「東北のハワイ」いわき市のお勧めスポット

波立海岸 弁天島

いわき市は1966年に14市町村が合併して誕生。当時、日本一面積が広い市として話題になりました。福島県東南端にあり、1年を通じて比較的温暖な気候から「東北の湘南」と呼ばれたり、フラガールで知られるスパリゾートハワイアンズがあることから「東北のハワイ」と呼ばれたりしています。

東日本大震災では震度6弱を記録すると共に、最大8.6mの津波に襲われ、甚大な被害を受けました。また、福島第一原子力発電所事故によって市北部が屋内退避区域に指定されたこともあり、人口のおよそ半分に当たる約15万人が一時市外に避難しました。

岩間海岸

その後、いわき市は放射能の空間線量が低いことが分かり、3カ月ほどでほとんどの市民が戻りましたが、子どものいる家族を中心に半年間で約7000人の人口が転出しました。一方、原発に近い自治体から、いわき市に避難してきた住民が、ピーク時には約2万5000人を数え、今も約1万8000人が暮らしています。

そんな中、いわき市では「津波被害、原発事故による風評被害など、被災地の現状や被災者の体験を伝え、防災・減災につなげよう」と、震災翌年の12年2月に被災地スタディ・ツアーを企画。双葉郡からの避難者の雇用促進も兼ね、2016年頃まで実施していました。

広野火力発電所
楢葉町からいわき市方面を望む

ツアー内容は、年によって変化していましたが、例えば「久之浜/北コース(浜風商店街、楢葉・富岡の被災地域視察)」、「薄磯/久之浜コース(いわき市薄磯地域の被災地視察と、いわき市出身の詩人草野心平ゆかりの地を巡る)」、「みろく沢/薄磯コース(常磐炭田発祥の地・みろく沢石炭の道散策と国宝白水阿弥陀堂視察、いわき市豊間・薄磯地域の被災地視察)」、「四時/薄磯コース(いわき市民の水源である四時ダムの視察と、いわき市豊間・薄磯地区の被災地視察、山門の彫刻が左甚五郎作と伝えられていれる賢沼寺訪問)」などのコースが設けられていました。ここに挙げた中では、津波被災地と原発関連の双葉郡を巡る「久之浜/北コース」への参加者が最も多かったようです。

「久之浜/北コース」訪問先の一つ、「浜風商店街」は、震災から半年後の9月3日にオープン。震災後、中小企業基盤整備機構によって、被災地に幾つも仮設商店街が造られましたが、「浜風商店街」はその第1号です。いわき市立久之浜第一小学校の正門を入ってすぐの所に、10店舗が入居する2棟のプレハブが建っていました。文部科学省では、学校のグラウンドなどに仮設住宅を建てることは認めていましたが、民間の商店街を作るというのは初めてのケースでした。

浜風商店街 久之浜第一小学校

いわき市最北端の久之浜町は津波によって多くの家屋が流され、残った家も直後に発生した火事で焼失。火災は特に商店街に大きな被害をもたらし、およそ40軒の商店が失われました。また、いわき市の中では原発に最も近いことから、一時はほとんどの住民が避難。住民の姿が少しずつ見られるようになったのは、震災から約2カ月が経ったゴールデンウィーク後のことでした。

人が町に戻ると生活用品が必要となり、店を再開してほしいという要望が商店主の元に寄せられるようになりました。住民たちの切実な声を聞いた彼らは、他の地域に移転するより、久之浜で営業を再開し、町の人の力になりたいとの考えでまとまり、仮設商店街建設に乗り出したというわけです。その後、久之浜地区ではかさ上げ工事が進み、同時に「浜風商店街」を中心として「信頼される食の提供」、「笑顔をつなぐ楽しみの場の提供」、「仕事(場)作り」をコンセプトに、復興町づくりのシンボルとなる商業施設「浜風きらら」が建設されました。

からすや食堂

からすや食堂

ちなみに、私が「浜風商店街」を訪ねた際、食事をした「からすや食堂」さんも、この「浜風きらら」の近くで店を再開されているようです。「からすや食堂」さんは、親子三代で50年以上続く久之浜の老舗食堂で、私はしょうゆラーメンと餃子を食べてきました。ラーメンは、私の好きなあっさり系でした。今度、あちらに行くことがあったら、新しい店にもお邪魔したいと思います。

波立海岸 弁天島
久之浜の外れには、「ふくしま海遺産」になっている波立寺(はりゅうじ)があります。806(大同元)年に徳一上人が創建したと伝えられ、境内に植えられたたくさんのアジサイから、アジサイ寺とも呼ばれています。道路を挟んだ目の前は海になっており、この辺りは波立寺の通称・波立薬師(はったちやくし)から、波立(はったち)海岸と言います。波立海岸は、珍しい玉砂利の海岸で、この玉砂利を持ち帰ると薬師如来の祟りで眼病を患うとされ、持ち帰りが禁止されています。

海岸から少し離れた弁天島には弁財天が祭られ、朱塗りの橋が架かっています。橋は、東日本大震災の津波で壊され、私が行った時は島には渡れませんでしたが、今は修復されています。ここはまた、日の出の名所として知られ、特に元旦には、初詣を兼ね初日の出を拝む人でいっぱいになるそうです。

