住民たちが丹精込めて作った流山の「あじさい通り」

東部あじさい苑

以前の記事(二十世紀梨のルーツは矢切の渡しで知られる江戸川沿いの街)に書いた、松戸市の本土寺へ行った際、近くに住む友人の高橋昌男さんが、寺まで案内してくれました。本土寺は別名「あじさい寺」と呼ばれ、初夏には1万株のアジサイや5000株のハナショウブが咲き誇ります。で、ひとしきり、境内でアジサイなどを撮影した後、帰り際に高橋さんが、隣の流山に、「あじさい通り」というのがあって、本土寺とはまた違った趣があるから寄ってみたら、とアクセス方法を教えてくれました。

東部あじさい苑
我が家とは逆方向でしたが、本土寺から1kmほどで、近くには「東部あじさい苑」という群生地もあるというので、行ってみることにしました。まず目指したのは、「東部あじさい苑」でした。国道6号から少し入った辺りで、道路を挟んだ向かいには、流山市東部公民館があるので、かなり分かりやすい場所でした。

ここは、小さな丘の斜面に約100mにわたって、アジサイが植えられていました。斜面には、階段も2箇所作られていて、下から眺めるだけではなく、近くで花を観賞することが出来ます。

斜面側には、建物などはなく、アジサイの奥や両側は、杉などの木々で覆われています。恐らく、杉林だった所を「あじさい苑」にしたのでしょうね。以前、群馬県の赤城山麓で、自生するアジサイを撮ったことがありますが、雰囲気がそこに似ていて、風景写真としても、いい感じの撮影スポットになっていました。

「あじさい通り」は、「東部あじさい苑」のあるバス通りから、2本入った住宅地の中にあります。距離にして400〜500m、歩いて5、6分です。

「あじさい通り」と「東部あじさい苑」は、南柏本州団地自治会の有志が、1992(平成4)年に植え始めたのが発端です。「あじさい通り」と呼ばれ、32種類ものアジサイで覆われる斜面は、以前は竹林だったそうです。それを、通り沿いの有志が、土地の所有者の承諾を得て、竹林の傾斜地を開墾。景観作りのために、アジサイを植栽したのが始まりです。

あじさい通り

その後、植栽の範囲を広げ、「あじさい通り」に加えて、「東部あじさい苑」も作り、いつしか噂が噂を呼び、アジサイの群生地として知られるようになってきました。当初は、自治会の会員だけで、植栽や除草、剪定などを行っていましたが、千葉県立特別支援学校流山高等学園からの申し出により、同学園の生徒たちも、作業に参加するようになりました。現在では、自治会会員と流山高等学園の生徒が協働して、アジサイの手入れを行っています。

あじさい通り

ちなみに、昨年行われた東京オリンピック・パラリンピックの卓球競技で使われた卓球台の一部は、流山高等学園の生徒たちが、製作に携わったそうです。東京パラリンピックの知的障害クラスの卓球には、同学園OBの竹守彪選手(27)が出場しており、後輩たちが関わった卓球台で、思い切りプレイしたことでしょう。

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