ディープな街にある沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」
少し前まで、寒くなると「おでんの季節になりましたねえ」なんて言っていたのに、今や1年中おでんを売っているコンビニもあります。日本人って、いつからこんなにおでん好きになったんでしょう。しかも、南国・沖縄でも、おでんはしっかりと根付いています。
以前のブログで、うるま取材の際、 ホテル選択の決め手が、近くにおでん屋があったから、と書きました。ちょっとだけ再掲してみます。
「ホテルは、旧具志川市にあるホテルハーバーで、なぜここを選んだかと言うと、近くに『いこい』というおでん屋さんがあったからです。
知らない人は、『わざわざ沖縄でおでん?』と思うかもしれませんが、実は沖縄の人は、おでんが大好きらしいのです。私はこれまで、那覇市の有名店『悦ちゃん』と『東大』に行っていますが、どちらもとてもおいしかったので、カメラマンの田中さんにもぜひ沖縄おでんを味わってもらいたいと思ったのです。沖縄おでんには、テビチ(豚足の煮込み)やウィンナー、夏ならウンチェー(空心菜)、冬なら小松菜、レタスなど季節ごとの青物が入ります。もちろん大根、玉子、昆布など、定番のおでんだねもありますが、やはり郷に入っては何とやら、いこいでは、迷わずテビチと野菜とソーセージを注文しました」(「沖縄の定番グルメ『いなりチキン』と『沖縄おでん』」から)
そうなんです。沖縄で飲む時、私は結構、おでん屋さんを選択しがちなのです。沖縄おでんは、泡盛にも合うんですよねえ。
沖縄おでんの詳しいルーツは知らないんですが、一つの説として言われている「飲み屋発祥説」には、結構納得してしまう私です。実際、沖縄の飲み屋街には必ず、おでん屋さんがあるみたいで、うるま市の「いこい」の周囲にも居酒屋さんが何軒かありましたし、有名店の「悦ちゃん」は、戦後沖縄の繁華街として最も栄えた「桜坂社交街」の入り口に、また「東大」は、ディープな飲み屋街「栄町市場」の場外にありました。
そんなわけで、今回は、沖縄おでんの名店「悦ちゃん」と「東大」、そしてその周辺の記事になります。
「おでん 悦ちゃん」は、私にとっては、沖縄おでんに興味を持つきっかけとなった店です。というか、最初は、おでんではなく、「悦ちゃん」そのものに興味を持ったのですが・・・。
というのも「悦ちゃん」、営業中でもドアに鍵を掛けているというのです。で、客は外からトントンとノックをして入れてもらうシステムらしい、と。
それを知った私、アメリカ禁酒法時代のスピークイージー、いわゆるもぐりの酒場をイメージしてしまいました。行ってみたい! もうこうなると、ミーハーな心がうずうずしてきます。
そして、ある沖縄取材の際、「悦ちゃん」訪問が実現しました。「悦ちゃん」は、前に書いたように、「桜坂社交街」の入り口にあります。那覇市のメインストリート・国際通りを、平和通り商店街の一つ先で右に曲がり、焼き物(やちむん)で有名な壺屋へ向かう、その中間辺りになります。
店の前に立つと、「おでん 悦ちゃん」と書かれた緑色のネオンサインも、赤提灯にも明かりがともり、ガラス戸越しにお客さんがいるのも見えました。でも、やっぱり扉には鍵が掛かっていました。やった! ここはもう、スピークイージーにやって来たハードボイルドな私立探偵の面持ちで、ドアをノック。
すると、ママさんが顔を覗かせ、「いらっしゃい」の声と共に、ドアをギーッと開けてくれました。やった! 入れた(ハードボイルドのくせに、中身はかなり半熟・・・)。
店内は、カウンター席の他、奥に小上がりがありました。カウンターと小上がりの間に置かれたジュークボックスが、ノスタルジーを感じさせます。いつもドアに鍵をかけているのは、「一人でやっているんで、泥酔しているお客さんを断りたいから」とのこと。お母さんから店を引き継ぎ、女性一人で切り盛りしていたためのセキュリティー上の自衛策だったんですね。蛇足ですが、男子用トイレが異常に低い位置に設置されていました。これは、どうしてだったんでしょうね。
