キャンドルの町として、世界に知られる鈴鹿路の宿場町

関宿(重要伝統的建造物群保存地区)

亀山市は三重県の北西部、鈴鹿山脈の南東麓にあり、起伏の多い地形から「丘のまち」とも呼ばれます。かつては6万石の城下町として、また東海道の宿場町として栄え、鈴鹿路の要でした。明治に入ってからは、関西本線と参宮線(現紀勢本線)の分岐点となり、諸設備が設けられて発展しました。更に国道1号や東名阪高速自動動車道路が通じ、JR東海とJR西日本の境界線となるなど、今も中京・阪神二大経済圏の接点という重要な位置を占めています。

関宿(重要伝統的建造物群保存地区)

江戸時代の伊勢亀山藩は、藩主の交替が激しく、江戸中期も後半の1744(延享元)年に、石川氏が6万石で入ってから、ようやく安定しました。亀山市内の宿場は、亀山宿、関宿、坂下宿の3宿があり、その一つ亀山宿は、伊勢亀山城の城下町でもありました。また、関宿、坂下宿は旧関町(2005年に亀山市と合併)にあった宿駅で、関はその名の通り、古代三関の一つ「伊勢鈴鹿関」が置かれていました。

関宿(重要伝統的建造物群保存地区)

伊勢鈴鹿関は、672(天武天皇元)年に起きた古代日本最大の内乱・壬申の乱を描いた、『日本書紀』巻第28「壬申紀」の記載の中に、その名が出ています。その後、741(天平13)年に、日本最初の大僧正で東大寺大仏造立という国家プロジェクトのリーダーを務めた行基上人が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この地に地蔵菩薩を安置したと伝えられます。

関地蔵院

この本尊は日本最古の地蔵菩薩で、近在の人々や東海道の旅人の信仰も集め、周辺には門前町が形成され、この集落そのものが「関地蔵」と呼ばれるようになりました。そして、関地蔵院を中心に、次第に宿場町が整備されていきました。この関宿は現在、東海道で唯一、往時の町並みを色濃く残しているスポットして知られ、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。

みそ焼きうどん

その関宿を歩いていて見つけたのが、みそ焼きうどんです。「2011中日本・東海B-1グランプリ」を獲得したB級グルメらしいのですが、個人的には、ご飯と味噌汁がついていたのが、謎でした。まあ、それが、B級たるゆえんなのかもしれませんが、高山でB級グルメをご馳走してくれ(https://petitavi.blogspot.com/2021/01/19.html)、この地方に詳しいOTさんは、「みそ焼きうどんは、三重県ではメイン・ディッシュだと思われます」と解説してくれました。

カメヤマローソク
ところで亀山は、伊勢亀山藩石川家14代の総禄が、藩の財政再建のため茶の栽培を奨励するなど、古くから茶の産地として知られていましたが、近年は「世界の亀山」で知られる液晶パネルの生産で有名になりました。しかし、実はそれ以前に「世界の亀山」となったものがありました。それは、美術キャンドル。亀山市は、美術キャンドルの産地として、国内はもとより、海外にまでその名を知られているのです。

日本では古来、ハゼの実やウルシなどの植物から採取した「木ろう」で、和ろうそくが作られていました。その後、明治時代にパラフィンが輸入され、洋ローソクが登場します。亀山でのローソク生産は、そのもっと後、昭和の初めになってからです。しかし、その伝統のなさゆえ、機械化や効率化、美術キャンドルへの進出などを容易に、かつ積極的にさせ、今の発展につながりました。

現在、亀山市は日本一のローソク産地となっています。最初は「カメヤマローソク」1社で始まったものですが、今や市内に数社が設立され、亀山市の地場産業として大きく発展しています。特に昭和12年から始めた輸出向け美術キャンドルは、亀山のローソクの名を一挙に高めました。

カメヤマローソク

ヨーロッパの国々では、昔からキャンドルが、暮らしの中に溶け込んでいました。今でも、食卓の彩りとして、あるいは部屋のアクセサリー、ムードメーカーとして、キャンドルは重要な位置を占めています。そうした伝統的な文化の中で認められ、人々の暮らしの中に入り込んでいったのを見ても、亀山のローソクの優秀さが分かるというものです。

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