1987年「雪の早明戦」

『Number』186
日本ではずっと野球人気が高く、他のスポーツに比べ、注目度は雲泥の差がありました。その中にあって、プロ野球シーズン終了後のウィンタースポーツと言えば、1993年のJリーグ開幕まで、ラグビーが王者に君臨していました。

特に、1970年代から90年代にかけて、12月第1日曜日に開催されるラグビー早明戦は、風物詩とさえ呼べるレベルで、ウィンタースポーツ最大のイベントとなっていました。

正直、その後の大学選手権、日本選手権は、おまけ的な意味合いさえあった感じがします。しかし、それが年々エスカレート。早明戦が国立競技場で開催されるようになったのは、1973年に秩父宮ラグビー場が改修されることになったためですが、秩父宮では観客が収容しきれないこともあり、国立開催が常態化しました。

それでも、早明戦のチケットは、マスコミから「狂騒曲」と形容されるほど入手困難になり、一種の社会現象となっていました。1982年の早明戦は、主催者発表で6万5000人、実際は、旧国立競技場の観客動員記録となる6万6999人が入場しました。

そんな中、前の記事で書いたように、88年の日本選手権では、早稲田が日本一に輝きました。これが、学生最後の日本一となるわけですが、実は、その前年に行われた早明戦が、後世に語り継がれる一戦となっていたのです。

1987年12月6日、この日の国立競技場は、前夜から当日朝にかけて降った雪のため、グラウンドはぬかるみ、周りにはグラウンドから除かれた雪が積み上がっていました。12月に都心部で積雪があったのは、戦後初めてのことだったようです。そんな環境で行われた早明戦でしたが、やはり伝統の一戦だけあり、6万2000人の大観客が詰め掛け、初の雪中対決を観戦しました。この早明戦を、早稲田は全勝、明治は筑波大学に敗れ1敗で迎えていました。この成績が、ただの雪中対決ではなく、後々まで「雪の早明戦」として語られる伏線となりました。

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試合は、明治のキックオフで始まり、開始5分ぐらいまでは、ほとんど早稲田陣地で進みました。と言っても、明治が攻めているという感じでもなく、前半5分過ぎに明治陣深くまでに入った早稲田は、ラックからこぼれたボールをSO前田夏洋が拾ってそのままスペースを突いて前進、フォローしていたCTB今駒憲二が更に前進し、明治タックルでラックになったところを早い球出しで、SH堀越正巳→SO前田とつなぎ、最後WTB今泉清がゴール左隅を目指して走りますが、インゴール1m手前でトイメンの明治WTB竹之内弘典のタックルで押し出され、トライならず。この時テレビで解説していた慶応OBの堀越慈さんも、Numberに観戦記を書いた慶応前監督の上田昭夫さんも、「今泉が低い姿勢で飛び込めばトライになっていたのでは」と言うように、夏合宿でフランカーからコンバートされた今泉は、フランカー時代の感覚で、タックルにくる竹之内をはじき飛ばすつもりだったのかもしれません。

いずれにせよ、ここで明治ボールのラインアウトになりますが、この年度は早稲田ロックは2人とも身長があり、4番の弘田知巳が最前列で両手を高々と挙げていたため、明治HOの岡本時和は山なりのボールを入れるしかなく、それを早稲田のLO(5番)篠原太郎がキャッチして、そのままトライ。早稲田が4点を先制します。

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前半18分、早稲田陣22mラインでのスクラムを明治が押し、SH安藤文明からパスを受けたSO加藤尋久が左のオープンサイドへキック。早稲田のNo8清宮克幸が追いつきますが、処理を誤り、インゴールにこぼれたボールを明治WTB吉田義人が押さえ、同点となります。

その後、前半24分に明治CTB川上健司のPGが決まって、明治が逆転。前半36分、早稲田WTB今泉のPGが決まって7対7の同点となり、そのまま前半を終えます。

後半開始早々の4分、明治が自陣22m付近でオフサイドの反則を犯し、このPGを今泉が決めて、早稲田10対7とリード。この後、明治FWに疲れが見え始めた25分辺りから、早稲田が左右に展開しながら攻め続けますが、明治も必死のディフェンスでこらえ、早稲田は攻めきることが出来ませんでした。

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すると、明治が反撃。前半のトライも含め、何度か試みていた左オープンへのキックで、WTB吉田を走らせるというプランを実行。30分にも、SO加藤が蹴り込みますが、やや長すぎて、ゴール手前で早稲田FB加藤進一郎が押さえますが、そのままインゴールに滑り込んでしまい、キャリーバックに。ただ、この時、WTB吉田がレイトぎみに突っ込み、更に加藤の首に右腕でチャージ。当時は、お咎めなしでしたが、今だったら確実にシンビン、もしくは一発退場のレッドカードが出たかもしれない、危険なプレイでした。

この後、ボールはめまぐるしく動きますが、39分に中央付近で早稲田がピックアップのベナルティー。明治はハイパントで攻めますが、これが長すぎて早稲田がマーク。ここで試合時間は40分を経過。残すは、インジュアリータイムということになりました。

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ここで早稲田は、ローカルルールで、蹴った地点に戻ってのスクラムを選択。早い球出しからSO前田がキック。これを明治も蹴り返し、早稲田FB加藤が追ってタッチを狙って蹴りますが、あまり効果的ではなく早稲田陣22m付近で明治ボールのラインアウト。しかし、明治ノックオン。

早稲田ボールのスクラムで、早い球出しからキックをしますが、タッチに出ず。明治これをカウンターで仕掛け、詰まったところでキック。このボールが微妙なバウンドをして、早稲田FB加藤がもたつく間に明治が詰めるも、何とかインゴールにグラウンディング。キャリーバックとなり、早稲田ゴール前で明治ボールのスクラム。42分、早稲田がペナルティー。引き分けでは対抗戦の優勝が出来ない明治は、PGを狙わずFWで突進。早稲田に止められるものの、停滞したところでまた明治ボールのスクラム。この時点で43分30秒。

スクラムから、明治突進するも早稲田に押し戻され、停滞したところで、明治ボールの5mスクラム。お互いうまく組み合えず、スクラムアゲインとなったところで45分が経過。明治No8大西が突っ込み、ディフェンスに入った早稲田が横から入ってペナルティー。その一つ前、タックルに入った早稲田FB加藤の頭に大西の膝が当たり、加藤負傷交代。

明治タップキックから右サイドに回し、止められたところを左に展開。SO加藤が中央に切り込んだところに早稲田がタックル。これがノックオンを誘い、笛が吹かれてノーサイド。早稲田が勝利を収めました。 

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