湯の香ただよう将棋の町 - 天童あれやこれや
私、漫画やアニメには疎いのですが、この4月、ひょんなことから『3月のライオン』という作品を知りました。それは、新型コロナウイルス関係の情報を得ようと、Twitterで医クラと呼ばれるアカウントを複数フォローする中でのことでした。
ある医クラ・アカウントが、国際感染症センターの忽那賢志医師のツイートをリツイートしたのが、きっかけでした。忽那さんのオリジナル・ツイートには、「私も『3月のライオン』を日々の生きる糧にしています」という意味のことが書いてありました。このツイートは、羽海野チカさんという方に向けたもので、恥ずかしながら、この時まで、羽海野さんも『3月のライオン』のことも知りませんでした。
私と同じような方もおられるかもしれないので、念のために記すと、羽海野チカさんは東京出身の漫画家で、『3月のライオン』はその代表作。将棋を題材にし、マンガ大賞2011大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞などを受賞。大友啓史さんが監督し、神木隆之介さん主演で実写化もされ、話題になったようです。なお、この作品は現在も、『ヤングアニマル』(白泉社)で不定期連載中です。
で、羽海野さんと忽那さんですが、お互い面識があったわけではなく、羽海野さんによるツイートが、この出会いの発端となりました。そのツイートは、要約すると、次のような内容でした。
「20年以上前、医学生による面白いブログを見付けて愛読していた。更新がなくなってからも気になって、ペンネームなどを頼りに検索したところ、医師になられていることが分かった。それが今年になって、新型コロナウイルスとの闘いの最前線にいることを知った。20年も自分の記憶の中にいたこの人のサポートが出来ないかといろいろ思いを巡らせるが、現場が混乱している時に、かえって迷惑になるのではという考えも浮かび・・・知らない人からいきなり届いても少し助かるものって何なのだろうといくら考えてもなかなか思いつかなくて」
このツイートが、羽海野さんのファンを中心に拡散。それが、忽那さんの妹さんの目に止まり、忽那さん本人が登場することになります。実は忽那さんは、その頃、新型コロナのためにアカウントを停止していたようですが、妹さんから話を聞いてアカウントを戻し、羽海野さんに向けての返信が、その復活ツイートとなりました。
その後のやりとりの中で、羽海野さんが「何かお手伝い出来ることは」と問い掛けたところ、忽那さんから、感染防止を呼びかけるイラストを描いて頂ければと返信があり、羽海野さんが快諾。そして、皆さんも目にしたことがあるかもしれませんが、羽海野さんによる「『3月のライオン』川本三姉妹と一緒に学ぼう、手の洗い方!」のイラストが誕生し、白泉社の協力を得て、イラストのダウンロードサイトも公開されました。
その『3月のライオン』の実写映画が公開された2017年は、藤井聡太さん(現二冠=王位・棋聖)が、16年12月のデビュー戦から17年6月まで破竹の29連勝を重ねている時期でもあります。そして、この二つの事象があいまって、空前の将棋ブームが沸き起こりました。今まで将棋に興味がなかった人たちも、将棋自体を身近なものと捉えるようになり、将棋の駒がものすごい勢いで売れたようです。
で、将棋と言えば天童。というわけで、今日は山形県天童市の話です。
天童市は、山形盆地の東端にあり、人口は約6万3000人。将棋と天童温泉で知られます。市街地のやや南に舞鶴山があり、市域を南北に分けています。舞鶴山は天童城があった場所で、毎年4月には、人間が駒に扮して、プロ棋士同士が対局する人間将棋が行われています。
ちなみに、『3月のライオン』が公開された17年には、大友監督と神木さんが招かれ、来場者は5万人を超えて過去最高人数を記録。あまりの人の多さで会場に入り切らず、シャトルバスもストップしたということです。
ちなみに、『3月のライオン』が公開された17年には、大友監督と神木さんが招かれ、来場者は5万人を超えて過去最高人数を記録。あまりの人の多さで会場に入り切らず、シャトルバスもストップしたということです。
私が初めて天童へ行ったのは、今から30年以上前の1988年のことでした。取材は、この人間将棋に合わせて計画しました。メインはもちろん将棋駒です。何しろ天童は、将棋駒の生産で全国の9割以上を占めるのですから、これを外すわけにはいきません。
人間将棋 |
天童で将棋駒がつくられるようになったのは、江戸末期のこと。その頃、天童藩は、織田信長の後裔である織田信学を藩主にいただいていたものの、禄高わずか2万3000石という小藩にすぎませんでした。政情不安な幕末、藩の財政は窮乏し、武士たちは貧苦にあえいでいました。こうした状況の中で、下級武士の救済策として導入されたのが、将棋駒の製作でした。
「将棋は戦闘を練る競技であるから、武士の面目を傷つけるような内職ではない」と、藩は駒づくりを奨励しました。「武士の商法」はうまくいかぬものと決まっていますが、天童藩のそれは例外だったようで、その後、明治、大正、昭和、更には平成、令和と、天童の駒つくりは綿々と受け継がれてきました。
