21もの「七不思議」がある足摺岬と金剛福寺
足摺岬を見下ろす丘の中腹に、四国霊場第38番札所の金剛福寺があります。一般社団法人四国八十八ケ所霊場会のウェブサイトによると、蹉跎山補陀洛院金剛福寺(さださんふだらくいんこんごうふくじ)は、822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師が三面千手観音を本尊として開創したそうです。代々皇室の勅願所として栄え、また源氏一門の帰依が厚かったといいます。
そのサイトを読んでいて、気になる一文を見つけました。「『七不思議』と言う大師遺跡が岬突端をめぐるようにあります」。むむっ、七不思議とな・・・。
早速、調べてみると、土佐清水市のウェブサイトに「足摺の七不思議」という記事が掲載されていました。それによると、「1.ゆるぎ石 2.不増不滅の手水鉢 3.亀石 4.汐の満干手水鉢 5.根笹 6.大師一夜建立ならずの華表 7.亀呼場 8.大師の爪書き石 9.地獄の穴」と。。。あれ? 七不思議じゃないの? 九不思議? と思ったら、写真の下にあった解説に、「※七不思議とは、不思議が七つあるという意味ではなく、多くの不思議があるという意味です」と、おことわりが書いてありました。そこで更に検索してみると、九つどころか21もの不思議があるそうです。3倍じゃん!
ちなみに残りの12個は、「犬塚」「竜の駒」「行の岩」「鐘の石」「阿字石」「亀呼石」「天灯松」「龍灯松」「龍の遊び場」「汐吹の穴」「午時の雨」「喰わずの芋」です。
土佐清水市のウェブサイトから、主な「不思議」を紹介しておきます。
「ゆるぎ石」:弘法大師が金剛福寺を建立した時発見した石。乗り揺るがすと、その動揺の程度によって孝心をためすといわれています。
「不増不滅の手水鉢」:賀登上人と弟子日円上人が補陀落に渡海せんとしたとき、日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれています。「亀石」:この亀石は自然石で、弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海中にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かっています。
「汐の満干手水鉢」:岩の上に小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなるといわれ、非常に不思議とされています。
「亀呼場」:大師がここから亀を呼び、亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、祈祷をされたといわれています。
「大師の爪書き石」:これは弘法大師の爪彫りといって、「南無阿弥陀仏」と六字の妙号が彫られています。
「地獄の穴」:今は埋まっていますが、この穴に銭を落とすと、チリンチリンと音がして落ちて行き、その穴は金剛福寺付近まで通じるといわれています。
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実のところ、以前の記事(黒潮に育まれた四国最南端の町・土佐清水)に書いたように、足摺岬も金剛福寺も訪問しましたが、七不思議のことはつゆ知らず、一つも見ずに帰って来てしまいました。ただ、足摺岬の展望台から、はるか彼方の水平線を望んでいて、ふと視線を下げたら、海の中にポツンと浮かぶ岩の上で、釣りをしている人を見つけました。どうやって行ったのか、「不思議」に思ったのですが、その岩こそが不動岩だったので、亀の背中に乗って渡ったんですね、きっと。他のサイトに、「今でも海に向かって亀を呼ぶと、弘法大師が呼んでいるものと思って浮かび上がってくる」とありましたし(笑)。
不動岩 |
上の写真を拡大したもの |
ところで、「不思議」の一つ、不増不滅の手水鉢には、補陀落渡海のことが出ていました。補陀落渡海とは、観音菩薩の住む補陀落浄土を目指して船で単身渡海することです。平安時代から江戸時代にかけて、全国で56例が記録に残っているそうですが、足摺岬は、熊野の那智山と並んで、補陀落渡海の聖地となっていました。「不思議」に登場する賀登上人は、1001(長保3)年の渡海、他に日円坊、理一上人、阿日上人、正実沙弥などが記録されています。
ちなみに補陀落は、インドの南海岸にある山とされていましたが、補陀落渡海は日本独特の行動で、目的地は、実在しているのかさえ分からない場所だったはずです。にもかかわらず、決死の船出をするという、それこそ「不思議」な宗教現象なので、古来、謎の行動とされてきたようです。
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