さて、悦ちゃんのおでんは、昆布とかつおのだしに、ソーキ(豚のあばら骨)で取っただしを加え、味付けは塩だけ。それでもテビチとソーキのエキスが染み込み、こってりとした、まさに沖縄らしいおでんでした(と言っても、この時が初めての沖縄おでんだったため、これは後からの感想です)。先客は、若い女性でした。東京から来たそうで、私同様、事前調査の結果、店自体にひかれて訪問したようです。彼女は沖縄通らしく、ゆいレールの那覇空港駅が最西端の駅、隣の赤嶺駅が最南端の駅だと、教えてくれました。私だけでなく、悦ちゃんもへーっなんぞと感心しており、やっぱ灯台下暗しなのね、と笑ったものです。
ところで、「悦ちゃん」があった「桜坂社交街」ですが、「社交街」というのは、内地で言う赤線地帯のことだそうです。沖縄にあった多くの社交街の中でも、「桜坂社交街」は最大の赤線で、かつては社交街を中心に、この周辺はかなりにぎわっていたようです。
それに比べると、今はだいぶ寂れてしまいましたが、「悦ちゃん」があった場所の周辺には、ディープな雰囲気漂う「BARエロス」や、入るのがためらわれるような店構えの山羊料理専門店「さかえ」など、面白そうな店が残っています。以前、琴平の旧赤線地帯の路地で、おいしい骨付鶏に出会ったこともあったので(「丸亀・一鶴、多度津・いこい、琴平・紅鶴。香川県の骨付鶏3選」)、時間を掛けて散策してみれば、他にもいい店が見つかるかもしれません。
話が逸れてしまいましたが、あの日、「悦ちゃん」で会話を楽しんでいた私を、南海のシーサーこと石垣島のSYさんが、迎えに来ました。そして、SYさんが連れて行ってくれたのが、もう一つの有名店「東大」でした。SYさんは、那覇にも家があり、それが「東大」の近くなんだそうです。そのため、「東大」にはよく行かれるようで、その日も既に予約をしてくれていました。
その「東大」は、開店時間が基本21時半と、かなり遅め。私は「悦ちゃん」で飲んでいたわけですが、SYさんも他所で一杯やってからのお迎えでした。SYさん曰く、ここは「焼きてびち」が名物とのこと。ただ、焼き上がるまで30分以上かかるため、その間のアテとして、おでんの盛り合わせと、ミミガーとマメの刺身をオーダーしてくれました。
ミミガーは、結構知られていると思いますが、豚の耳皮です。一方、マメは、私も初耳で、豚の腎臓とのこと。SYさんは、「これは、右のミミガー」などと、ヤマトンチュにはちょっとピンとこない、沖縄ジョークをかましてきましたが、私は、「焼きてびち」のフライパン返しに見とれていました。
沖縄おでんのテビチは、豚足をとろとろに煮込んでいますが、ここは、それを時間をかけて焼き上げるのです。そして、時々フライパンを返すわけですが、その際、円盤状の塊が、宙に浮かんで反転します。まさに、熟練工の手さばきです。
そんな作業工程を経て、ついに「焼きてびち」が登場。まるでパイのようですが、割ってみると、中は紛うかたなきテビチ。食べてみると、表面は見た目通りカリカリですが、中はコラーゲンたっぷりのトロトロ。かつて、富山で深海魚のげんげのフルコースを食べたことがありますが、げんげは揚げても、プルプルの食感が残っていました。コラーゲン恐るべし、です。
というわけで、食感だけでも楽しいのですが、見た目でテビチが苦手という人でも、これなら食べられるのではないでしょうか。「東大」の焼きてびちにはまった出張族の中には、お持ち帰りで、本土の自宅への土産にする人もいるらしいです。
「おでん 東大」は、「栄町市場」の場外という扱いになるようですが、この「栄町市場」自体も、かなりディープな雰囲気で、とてもいい感じです。
