ヒスイ王国・糸魚川と奴奈川姫の伝説
まず、糸魚川駅南口に出ると、すぐ右側に「ヒスイ王国館」という建物があります。コミュニティーホールらしいですが、1階には糸魚川観光物産センターがあって、それこそヒスイや地酒などが置いてありました。糸魚川は、硬玉ヒスイの原産地なのです。
糸魚川駅の隣に、えちご押上ひすい海岸駅(えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)がありますが、この駅から海に向かって5分ほど歩くと、その名もヒスイ海岸があります。玉石の海岸で、石の多くは、川によって、長い年月をかけ山から海に流されてきたものです。運が良ければ、ヒスイが見つかることもあるそうです。
さて、ヒスイ王国館前の横断歩道を渡ると、奴奈川姫のブロンズ像があります。更に、海へ向かって真っ直ぐ延びる駅前通りは、その名も「ヒスイロード」と呼ばれ、両側の歩道には、デッカイ勾玉と少し小ぶりな勾玉、それに宝珠が、あっ、ここにも、あれ、あそこにも、という感じで設置されています。
そして駅から歩いて5分ほど、日本海を望む駅前海望公園には、ひときわ大きな奴奈川姫のブロンズ像が建っています。姫にしがみついているのは、息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)で、『古事記』では、大国主神(おおくにぬしのかみ)の子とされます。つまり、大国主神と奴奈川姫の間に出来た子どもってことになります。
ただ、『古事記』では、出雲国の大国主神が、高志国の沼河比売(奴奈川姫)に求婚したことまでしか出ていません。でも、平安前期の歴史書『先代旧事本紀』には、大己貴神(大国主神)と高志沼河姫(奴奈川姫)の子どもと記されており、記紀には記述がないものの、これと同じ伝承が、糸魚川を始め各地に残っています。
出雲と糸魚川では、かなり距離がありますが、日本海に面しているので、舟で交流があったのでしょうね。しかも、糸魚川には、古くからヒスイを使った玉作りを行う一族がいたと言われます。玉は古代人の装飾品で、勾玉・管玉など、多種多様な玉があります。ヒスイやメノウなどを材料として作られましたが、それが信仰の対象となるほど、神秘的な美しさを秘めていました。
大国主神がはるばる出雲から高志国までやって来たのも、ヒスイを求めてということだったのでしょう。で、玉造部の娘・奴奈川姫を見初めて求婚。『出雲風土記』では、二人の間に御穂須々美命(みほすすみのみこと)が生まれたことになっているので、建御名方神とどっちが兄か姉か分かりませんが、少なくとも一男一女をもうけたことになります。
そんなわけで、糸魚川には、奴奈川姫を祭る神社が3社ありまして、糸魚川駅の近くにも、天津神社・奴奈川神社があります。天津神社は12代景行天皇の御代の創立とされる古い神社で、境内社の奴奈川神社と共に越後国の一宮になっています。また、奴奈川神社には、平安時代後期の作とされる奴奈川姫神像があり、県の文化財に指定されています。
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