ヨシが繁る広大な湿地帯・渡瀬遊水地


義父は、関東平野のほぼ中央にある茨城県古河市の出身でした。戦後、ソ連によるシベリア抑留から生還、東京電力で定年まで勤め上げました。私の妻は、東京・中野の家で生まれましたが、義父は定年前に妹夫婦と隣り合わせで古河の土地を買っており、リタイア後は古河で暮らしました。

私の父は、水戸の出身でしたが、若い頃に東京へ出てしまい、祖父も晩年は東京で同居していました。そのため、水戸の実家は既になく、子どもの頃から田舎というものを知らなかった私は、古河が初めての田舎という感じでした。

その古河市のはずれを流れる渡良瀬川は、栃木県足尾町に源を発し、ここで利根川と合流します。渡良瀬川をはさんで栃木、群馬、茨城、埼玉の県境が交差する辺りに広がるのが、渡良瀬遊水地です。その中央には、かつて日本最初の公害事件として知られる足尾鉱毒事件で廃村になった谷中村がありました。

渡良瀬川河川敷で行われる古河の花火

その谷中村の遺跡が、今も谷中湖のほとりに残っています。しかし、湖周辺にはサイクリング・ロードが巡り、湖上ではウインド・サーフィンを楽しむレジャー・スポットに変貌しています。

東西約6km、南北約9km、東京の山手線内とほぼ同じ広さに相当する遊水地一帯は、ヨシが繁る広大な湿地帯です。その景観は、釧路湿原にも例えられるほどのスケールを持っています。都心から電車で1時間足らずの所だとは、ちょっと信じがたい光景です。

ここには、たくさんの野鳥が生息し、フナを始めとする魚も豊富。釣りを楽しむ人も多くいます。人の背丈よりはるかに高く生い茂るヨシは、よしずの材料となります。そのため、早春にはヨシ焼きが行われ、この広大な野が炎に包まれます。


また、遊水地からは東に筑波山、西に富士山、北に日光連山が望めます。冬の夕焼けと、晩秋と春先の早朝に川霧がたちこめる中の朝焼けは、格好の被写体となり、プロ、アマ問わず、多くの写真家が訪れます。特に元旦には、筑波山から昇る初日の出をとらえようと、土手の上にずらりとカメラが並ぶそうです。

もう1カ所、お薦めなのが、古河総合公園です。渡良瀬遊水地に比べると、ぐっとスケールは小さくなりますが、それでも都心に比べれば広い敷地の中、四季の花々が咲き誇り、市民の憩の場となっています。古河城主・土井利勝ゆかりのハナモモは、市の花に制定されていて、2000本もの桃林は4月上旬が見頃となります。また7月中旬から下旬にかけては、二つある蓮池で大賀蓮が花開きます。千葉県・検見川の、約2000年前の土中で発見された種子から蘇った古代蓮は、花が大きく鮮やかなピンク色です。


古河は、室町時代に足利氏が、古河公方と称して居を構えて以来の城下町。多くの史跡や由緒ある寺院が残る歴史の町でもあります。

関連記事→渡良瀬川と利根川に育まれた関東平野の城下町

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