日本一の献眼の町・静岡県小山町を訪ねて

冨士霊園 桜並木

昨日の記事(世界遺産構成資産となっている富士山麓の忍野八海)の忍野八海から南へ約20km、富士山東麓、山中湖のすぐ南にあるのが、静岡県小山町です。ここは、「献眼の町」として知られていて、2009年には、町で献眼運動を推進してきた小山ライオンズクラブが、日本アイバンク協会の第1回今泉賞を受賞しました。

この賞は、日本で最初の角膜移植手術を行った今泉亀撤さんに因んだものです。最初の角膜移植手術が行われてから50周年に当たる08年に、今泉さんが保健文化賞を受賞。今泉さんは、その賞金の大部分を日本アイバンク協会に寄付され、同協会はそれを基に、角膜移植医療及びアイバンク活動に貢献した方々を顕彰するため今泉賞を設定しました。第1回の受賞者は、今泉さんが手術を実施した岩手医科大学の眼球銀行と小山ライオンズクラブの2団体、それに個人が2人でした。

その小山ライオンズクラブを、以前に取材させてもらったことがあります。

小山ライオンズクラブが、献眼運動に取り組み出したのは1970年のことです。まず、クラブ会員全員が献眼登録し、翌年には町民へのPRのために「アイバンクの夕べ」を開催。また小山町の区長会でアイバンク運動についての協力を呼び掛け、小学校校区の会合でもPRを行いました。

小山町から望む富士山

更には会員が手分けをして、1軒1軒、献眼について説明して回るというローラー作戦を展開。その甲斐あって、老人会を中心にライオンズ友の会まで出来ました。こうした組織を通して、献眼運動の啓発が進んでいったのです。

72年5月、クラブの最長老だった小山彦平さんが、小山町初の献眼者となりました。その後、毎月会員か、会員の親類の人たちが献眼者となりました。町で亡くなった方があれば、会員たちは必ずお悔やみに上がって遺族を慰め、その上で献眼の意義も説きました。

小山では、不幸があった時、集落の人が総出で通夜や葬儀を手伝います。クラブでは、献眼者の葬儀に生花を贈り、アイバンクからの感謝状を捧げてきました。

こうして、運動を始めてから8年目には物故者の10%を超える方が、献眼をするまでになりました。その年、クラブでは献眼者合同慰霊祭を行って、改めて故人の尊い意志に感謝を捧げ、ねんごろに弔いました。心を尽くす、ということが、この活動ではとても大事なことなのです。

冨士霊園 献眼者慰霊碑

この手厚さが、町の人たちに感銘を与えたのでしょう。初の献眼者から数えて10年目には100人目の方が献眼され、その年、献眼者百霊合同慰霊祭が実施されました。この後、200霊、300霊・・・と節目ごとに合同慰霊祭を実施。89年には、町内にある冨士霊園に、「献眼者慰霊碑」を建立しました。

この頃には、小山町の物故者の4人に1人が、献眼をするほどになっていました。こうなると、町民に献眼の経験者が多くなり、ライオンズの会員が献眼の話をするまでもなく、近所の人が遺族に献眼を勧めたり、遺族自身がライオンズに連絡してくるようになっていました。

会員が社長をしている、建設会社の社員の夫人が亡くなった時のことでした。社長からかねがね献眼の話を聞いていたその社員は、長男に話しました。

「お母さんの眼を、見えない人のために役立ててあげたいんだ。どうかな」

長男は賛成でしたが、離れて暮らしていた長女が猛烈に反対しました。「亡くなったお母さんから、眼まで取ろうというの!」。

でも、その社員の方の決意は変わりませんでした。御殿場に住んでいたその方は、小山ライオンズクラブに献眼を申し出ました。

冨士霊園 桜並木

夫人の角膜は、東京で12歳と14歳の子に移植されました。告別式の日、感謝状が贈られ、移植が成功したことが報告されました。

お母さんの眼が生きている。長女は、ハッとそのことに気付きました。しかもお母さんの角膜を贈られたのは、我が子と同い年の子でした。眼の不自由だったその子が、母の角膜で見えるようになったのです。父の思いの深さにも気付きました。

「良かったな。お母さんの眼が立派に役に立って。なんか、お母さん、まだ生きてるような気がするね」

冨士霊園 桜並木

葬儀に参列した人々も同じ思いだったに違いありません。告別式の後、長女は、進んで献眼登録を申し出て、小山ライオンズクラブの運動の輪は町の外へと広がっていきました。

小山ライオンズクラブからの献眼者は、昨年10月で1777人を数えました。亡くなった方の献眼率は25%〜30%という高さで、毎年、約30人の方が献眼しています。まさに日本一の献眼の町です。

現在、小山ライオンズクラブでは、献眼専用の携帯電話を当番会員が所持し、昼夜を問わず対応しています。そして、奇数月は順天堂大学医学部付属病院、偶数月は東京大学医学部付属病院に摘出依頼し、迅速・誠実な対応を心掛けているということです。

冨士霊園 桜並木


この取材の時、冨士霊園にある献眼慰霊碑にも案内して頂きました。ちょうど桜の季節で、冨士霊園の参道は、満開の桜が咲き誇っていました。後に、「日本さくら名所100選」にも選ばれていることを知りました。取材目的が違ったので、私が見たのは、ごく一部でしたが、それでも約800mの参道沿いに約1000本のソメイヨシノが植えられ、立派な桜並木になっていました。園内には、約7000本のヤマザクラが植えられ、桜が咲きそろう時期には、息を呑むような美しい景色が見られるそうです。

富士山ドローンベースが、満開の千本桜の動画を公開しているので、埋め込ませて頂きます。

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