数ある「白糸の滝」の中でも、群を抜く美しさ - 軽井沢・白糸の滝
昨日、静岡県富士宮市の白糸の滝(富士山の湧き水が断崖から流れ落ちる白糸の滝)について書きましたが、実は「白糸の滝」という名前の滝は、全国にあります。その数、優に100を超えるようで、ざっと拾い上げただけでも、青森県十和田市(奥入瀬渓流)、秋田県男鹿市、秋田県大仙市、山形県戸沢村、岩手県西和賀町、宮城県栗原市、福島県猪苗代町、栃木県日光市、山梨県富士吉田市、山梨県小菅村、長野県軽井沢町、兵庫県出石町、岡山県井原市、愛媛県東温市、福岡県糸島市、福岡県福智町、熊本県西原村などがあります。
このうち、富士宮の白糸の滝同様、日本の滝百選に選ばれているのは、山形県戸沢村の白糸の滝で、最上峡にかかる最上四十八滝の中で最大の滝となっています。また、山梨県富士吉田市にある白糸の滝は、落差約150mの滝で、富士山系の中でも湧き水が豊富なことから「水峠」とも言われる三ツ峠の湧水を水源としています。
そんな中、富士宮の白糸の滝に匹敵する知名度を誇るのが、軽井沢の白糸の滝です。そもそも、日本屈指の避暑地である軽井沢にあって、その中でも随一の景勝地とされているわけですから、有名なのも、あたり前田のクラッカーってやつです。以前の記事(浅間山北麓、嬬恋高原キャベツ村物語 - 冬編)でも、ちょこっと触れていますが、そこに書いた通り、日本の代表的活火山の一つ浅間山の雪が伏流水となって湧き出るのが、白糸の滝です。高さは3mほどしかありませんが、細い筋になったいく条もの滝が、70mにもわたって広がっています。よくよく見ると、苔むした岩肌から水が湧き出し、それが数千もの流れとなって、滝を形成していることが分かります。水温は1年中一定しており、冬でも凍ることはなく、鮮やかな緑のこけに覆われた岩肌を清洌な水が白い帯となって流れ落ちています。
軽井沢と嬬恋村を結ぶ白糸ハイランドウェイ沿いにあり、軽井沢からだと小瀬温泉を過ぎた頃から、道路の左手に湯川が見えてきます。ここから白糸の滝までは6kmほど。滝の入口には売店が1軒あり(ただし冬季休業です)、その左右に駐車スペースがあります。
駐車場から滝までは、遊歩道が整備されています。ただ、冬場は雪や霜で、日なたはぬかるみ、日陰は凍った状態になっています。滝までは、緩やかな坂道になっているので、すべって転ばないよう、歩行には十分注意した方がいいです。
本滝に向かう途中にも、崖面から滝のように湯川に水が注いでおり、緑の苔に覆われた崖と清冽な水が、美しいコントラストを見せています。マイナスイオンに包まれて、そんな自然を満喫しながら歩くこと2分。全国に100を超える「白糸の滝」の中でも、群を抜いて美しい白糸の滝が現れます。
夏ともなれば、連日、多くの観光客で賑わう人気スポットですが、この白糸の滝、実は人工の滝なのです。といっても、完全な作り物ではなく、湧き水が湯川に注いでいた斜面を大きく削って、垂直に落ちる滝のようにしたというものです。
軽井沢が、避暑地としてのスタートを切ったのは明治時代、カナダ人宣教師たちが、別荘を建て始めたことがきっかけでした。その後、大正時代になると大手資本が参入、政財界の有力者や文化人らが、次々と別荘を建てるようになりました。
その中には、童謡『かなりあ』や『東京音頭』などで知られる詩人・西条八十もいました。1922(大正11)年に出版された『西条八十集』の中に「軽井沢日記抄」というのがあり、軽井沢の夏の様子が綴られています。で、西条八十が作詞を担当し、中山晋平が作曲した『軽井沢音頭』が、1933(昭和8)年に発表されています。歌詞には、碓氷峠や浅間山などは出て来ますが、白糸の滝は一切出て来ません。
それもそのはず、ちょうど『軽井沢音頭』が発表された頃に、白糸の滝も出来上がったらしいのです。もともと、滝の辺りには、浅間山の伏流水が湧き出る二つの泉があり、水はそこから斜面を伝って湯川に注いでいました。そこで、泉の前を大きく削り、小さな崖を作って湧き水が垂直に落ちるようにし、同時に下に堰を作って滝壺のように水を溜め、そこから湯川に注ぐように作り替えたと思われます。
白糸の滝を作ったのは、観光開発のためだったようですが、『軽井沢音頭』の発表といい、その数年後の軽井沢開発五十周年祭といい、避暑地・軽井沢を更にPRする狙いがあったのでしょうね。ちなみに、上皇・上皇后になられたお二人の出会いの場となった軽井沢テニスコートのクラブハウスが出来たのも、その頃のことです。
蛇足になりますが、『軽井沢音頭』の作詞者・西条八十は、旧制早稲田中学校(現・早稲田中学・高等学校)から早稲田大学に進んでおり、私にとっては、高校・大学の先輩になります。早稲田中・高校の第2校歌は、西条八十作詞、古関裕而作曲なのですが、1956(昭和31)年の軽井沢開発70周年式典で発表された新『軽井沢音頭』は、その古関裕而が作曲を担当しました。
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