明石で遭遇した焼きラーメンと、明石名物玉子焼
西明石駅の到着が12時半だったので、最初はいったん外に出て、昼を食べるつもりでした。が、コンコースを歩いていたら、魚住方面の各駅が間もなく入線する、これを逃すと次は30分後とのアナウンス。それを聞いて、電車が30分に1本しかないのかもと思い、計画を変更して、とりあえず魚住を目指すことにしました。
そして、電車が次の大久保駅に着いた頃、魚住でお会いする橋本維久夫さんから電話。「いま焼きラーメン食べてる!」。更に続けて「あんたも食べる?」と。
というわけで、魚住駅に着くと、橋本さんが迎えに来てくれ、その足で焼きラーメンへ。連れて行かれたのは、南二見会館に入っていた「喫茶&お食事 三起」。で、橋本さんが注文してくれたのは、下の写真のような焼きラーメン定食でした。
その後、メニューを見ていて「そばめし定食」を発見。常識的には、そばめしに味噌汁、漬け物などだと思ったものの、焼きラーメン定食のご飯が頭から離れず、もしやそばめしに白いご飯付きか? 関西なら、あり得る! と勝手に想像。
好奇心を抑えきれず、店の人に確認すると・・・、さすがに白いご飯はついていないとのことでした(なぜか、しょんぼり)。
橋本さんには、これとは違う日、山陽電車東二見駅前の玉子焼屋「田村」に連れて行ってもらったことがあります。玉子焼と言っても、だし巻き玉子でも、子どもの頃に弁当に入れてもらった甘い玉子焼きでもありません。世間で言うところの明石焼です。明石と言えばタコを真っ先に思い浮かべる人も多いと思いますが、それほどに、明石のタコは有名です。実際、マダコの水揚げ量は日本一。そんな明石のタコを使った玉子焼ですから、うまくないわけがありません。
地元では昔から玉子焼と呼ばれていて、明石焼というのは、観光客などに一般的な玉子焼と間違われないよう、後から命名されたものらしいです。関東の人間にとっては、たこ焼の方がポピュラーですが、実はたこ焼のルーツは明石の玉子焼にあります。
「大阪と言えば?で思い浮かべる事ども」に書きましたが、たこ焼きは、昭和10年、福島県会津坂下出身の遠藤留吉さんが、明治からある明石の玉子焼をアレンジして、大阪の屋台で売り出したのが始まりなんだそうです。玉子焼とたこ焼の違いは、玉子焼はその名の通り玉子が生地のメインになること、小麦粉と共に「じん粉」と呼ばれる粉が使われること、具はタコのみであることなどが挙げられます。
じん粉は、中華料理の点心や和菓子に使われる浮き粉のことで、小麦粉のでんぷんから作られます。じん粉がないと、玉子焼のふわふわとした食感は出せないそうです。また、たこ焼にはソースやマヨネーズをつけますが、玉子焼はだしにつけて食べます。焼く道具も、たこ焼を作る時の千枚通しではなく、菜箸でくるくるっと回していきます。「田村」に連れて行ってくれた橋本さんは、災害被災地への支援に熱心で、そのための資金集めなどでは、テキ屋に変身し、玄人はだしの菜箸さばきで玉子焼を作っています(トップ写真)。
ちなみに、「田村」で私の目を引いたものの一つが、夏季限定のひやしあめ。私はお初だったのですが、関西では夏の定番の飲み物で、麦芽水飴をお湯で溶き、生姜の絞り汁を加えて冷やしたものだそうです。
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