前田真三さんが愛した美瑛の丘

美瑛 白い丘

以前の記事(東海随一の紅葉の名所・香嵐渓と足助の町並み)にも書きましたが、かつて編集に携わっていた雑誌で、写真家の前田真三さんに1年間表紙をお願いしたことがありました。その企画は、凸版印刷アイデアセンターの担当者から持ち込まれたもので、前田さんが、写真集『奥三河』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した翌年、ちょうど『丘の四季』が出版された頃でした。

美瑛 白い丘

で、前田さんが、7月号用に選んだ写真は、美瑛の丘の写真でした。拓真館のウェブサイトにある「心に残る10枚」の一つ、「麦秋多彩」が、その写真です。これについて前田さんは、本誌のエッセーで「麦熟れる丘」と題して、次のように書いていました。

「さわやかな初夏の風が、心地よく丘を吹き抜けていた。あたり一面、真っ白いジャガイモの花畑である。ゆるやかな丘は、適当な起伏を保ちながら果てしなく続いている。空は抜けるように青い。目を東に向けると、まぶしいばかりの残雪のなかに噴煙を真っすぐ天に突き上げている十勝岳の主峰。やや北に転ずるとトムラウシから大雪連峰が指呼の間に望まれる。そのとき私は、あまりにも雄大で美しい風景に心を奪われてしまった。そして、馬の背のようななだらかな丘の上に整然と並んだ一条のカラ松林を見た。それは周囲の風景とよく調和している、というよりも、この丘のカラ松のために丘をとりまく大風景が存在している、という感じであった。「これこそ日本の新しい風景だ」と、思わず心のなかで叫んだ。これがこの丘との最初の出会いである。

この丘に通いはじめて、やがて16年になろうとしている。この丘とは、北海道中央部、旭川市から富良野市に至る中間の美馬牛峠および深山峠付近の丘陵地帯である。この付近一帯は、人工的に整地された畑作地帯であるから、やや野趣に欠ける面もあるが、ジャガイモをはじめ小麦やビートなど西洋的な作物が多く、ゆるやかな丘の連なりは、ヨーロッパの田園に匹敵するしゃれた風景であるといっても過言ではない。

さて、この写真はその丘陵地帯の真ん中にある美瑛町で撮影したものである。すでに日暮れに近い時刻で、空は異様に暗かった。四囲の緑がようやく落ち着きをみせ、麦畑がゆるやかな起伏で広がっていた。わずかな雲のすきまから夕日が差し込み、麦秋の丘は一段と赤味を増していた。そんな光の魔術に、とりつかれたように私はシャッターを切った。風景写真に理屈はいらない。だめだと思っても挑戦してみることである。それが傑作を生む最大の要因であることを思い知らされた一枚である。

この季節になると、紫色のラベンダー畑が目につき始める。この花は西洋風の丘陵地帯にまことに似合っている。花や小麦、ジャガイモ、ビート、小豆などの農作物だけでなく、忘れてはならないものが大雪、十勝、芦別の山々である。これらの山々が単調な景観を引き締めている。そしてさらに、丘に点在する白樺やポプラ、カラ松などの木々。あるものは畑のなかに一本、あるものは丘の頂きに整然と並んで、この丘陵の景観を見事につくりあげている」

美瑛

美瑛は、前田さんの写真により、「丘のまち」として一躍有名になり、コロナ前の2019年には年間220万人を超える、道内屈指の観光地となりました。私も2、3度、美瑛へ行っていますが、残念ながら麦秋の頃ではなく、晩秋と冬だったので、前田さんにお借りした表紙写真と同じ風景には出会っていません。

美瑛

さて、前田さんは1年間の表紙写真とエッセーの連載を終えるに当たって、私たちにメッセージをくださいました。ここに転載しておきます。

「今月号をもって私の連載は終了する。最後に日本の自然に対して一言書くことをお許し頂きたい。我が国は、アジア大陸の東方に北緯25度から45度にかけて、約3000kmにも及ぶ弓状の列島をなしている。複雑で変化に富んだ地形の国土は、その70%以上が森林に覆われており、四季の変化が表す自然の美しさは世界の中でも最も優れていると言われている。その豊かな自然に恵まれ過ぎているせいか、日本人は木を切ることも鳥獣を捕えることにも、あまり疑問を持つことなしに生活してきたという一面がある。しかし昨今、機械力による広い地域の開発が進むにつれ、自然の回復力をはるかに上回る破壊が進んで、自然破壊を防止しようという反省の動きが起こり、自然保護の必要性が叫ばれるようになった。つまり、自然と人間とのバランスが崩れていく傾向が強くなっている、ということだ。我々日本人は昔から自然を愛し、自然とともに心豊かに生きてきた。経済だけの繁栄はあり得ないはずで、国際社会の一員としての責任を果たすことももちろん大切であるが、この豊かな自然を子々孫々に伝えるための努力こそ、現代の日本人に課せられた最も大きな義務ではないだろうか」

コメント

  1. 前田真三さんの言葉染みますねぇ。私がそもそも美瑛に取り憑かれたのは「北の国から」のドラマで北海道通いをする中、前田真三さんの写真を知り、美瑛派に宗旨替えをしました。

    一昨年の秋に美瑛に久しぶりに行きましたが、目印の🌲が倒され風景が変わっていたことが残念でした。

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    1. 日本の風景写真では、竹内敏信さんと前田さんが2トップだと思っています。大判、中判は前田さん、35mmは竹内さんという感じでしょうか。

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    2. 何年の何月号ですか?

      竹内さんという写真家は知りませんでした。

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    3. 1987年7月号です
      https://www.thelion-mag.jp/emag/198707/index_h5.html#30

      35mmでの撮影ということで、竹内さんにはずいぶん影響を受けました。
      http://www.takeuchitoshinobu.jp/index.htm

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