現在、天童でつくられている将棋駒には押し駒と書き駒、彫駒の3種類があります。
押し駒は、昭和の初め頃から流行したもので、駒木地にスタンプを押しただけのもの。私も、子どもの頃に持っていました。
書き駒は、漆で字を書いたもので、天童藩の武士が内職でつくっていたのは、この書き駒です。以来、天童の伝統的な駒として受け継がれていますが、書体は古くからの草書体に代わリ、楷書体の方が主流になっています。
将棋駒とこけしの店「栄春堂」の店主・故会田栄治さん |
彫駒は、1枚1枚字を書くように彫って、そこに漆を塗ったもの。文字によって、黒彫、並彫、中彫、上彫、特彫などのランクがあリ、黒彫から特彫となるに従って、手の込んだ字体となります。また、彫った部分に漆を埋めて駒の表面を平らにしたものを彫埋駒、更に何度も漆を塗って字を盛リ上げたものを盛上駒と言います。
駒づくりの作業は、漆器と同じで、完全な分業制になっています。まず、木地師がツゲ、ホウなどの原木を次第に細かく刻んで、駒の形をつくります。その駒は、書き師の所へ運ばれ書き駒となリ、彫り師のところへ運ばれて彫駒となります。大衆娯楽の代表格・将棋を支えてきたのは、こうした人たちの伝統に培われた手仕事です。
現在、天童には量産型の駒づくりをしている業者が3軒、木地師・書き師・彫り師・盛上げ師といった職人が約20人、高級品駒を作っている工房が2軒あるそうです。1996(平成8)年には、伝統的な将棋駒づくりが、国の伝統的工芸品の指定を受けています。
天童で将棋駒の取材をさせて頂いたのは、温泉街で最も古い将棋駒の実演販売所である栄春堂でした。店主は、こけし工人として有名な、故・会田栄治さんでした。会田さんは、表具師をしていた清左ヱ門さんの長男として天童に生まれました。祖父は、日本画家だったようです。18歳で天童木工に入所し木地修業の後、20歳で独立。昭和36年に、現在地で将棋駒とこけしの店「栄春堂」を開き、その経営の傍ら、こけし制作を続けました。
◆
この取材の後も、天童には何度も足を運んでいます。20年ほど前、神戸のDHさんから、天童の陶芸家・寒河江潤一さんを紹介され、3人でよくメールのやりとりをしていました。いわゆるメル友ってやつです。で、DHさんと一緒に、寒河江さんの所へ伺ったり、イベントの相談や、他の取材で行ったり、目的はさまざまでした。
天童の陶芸家・寒河江さんの工房で作らせてもらった私の作品 |
ある時、寒河江さんが中心となった会議が仙台であり、私も出席しました。会議後、岩手のTYさん、横浜のKTさんら、親しい出席者と仙台駅で打ち上げをしました。私は20時20分ぐらいの新幹線を予約していたのですが、KTさんが自分は最終を取っているから一緒に帰ろうというので、あと1時間と座り直しました。しかし、話が弾み、いつの間にか店の一の蔵が空になり、浦霞も空に。気がつくと、最終の新幹線はとっくに出ていました。
そこでTYさんの発案で、朝まで飲もうということになったのですが、途中でTYさんが「あ、おれ、仙台に親戚がいたんだ。じゃあ」と外れました。残された3人は呆然。そしてなぜか、タクシーで天童へ行くことになりました。仙台から天童までは約55km、山道なので1時間程度だったと思います。
で、天童に着いて、寒河江さんの行きつけで、私も3回目ぐらいになるお店で、打ち上げの打ち上げ。そして翌朝、寒河江さんの工房で、ろくろに挑戦させてもらい、満ち足りた気持ちで帰宅しました。
天童から移動し山形駅前ではネタで缶詰酒場へ |
その後何度も、寒河江さんにはお世話になっていて、去年の3月には山形取材の後、夕方にカメラマンの田中勝明さんと天童駅近くの小料理屋「たまご」で、寒河江さんたちと合流。楽しい時間を過ごしました。そして今度は終電を逃すまいと、早めに切り上げたところ、「上りの終電は早いが、下りはまだあるから」と、寒河江さん始め3人が付いてこられ、結局、山形でまた飲み直すということもありました。
本来なら、今年はサクランボ援農の名の下、DHさんと一緒に、寒河江さんと仲のいいSTさんの農園にお世話になる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため、やむなく中止することになりました。新型コロナが収束し、来年こそはサクランボ援農を実現したいと、鬼も爆笑するような願いを抱いているところです。
※天童には、「スモッち」という薫製玉子があります。作っている半澤鶏卵は生卵の卸し会社ですが、卸値が年々下落。そこで、付加価値を付けようと、薫製玉子の生産に乗り出しました。殻のまま国産塩で味付けし、山形らしくサクランボの木くずでいぶしています。ちなみに、この写真は、人柄抜群の美人ママがいる「たまご」で撮影させてもらいました。
DHさんって指名代打みたいですね😆
返信削除天童の将棋の駒は高いものなら数十万円するようですが、天童で将棋盤も作っているんでしょうか?
藤井二冠のおかげで将棋が注目されている中、新しいもの好きとしてはちょっと興味を持っています。
実名でもいいかなと思ったんですが、一部あまり褒められないエピソードもあるため、頭文字としました。分かる人には、分かってしまうと思いますがw
削除将棋盤は茨城県神栖市の会社が、かなり大きなシェアを占めているようです。