松山の名物バー「露口」
以前の記事(松山・大街道の大入亭からバー露口へ)に書いたバー「露口」のお話です。
今から10年近く前、松山市大街道の和食屋さん「大入亭」で夕食中、カウンターで隣り合った方が、超辛口の酒を勧めてくれ、それをきっかけに話が弾み、愛媛や松山の酒談義に。その中で、松山に名物バーがあるので、ぜひ行ってみて、と言われ、前のめりになる私。すると、大入亭のご主人が、案内してあげたら、と口添えしてくれ、3人の男性客と共に、名物バーへ向かうことになりました。
で、前の記事では「ここについては、いろいろ書きたいこともあるので、記事を改めることにします」と書いておきながら、そこから既に1年3カ月余り・・・忘れていたわけではないのですが、ようやくバー「露口」の登場です。サントリーバー「露口」は、1958(昭和33)年8月の開店。オーナーの露口貴雄さんは、大阪のバーで修行後、縁あって松山へ移り、翌年、21歳の若さで独立したそうです。その3年後、後に夫人となる朝子さんがアルバイトとして働き始め、以来、ずっと一緒にカウンターに立ってきました。
大入亭で知り合った方に案内されたのは、2013年3月30日のことでした。間もなく開店から55年という年で、案内してくださった松山の方たちは、こんなに長く、ご夫婦そろって立っている所は、東京にもないでしょ、と自慢されていました。当時、貴雄さんが76歳、朝子さんが70歳とおっしゃっていたので、この記事を書いている今は、貴雄さんは85歳、朝子さんは79歳になられていると思います。
さて、案内人のお薦めはマティーニということで、1杯目はマティーニを頂きました。その後、案内してくれた方たちは、もともと予定があったらしく、1杯だけ飲んで立ち去り、私は、続いてマンハッタンを頂いて、朝子さんとおしゃべり。
すると、新聞を渡してくれ、この春から、マスター監修の下、「サントリー角ハイボール缶〈濃いめ〉」というお酒が、コンビニで売られるようになったとのこと。聞くと、サントリーの商品開発の担当者が、お店に来て、オリジナルのハイボールを飲んで、それをベースに作ったサンプル3点の中から、露口さんが選考をしたそうです。「露口」がオープンした当時、サントリー(当時は寿屋)ではチェーンバーの展開をしている頃で、トリスバーやサントリーバーが各地で続々と誕生していました。最盛期には、全国で1200店とも1300店とも言われ、「露口」と同じ愛媛県だけでも20〜30店舗はあったといいます。
サントリーのサイトから「トリスバー」で検索すると、今も250軒余りが出て来ますが、当時からの店はほとんどありません。大阪の十三トリスバー(1956年)も、宮崎のトリスバー赤煉瓦(1956年)も、店自体は「露口」より古くからありますが、どちらも代替わりをしているので、チェーンバーのメインであった、当時のハイボールを知るのは、今では露口さんだけとなっています。
ちなみに、「露口」で提供されるハイボールは、8オンスのタンブラーに角瓶50mlを注ぎ、氷を一つ入れて軽くかき混ぜ、最後にソーダをそっと入れて仕上げます。貴雄さんによると、「サントリー角ハイボール缶濃いめより、少し濃いめ」だそうです。
最初に「露口」に行ったのは、前述した通りあと数カ月で55年という年で、コースターには「54周年」と書かれていました。コースターは、電通の人が作ってくれた、と朝子さんが話されていました。この後、2014年、18年と「露口」を訪問したのが、いずれも店がオープンした月と同じ8月だったので、コースターは「56周年」、「60周年」にチェンジ。しかも、56周年では周年の文字がゴールドに、60周年では貴雄さんの蝶タイと朝子さんの口元に赤が入り、アップグレードしていました。ちなみに、私は2回目以降も最初のお薦め通り、1杯目はマティーニをオーダー。その次にハイボールを頂くというのが「露口」での飲み方になりました。
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