ところで、波立寺から橋までは、陸橋があるんですが、道路を越えた所に、車道のトンネルと並行するようにして、歩行者用のトンネルがあります。で、これが、子どもの頃にテレビで見ていたタイムトンネルみたいで(笑。。。個人的には、かなりのお気に入りスポットでした。

波立海岸 タイムトンネル

ここから更に15kmほど南へ下ると、いわき市の中でも特に津波の被害が大きかった、薄磯地区と豊間地区があります。薄磯は87%、豊間は72%の家屋が津波により全壊してしまいました。そのため、この地区では大規模なかさ上げ工事が行われ、防災緑地を作るなど、災害に強い市街地の形成が進められました。

永遠のひばり像と塩屋埼灯台
薄磯には、海抜73mの断崖に立つ「塩屋埼灯台」があります。1899(明治32)年に開設され、国内には16基しかない「登れる灯台」となっています。映画『喜びも悲しみも幾年月』は、当時の塩屋埼灯台長夫人の手記を原案にしたものでした。また、美空ひばりが歌った『みだれ髪』は、塩屋埼灯台を舞台にした曲で、塩屋埼には歌碑が、また200mほど北には「永遠のひばり像」も建立されています。

塩屋埼灯台から更に南へ約10km下ると、小名浜港へ出ます。ここは福島県最大の港で、江戸期には磐城平藩の幕府上納米の積出港となっていました。その後、常磐炭鉱が発見されてからは、商港として整備され、明治、大正から昭和初期にかけ大きく発展。現在は、1〜7号埠頭及び木材専用の藤原埠頭、自動車、化学薬品、危険物などを取り扱う大剣埠頭があり、国際貿易港としても機能しています。このうち1号埠頭には、いわき市観光物産の発信基地「いわき・ら・ら・ミュウ」が、2号埠頭には、東北最大級の水族館「アクアマリンふくしま」などがあり、1号埠頭と2号埠頭の間には「アクアマリンパーク」が整備され、グルメや土産物、ショッピングの総合モール「潮目の駅 小名浜美食ホテル」などがオープンしています。

いわき・ら・ら・ミュウ

この小名浜の更に南は、いわき市の最南端・勿来になります。勿来地区は、旧の勿来町、植田町、錦町、川部村、山田村から成ります。このうち勿来町には、奥州三古関と言われる勿来の関跡があります。ここは、いわき観光の南部拠点の一つになっており、勿来公園の入口には「吹風をなこその関とおもへともみちもせにちる山桜かな」と詠んだ源義家の騎馬像が建っています。勿来は古くからの歌枕で、多くの歌人が歌に詠みました。そのため園内には勿来関文学歴史館や詩歌の古道などが整備され、義家や和泉式部、小野小町、斉藤茂吉らの歌碑や松尾芭蕉の句碑が点在しています。

勿来の関跡 源義家騎馬像

また、植田地区は、歩行者天国や街なか市を実施するなどして注目されています。これらのイベントがある日は、植田駅近くの街なか交流広場に多くの出店が軒を連ねます。特に、5月と10月に開催される歩行者天国は、40年近く続くイベントで、最近は、地元の若手経営者らが食と音楽のイベントを開催するなど、新しい動きも見せています。

そんな若手経営者の一人に、両親が経営していた古川クラ酒店を継いだ丹典彦さんはがいます。丹さんは、震災で自宅が全壊、店も半壊となるなど、大きな被害を受けました。店はその後、2012年10月10日に、福島県の地酒と自然派ワインを中心にした「ヴァン・ナチュール双兎」としてリニューアルオープン。2018年からは自然派ワインを軸にした「ビストロ アンティカ」も併設しています。また、植田駅前にあるホテルアクセスの吉田光徳さんらと共に、「人がつながる」ために、地酒とワインを楽しむイベントを企画するなど、仕事と同じぐらいの情熱で、植田の活性化に取り組んでいます。

ヴァン・ナチュール双兎

さて、上野から特急ひたちに乗ると、いわき市では、泉、湯本、いわきの各駅に停車します。泉駅は、小名浜への玄関口。湯本駅は、「フラのまち いわき湯本温泉」のキャッチ通り、フラガールがいるスパリゾートを始めとした温泉街になっています。そして、いわき駅は、磐城平藩の城下町で、廃藩置県によって現在の浜通りを範囲とする磐前県(いわさきけん)が出来た際に県庁所在地となった、いわき市の中心地区にあります。

で、このいわき駅の近くに、B級グルメ好きとしては外せない、喫茶店「ブレイク」があります。ここは、常連客が朝から通い、昼前にはほぼ満席になるという、いわきの人気店です。そのイチオシ・メニューが、「ミックス・グリル・サンドウィッチ」。ハムに玉子、トマト、キュウリなどたっぷりの具材が、超がつくほど分厚い食パンに挟まれています。しかも、独自の製法でパンの端をしっかりとプレスしているため、これだけの具材をサンドしているのに、トマトやマヨネーズをたらすことなく食べられます。

ブレイク ミックス・グリル・サンドウィッチ

クリーミーな自家製マヨネーズも、味を引き立て、とてもおいしいグリルサンドです。午前11時以降は、ハーフサイズもあります。掲載した写真はハーフなので、レギュラーは、この倍あると思ってください。ちなみに、食べきれなかったパンは、お持ち帰り用に包んでくれるので、心配はいりません。

▼Pharrell Williams- Happy FUKUSHIMA HAMADORI 福島県被災地域(JAPAN)

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