苦難の道を乗り越えて発展してきた桐箪笥

新潟県のほぼ中央、信濃川の支流加茂川に沿って開けた加茂市は、794(延暦13)年、京都の賀茂神社を分祀。それに伴い、京風の文化・習俗も伝わり、街を貫流する加茂川の風姿と合わせて、越後の小京都と呼ばれることもあります。江戸時代には、毎月6回定期的に開かれた六斎市の市場町として栄えました。

その加茂に、約200年の歴史を持ち、国の伝統的工芸品に指定されている「加茂桐箪笥」があります。

桐は吸湿性が少なく、高温多湿の日本にあっても衣類を湿気から守り、また熱伝導が低いことから火事に遭っても内部は燃えにくい性質を持っています。こうした素材の上に、桐箪笥は隙間がなく、気密性の高い作り、扉や引き出しの開け閉めが軽いといった特徴を持ち、古くから日本人に愛用されてきました。その中にあって、加茂の桐箪笥は、全国の約7割の生産量を占め、北海道から九州まで出荷されています。

しかし、これまでの歩みを見ると、順風満帆とはほど遠い苦難の歴史を感じます。とくに昭和20年代から30年代までは、まさに茨の道でした。

戦後はベニヤ箪笥の全盛期で、政府も機械化、量産化を推進するため、手作りの桐箪笥に対し、20%の物品税をかけました。当然、桐箪笥は高価になり、売れ行きが低迷。

また、新潟では木材不足解消のため、生長の早い桐の植林を進めていましたが、桐の使用量が減ったため供給過剰となり、桐の価格が下落しました。すると価格の安さに注目した洋家具メーカーが、裏板や引き出しに桐を使い始めました。

ところが、その頃には値下がりに嫌気をさした桐農家が、植林をやめており、今度は桐が極端に不足。昭和30年代には、桐箪笥は壊滅状態に陥り、昭和27年に全国で1360軒あった業者の数は5年ごとに半減し、40年代に入ると170軒まで減ってしまいました。

その後も桐材の不足、日本人のきもの離れなど、多くの危機がありましたが、加茂桐箪笥はそのつど柔軟に対応し、それらを乗り越えてきました。今後も、高い技術を生かして時代のニーズを取り入れていけば、日本の伝統家具である桐箪笥を継承していくことができるのではないでしょうか。

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