白壁と茅葺き屋根が映える嵯峨野・愛宕詣の門前町
京都には、仕事で何度も行っていますが、正直、どこもかしこも観光客が多すぎて、個人的には観光をする気にはなれません。そのため、有名スポットは、中学、高校の修学旅行で回った所ぐらいしか知りません。
そんな中、やっぱり京都はいいなあ、と思ったのは、洛外の嵯峨野です。と言っても、JR山陰本線嵯峨嵐山駅を中心としたエリアは、世界から観光客が押し寄せる人気スポットです。なので、私が気に入ったのは、嵯峨野は嵯峨野でも、人が少ない早朝の嵯峨野と、観光スポットからは少し外れる奥嵯峨野と呼ばれるエリアです。
嵯峨野は、丹波高地東部の佐々里峠を源とする桂川が、嵐山で京都盆地に流れ出た辺りの左岸一帯を指します。正確には、東は東映太秦映画村がある太秦に隣接する「嵯峨野」を冠するエリア、西は小倉山(嵯峨亀山町)のふもと、南は桂川を挟んで嵐山の対岸地域、北は愛宕山(嵯峨愛宕町)のふもとというのが、本来の範囲となるようです。現在の町名では、小倉山の西(嵯峨水尾)や愛宕山の北(嵯峨越畑)なども、「嵯峨」が付いていますが、嵯峨野の野が野原の野であれば、やはり平野部を指すのでしょう。
で、早朝の嵯峨野ですが、嵯峨野でも特に人気がある「竹林の小径」も、朝早くであれば、人通りが少なく、とても静かに散策することが出来ます。JR山陰本線京都駅の始発は5時31分です。一番電車が嵯峨嵐山駅に着くのは、5時47分。竹林の入口にある野宮神社(ののみやじんじゃ)までは徒歩10分程度なので、6時頃には竹林に到着出来ます。私が行ったのは夏だったんですが、十分に光があり、人出が多くなる時間まで、じっくり写真を撮ることも出来ました。
竹林の小径は、野宮神社と大河内山荘の間、約200メートルの道で、周辺には数万本の竹が生い茂っています。ちなみに野宮神社は、その昔、天皇の代理で伊勢神宮に仕える斎王が、伊勢へ向かう前に身を清めた「野宮」に由来しています。『源氏物語』賢木の巻には、光源氏との結婚を諦め、伊勢の斎宮に選ばれた娘の秋好中宮に同行するため野宮に籠った六条御息所を光源氏が訪ねる場面が描かれています。そんな野宮神社の本殿には、野宮大神(天照皇大神)を、またいくつかある境内社には愛宕大神、白峰弁財天、白福稲荷大明神、大山弁財天、野宮大黒天が祭られています。その一つ、本殿の左にある白峰弁財天社は、芸能上達の神様として知られています。
もう一つのお気に入りスポット奥嵯峨野は、化野(あだしの)、愛宕(おたぎ)の二つの念仏寺がある嵯峨鳥居本のエリアです。もともと鳥居本は、農林業や漁業を生業とする集落として開かれました。その歴史は古く、室町時代末期にまで遡ります。
その後、江戸中期になると、鳥居本は愛宕神社へ参詣する人たちが立ち寄る門前町としての性格を次第に強めていきました。その結果、街道沿いには、昔ながらの農村特有の景観の中に、町家や茶店が混在するという独特の町並みが形成されました。町家の白壁が奥嵯峨野の風景に溶け込むその美しい町並みは、1979(昭和54)年に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
保存地区は愛宕街道に沿った長さ約600m、面積約2.6haの地域で、残されている建造物のほとんどが、江戸末期から明治にかけての建物です。
鳥居本の町並みは、街道の中ほどにあるあだしの念仏寺を境にその趣を変えます。八体地蔵からあだしの念仏寺までの下地区は、桟瓦葺きの屋根に虫かごに似た「虫籠(むしこ)窓」、千本格子、駒寄せなどのある町家風の家が続きます。一般に京都の町家は間口が狭く、奥行きの長い敷地割りが多いのですが、この辺りの町家は間口が広いのが特徴です。
また、あだしの念仏寺から愛宕神社一の鳥居に近い上地区には、茅葺き屋根の農家風の民家が多く見られます。農家風とはいえ、茅葺き屋根の下には、町家の千本格子や太い米屋格子が配されているのが、鳥居本の特徴です。江戸時代には、芭蕉門下十哲の一人・向井去来もこの地で閑居しました。師匠である芭蕉もまた嵯峨野を訪れ『嵯峨日記』を残しています。芭蕉、去来でなくとも、ここ嵯峨野は散策が似合う場所です。
鳥居本は、人気の嵯峨嵐山エリアから更に西北、五山送り火の「鳥居形」が灯る蔓陀羅(まんだら)山と、小倉百人一首ゆかりの小倉山の山間を通り、愛宕神社の表参道につながる一筋の道・愛宕街道沿いにあります。茅葺きや瓦葺きの町家が軒を連ね、古き嵯峨野の姿を今に伝えているようです。
愛宕神社は、全国に約900社を数える愛宕神社の本社で、京都市最高峰の霊山・愛宕山の山頂にあります。愛宕神社一の鳥居から二の鳥居までは、途中の愛宕念仏寺を通り約1.4km。そこから、愛宕山山頂までの表参道は約4.4km、約2時間の行程になります。
以前の記事(魚沼産コシヒカリを使った「しんこ餅」 新潟県南魚沼)で、しんこ餅について書きましたが、京都では中ほどをねじった形状のしんこ餅が一般的です。かつては、お盆の時期に作られる菓子で、「送りだんご」とも呼ばれました。で、愛宕神社の「志んこ」も有名で、以前は山道が続く参道に何軒もの茶屋があり、「志んこ」を振る舞っていたそうです。一の鳥居の傍らにある創業400年の鮎料理店「平野屋」も、古くは愛宕神社参拝の腰掛け茶屋で、ここでは現在も愛宕名物の「志んこ」が味わえます。
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