南相馬市小高区で帰還準備のお手伝い
私はそれまで、福島県ではいわき市や相馬市、新地町、飯舘村などへは行っていましたが、南相馬へはまだ行ったことがなかったため、この機会に同行させてもらうことにしました。前日、栃木での取材が入っていたので、そのまま福島まで行き、朝、福島から南相馬へ回ることも考えましたが、OTさんたちの予定を聞いて、いったん自宅に戻り、当日、改めて福島経由で南相馬へ向かうことにしました。
なんせ、OTさんたちの地元・岐阜県各務原から南相馬市までは片道約680km、車で約8時間の行程です。予定では、早朝4時に各務原を発ち、昼の12時に南相馬市のボランティアセンターに到着するという話でした。福島からだと、川俣町と飯舘村を経由して車で約1時間半なので、OTさんたちががんばって移動している間、福島のホテルでのうのうと寝てるのも悪いと思ったわけです。
とはいえ、朝、自宅から出発したとしても、私の移動時間はOTさんたちの半分もかからないので、当日、OTさんたちと合流する前に、地元の方から少しお話を伺うことにしました。
南相馬市は、2006年に、原町市と相馬郡の小高町、鹿島町の1市2町が合併して誕生しました。その5年後に発生した東日本大震災では、最大震度6弱を記録。その後の津波で約1800戸の住宅が流されました。更に、福島第一原発の事故により、南相馬も一部地域が「警戒区域」や「計画的避難区域」に指定され、大変な状況に追い込まれました。
その後、2012年4月16日に避難区域が「避難指示解除準備」「居住制限」「帰還困難」の3区域に再編されました。これにより立ち入りが自由になった地域もありましたが、宿泊は依然として禁止され、戻って来ることが出来ない市民がまだ大勢いました。南相馬市の震災前人口は約7万人。しかし、訪問した当時は市内在住者約4万4000人(自宅約3万4000人、仮設・見なし仮設など約1万人)、市外避難者約2万人で、5000人以上が転出していました。
OTさんたちが活動を予定していたエリアは、南相馬市の中でも最も原発に近い小高区(旧小高町)でした。OTさんは、各地のボランティアセンターとコンタクトを取る中、南相馬市ボランティア活動センターから、小高区での活動を依頼され、それに応じることにしたものです。
小高区は福島第一原発から20km圏内にあり、事故当初は「避難指示地域」でした。その後、「警戒区域」から、2012年の避難区域再編で「避難指示解除準備地域」となり、お盆や年末年始、ゴールデンウィークなどの特例宿泊が実施されることになっていました。そこで、住民が帰郷される準備作業の手伝いをしてほしいとのことで、具体的には、小高区の個人宅及び周辺地域の除草作業と家財出しを実施することが依頼されていました。
OTさんたちは、この作業とは別に、ボランティアセンターへの飲料水提供も実施。これはボラセンから、帰宅世帯とボランティアへの配布用として、ミネラルウォーター、お茶、スポーツ飲料等の具体的な要望があったそうです。そのため、OTさんたちは、自分たちが乗るマイクロバスの他、トラックも手配し、500ml入り1200本と2リットル入り300本のミネラルウォーターを運んできました。
各務原から到着した一行は、休む間もなく、トラックに積んできた支援物資と草刈り機を荷下ろし。ボランティアセンターの方からは、同じ東日本大震災の被災地でも、原発事故に関わるエリアは、避難指示が続いていたため、被災家屋の清掃や家財道具の運び出しなど、震災当時と変わらない住民ニーズがあると説明を受けました。また、雑草が恐ろしい勢いで町を覆っていることから、草刈りの依頼も非常に多いという話でした。その一方、ボランティアセンターの方たちを驚かせたのが、参加者各自が持参した草刈り機でした。何人かの仲間でボランティアに来てくれたグループは、これまでもあったものの、各自草刈り機を持参してのボランティアは初めて、と目を丸くしていました。それは、はっきり言って私も同感でした(笑・・・。
草刈り機の準備が整うと、OTさんたちは、派遣要請のあった個人宅へ移動。家の方の希望を聞きながら、不用になった家財道具や家電製品を搬出したり、持参した草刈り機で約600坪の敷地を覆った雑草を刈り取ったりした。私も、OTさんの草刈り機を借り、機械での除草作業を体験。自宅は、改築をした際、雑草が生えないよう、コンクリートを打ってしまったので、ほぼ除草の手間はなく、これが恐らく、最初で最後の草刈り機体験になったと思います。
作業終了後、OTさんたちは宿泊先の仙台へ向かい、翌日は宮城県の沿岸部を回ると話していました。私は、ここでお別れしましたが、帰り際、皆さんは「今回、時間のある限り作業に取り組みましたが、やるべき仕事はまだまだ多いと感じました。これで帰るのは大変心残りです。今後も継続的に支援に取り組みたいと思います」などと話していました。
ところで、ボランティア活動をしたお宅の側には、相馬小高神社がありました。この神社は、奥州相馬氏の居城であった小高城跡にあります。今も、土塁など当時の面影が残っており、近隣の住民からは、「紅梅山浮舟城」と呼ばれ、親しまれているそうです。
相馬小高神社はまた、「相馬野馬追」の野馬懸の祭場地として知られています。「相馬野馬追」は、相馬中村神社(相馬市)、相馬太田神社(南相馬市原町区)、相馬小高神社の3社の祭礼で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。このうち、相馬小高神社境内で行われる野馬懸は、多くの馬の中から、神の思し召しにかなう馬を捕らえて、神前に奉納する古式に則った神事で、これをもって3日間にわたる相馬野馬追祭は幕を閉じます。
コメント
コメントを投稿