海パック」が届きました。震災後、被災地へふるさと納税をしていましたが、復興支援のためだったので、特産品のお返しは期待していませんでした。しかし、この年度分から特産品が送れるようになったとのことで、復興がワンステップ進んだのだろうと思いました。そんなこともあり、神割崎の日の出を撮影した際に、お店に寄らせてもらい、代表を務める阿部民子さんとお話をしてきました。
地震の時、いつもは一緒にワカメを干す作業をしているご主人が、あの日はなぎで海が穏やかだったため、珍しく漁へ出ていたそうです。で、海の上でも地震が感じられ、ご主人はそのまま沖へ避難。がれきの海を何とか港とおぼしき場所に戻ってきた時には、集落は全て流されていました。その集落で、船が残ったのは民子さんの家だけ。
そのため、ご主人は他の漁師のために、共同事業として漁を再開することを決意。が、元々は山形の米沢出身で、津波によって海の恐ろしさを知った民子さんは、南三陸を離れることを希望していました。それでも、日が経つにつれ徐々に、水産加工と観光で生きていた南三陸を復活させたいと思うようになり、「たみこの海パック」を立ち上げたのだそうです。それ以来、店の方に伺う機会はないのですが、ふるさと納税の返礼品では、「たみこの海パック」が届いています。直近の2020年度分は、山内正文さんの山内鮮魚店と、三浦洋昭さんのマルセン食品の製品が入っていました。
現在、「たみこの海パック」がある戸倉地区では、環境配慮型養殖へ転換し漁場改革を行った結果、2016年に日本初となるASC国際認証(国際規準の養殖エコラベル)を取得。2019年には、戸倉カキ部会が農林水産祭の水産部門で最高賞となる天皇杯を受賞しています。
南三陸ではまた、森~里~海の循環的な資源利用を図る「南三陸町バイオマス産業都市構想」を展開しています。町内の団体がそれぞれ国際的な森林認証制度のFSC認証を取得。それに海のASC認証が加わったことにより、南三陸は、山と海の二つの国際認証を取得した団体が両方存在する自治体となりました。これは、日本初、世界でも非常にまれな事例とのことで、大きな注目を集めています。
2013年8月23〜25日、そんな南三陸町で、岐阜県土岐市内6中学校の1年生から3年生37人が参加して、「震災復興支援ボランティア・ユースキャンプ」が行われました。復興屋台村気仙沼横丁のオープンに当たって、300個以上の岐阜提灯を提供する原動力となったKMさん(「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」)らが企画、実施したもので、生徒たちはボランティア活動として、植樹や畑の草取りをした他、被災現場を視察したり、被災された方の体験談を聞くなど、中身の濃い3日間を過ごしました。
キャンプの拠点は、里山の風景が美しい入谷地区。宿は、大正大学の援助で建設され、地元有志によるNPOが運営する宿泊研修施設「いりやど」で、ボランティア活動も入谷地区で行いました。最初のプログラムで被災体験を話してくれたのは、「いりやど」近くの仮設住宅に住む工藤泰彦さんでした。
参加した生徒たちに話を聞くと、被災地での体験学習と共に、この工藤さんと、2日目に講話してくれた地元高校生の話がとても印象に残ったと言っていました。特に「当たり前だと思っていた日常が、当たり前ではなくなる現実」「今日という日を大切に生きること」「家族や友達とのつながり」など、二人に共通する話を、キャンプの収穫に挙げる生徒が数多くいました。
この時、拠点となった「いりやど」の理事兼料理長を務めるのが、当時、さんさん商店街に出店していた「季節料理 志のや」の高橋修さんでした。高橋さんは、南三陸を明るく楽しく元気にすることを目的に活動する「南三陸復興ダコの会」を立ち上げ、「オクトパス君」をプロデュースしたり、南三陸町飲食店組合会長として「南三陸キラキラ丼」を普及させるなど、パワフルでアイデア豊かな方です。
一度、「志のや」で夕食を取った際、板場にあった玉子がおいしそうだったので、単品で注文出来るか聞いてみたら、イケメンの板前さんが、「食べてみますか」と切ってくれました。本来は丼に入れるものらしく、特別に出してくれ、その上ご馳走になってしまいました。以来、南三陸での食事は「志のや」ファーストとなりました。
入谷地区には、「いりやど」の他に、2015年にオープンした「i-room 南三陸」というホテルがあります。一応、レストランはありましたが、事前予約制になっていて、私は最初に泊まった時、夕食の予約をしていなかったので、外へ食べに行きました。で、近くに「和来」という居酒屋さんがあったので、そこに入ってみました。
「和来」は、志津川で30年続いていた「さとみ」という店が元で、津波で流されたため、家族で避難生活を送っていたところ、常連さんたちから励まされ、入谷にある奥さんの実家の一部を改装して店を再開。その後、店舗も看板も一新して「和来」として再スタートを切ったそうです。最初は、せせりの塩焼きで冷酒をちびちび飲んでいたのですが、なかなかおいしく、次々頼んだ挙げ句、最後にももの塩焼きまでオーダーして、満腹になってホテルへ戻りました。
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