越前の砂丘を彩る可憐な花"辣韮"

えちぜん鉄道三国芦原線の終着駅三国港。福井駅から小さな電車に乗って、45分の行程です。すぐ隣には「関西の奥座敷」と言われる北陸の湯どころ芦原温泉が控えます。

「九頭竜川は北陸一の長河である。三国町はその河口に『帯のはばほど』につづく古い町なみである」。三好達治が、『越前・三国わが心のふるさと』でこう書いているように、三国町(現・坂井市三国町)は九頭竜川の河口に臨む古くからの港町。江戸時代には北前船の積み出し港としてにぎわい、北陸第一の港と称されました。

その三国港の西南に、長さ12kmにわたってなだらかな砂丘地が広がります。長さが3里あることから三里浜と呼ばれるこの砂丘地帯は、全国一のラッキョウの産地です。

ラッキョウは乾燥に強く、砂丘地で無灌水栽培出来る数少ない作物の一つ。しかも球の光沢、緻密さなど、品質ではかえって砂丘地の方が優れ、また植え付け、掘リ出し、洗浄等の作業も容易で、砂地であることが有利に働いています。


三里浜にラッキョウが導入されたのは1874(明治7)年頃。少数の人が自家用として栽培を始めました。その後、他の村人もこれにならって作リ始め、次第に生産も増え、1897(明治30)年頃には、余ったものが三国商人によって売られるようになりました。

しかし、この地方にラッキョウ栽培が定着するまでには、幾多の困難と苦闘の歴史がありました。江戸時代、この辺りは日本海から吹きつける強風のため、田畑は土砂に埋まリ、海の荒波によって家々が倒され、住民は流浪して他郷に逃げざるを得ない状態でした。

江戸中期、敦賀に生まれた僧・大道が、こうした惨状をみかねて、村々の百姓を説いてネムの木を植えて砂地を落ち着かせました。大道は、次にシイや松を植え、次第に面積を広げていきました。更に草地を増やして緑化を押し進め、ついに砂丘を耕地化することに成功したのです。

そして、大道のこうした努力は、後年、全国一のラッキョウ産地として花開いたわけです。今、かつての不毛地帯・三里浜は、ラッキョウを始め、スイカ、ダイコンなどの名産地となっています。

ところで、日本の大部分のラッキョウ産地は、1年掘り栽培を採用していますが、三国では2年掘りを採用しています。2年間、畑に置くことによって、分球数が多くなり、小粒で身が締まり、肉質も緻密で歯切れの良いラッキョウになります。ラッキョウの花は、10月下旬から11月初旬にかけて開花。ラッキョウ畑が集中する三里浜では、毎年この時期、一面薄紅色のじゅうたんを敷き詰めたような見事な景観を演出します。

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