この市場は、ひめゆり学徒隊で有名になった沖縄師範学校女子部があった場所だそうです。校舎は沖縄戦で焼き尽くされ、廃校になりましたが、「再びこの地域が栄えるように」との願いを込めて、栄町が誕生。1967年には、市場の中に「ひめゆり同窓会館」が建てられ、戦後70年以上が経った現在は、2階が平和や文化を発信する「ひめゆりピースホール」に、3階が一般女性も利用出来る宿泊施設「リリィホステル」としてリノベーションされています。そんな歴史の舞台でもある栄町市場ですが、昭和の香りぷんぷんの市場でした。市場の中には、もつ焼きの「あぶさん」や、カフェを名乗る居酒屋「モラカフェ」など、興味津々の店が軒を連ねています。私も、これらの店に入りたかったのですが、早い時間から飲んでいるおじいたちを見て、何だかハードルが高そうだったので、とりあえず「Coffee potohoto」へ退避。ここはコーヒー豆の店で、店先には2席だけですがカウンター席もあり、ここでとてもおいしいカフェラテを飲むことが出来ました。※向かいの店のシャッター前のベンチに、常連とおぼしき沖縄マダムが2人、コーヒー片手に店主と談笑していたので、そこも一応、店のくくりなのかも。
コーヒーを飲んで、少し落ち着いたところで、再び市場の中を散策。すると早速、「おかずの店 べんり屋」という店の前で、何やら得体の知れないものをすすっている人を発見しました。非常に気になって、後で調べたところ、それはこの店の名物「ゲンコツチュウチュウ」らしいことが分かりました。ゲンコツは、豚の大腿骨で、豚骨スープには欠かせない部位ですが、どうやらそれにストローをさして、骨髄エキスをチューチューと吸うようです。ディープすぎる・・・。
こうして時々、目が点になりながら歩くうち、「うりずん」という、かなり普通っぽい店を見つけました。まだ暖簾も出さない開店前でしたが、店の方が外にいたので聞いてみたら、快く受け入れてくれました。まずは、店自慢の特製古酒からスタート。島タコや豆腐チャンプルー、オリジナルの「どぅる天」などをオーダーし、ちょうど空腹だったので、焼きそばまで食べてきました。
後で知ったのですが、この「うりずん」は、とても有名な老舗居酒屋だそうで、Sさんも、「うりずん」は良い店ですと太鼓判を押していました。私も食べた「どぅる天」は、田芋を蒸して豚肉や野菜などを加えて練り上げた沖縄の伝統料理「どぅるわかし」の天ぷらで、今では県内各地の料理店で提供される沖縄の名物料理になっています。
次に那覇へ行くことがあったら、今度こそ、「あぶさん」や「モラカフェ」に馴染んでみたいと思っています。「ゲンコツチュウチュウ」は・・・やっぱパスかな。
※記事を書くに当たり、コロナ禍で、これらのお店がどうなっているか検索したところ、「おでん 悦ちゃん」のママ康子さんが、2016年に亡くなられたことを知りました。近くのBarエロスのブログには、「おでん 悦ちゃん」が、「憩いのサロン 真帆」になったとして、「変わりゆく桜坂・・・」と書かれていました。また、他の方の報告には、「有名な扉も普通の扉に変わりました。なんだか寂しいです」とありました。
※2022年9月26日「おでん東大」が閉店しました。3代目の店主・長濱美也子さんが8月に亡くなられたためです。しかしその後、12月6日になって長濱さんを殺害した容疑で娘夫婦が逮捕されるという悲しいニュースが伝えられました。
長年各地を取材で飛び回っていると、いろんな人とも知り合いになれ、そして地元の名物を食することができるのは役得ですね。
返信削除でも、お店がなくなっていたり、店主が他界されてもうお店がなくなっているのはやはり寂しいものだと思います。
取材自体は仕事だったので、あまり考えることはありませんでしたが、こうしてブログで振り返る機会があると、さまざまな方とお会い出来たのが、本当に財産だったんだなと思います。ちょうど、ここ何回か書いているB級グルメネタも、その財産である皆さんから、あちこち案内して頂いたものなので、余計です。
返信削除新型コロナで、写真の整理を始め、それに派生してスタートしたブログですが、振り返りの中で、今現在の姿を検索すると、結構、廃業されている店もありますが、がんばっている店も多く、コロナ禍が収束したら、行ってみたいと思う店もありました。