豊かな自然と伝統の技が息づく城下町

白石城
白石市のウェブサイトで観光情報を見ると、市内を三つのエリアに分けて紹介しています。それは、中心エリア、小原エリア、鎌先エリアの三つです。

中心エリアは、白石城や武家屋敷など、城下町としての白石がメイン。そして小原エリアは小原温泉と材木岩公園、鎌先エリアは鎌先温泉と弥治郎こけし村となっています。

白石市は江戸時代、伊達氏が治める仙台藩の一部になっていました。江戸に幕府を開いた徳川家康は、居城以外の全ての城を廃城とする「一国一城令」を立案し、1615(慶長20)年、2代将軍秀忠がそれを発令しました。これによって、全国で多くの城が破却されましたが、藩域が広いなどの理由で、一部には複数の城が残った藩もありました。

例えば紀州藩では、紀伊と伊勢の二つの令制国に、和歌山城と松坂城、田丸城、田辺城、新宮城の5城を保持しました。これは、紀州藩が、御三家の一つであることと、西国諸大名への備えとすることが、要因だと考えられています。

白石城
そんな中、仙台藩でも、政宗の居城である仙台城と、白石城が残されました。これは、白石城を預かっていた片倉小十郎を、家康が高く評価していたためとも言われています。ただ、仙台藩ではこの他にも、要害の名目で21カ所もの城を維持し続けるという裏技を使っていたのですが・・・。

しかし、そんな白石城も、明治維新後の1874(明治7)年には廃城令により解体。その後、何度か復元の話が持ち上がったようですが、それが実現したのは、1995(平成7)年になってからでした。これは、全国的にも珍しい木造での復元で、1823(文政6)年に再建された、3階櫓が忠実に再現されています。「木造復元天守」は、これまでに、白河小峰城(1991年)、掛川城(1994年)、白石城(1995年)、新発田城(2004年)、大洲城(2004年)の5城がありますが、白石城は高さ、広さ共に最大級の城となっています。

この白石城の北、三の丸外堀に当たる沢端川沿いに、片倉家の用人だった小関家の屋敷があります。1730(享保15)年に建てられた屋敷は、白石市に寄贈され、現在は市民や観光客の憩いの場となっています。その周辺は、とても閑静で、城下町の風情が残るエリアになっています。

白石 武家屋敷街

小関家屋敷

次なる小原エリアにある材木岩は、高さ約65m、幅約100mの柱状節理。白石川の上流、ダム湖百選に選定されている七ケ宿ダムのすぐ下流にあり、まるで何本もの材木を立て掛けたかのように見えることから、その名が付きました。周辺は材木岩公園として整備され、園内には天然の風穴を利用してカイコの卵を貯蔵したという氷室が復元されているなど、ちょっと珍しい施設も見学出来ます。

小原の材木岩

4月後半から5月初めのゴールデンウィークには、この材木岩近くに大量の鯉のぼりが飾られます。2004(平成16)年から地元住民が始めたもので、当初飾られたのは200匹ほどでした。しかし、東日本大震災翌年の2012年、被災地に元気を届けようと、不用になった鯉のぼりの寄付を新聞などで呼び掛けたところ、北は北海道から南は九州まで全国各地から約500匹の鯉のぼりが寄せられました。以後、掲げる数が一気に増大。ここ数年は地元住民だけではなく、ボランティアも加わり、材木岩を望む白石川の両岸約70mにワイヤを張り、8列にわたって約800匹の鯉のぼりを飾り付けています。

材木岩の鯉のぼり吹き流し

七ケ宿ダムから吹き下ろす強い風を受けた色とりどりの鯉のぼりが、雪解け水を集めて轟々と流れる白石川の上を勢いよく泳ぐ様は、まさに鯉の滝登りを思わせます。新緑の材木岩という絶好のロケーションとあいまって、一度は見ておきたい光景です。

弥治郎こけし工人佐藤英雄さん

弥治郎こけし

最後の鎌先エリアは、伝統こけしのルーツの一つ弥治郎系の本拠地です。弥治郎こけしについては、以前の記事(南蔵王連峰山麓・弥治郎に伝統こけしの源流を訪ねて)に詳しく書いていますが、簡単に言うと、奥羽の薬湯として知られる鎌先温泉の土産物として発生しました。ロクロ模様を多用した大きな頭と胴体が特徴です。頭部はさし込み式で、ロクロによる二重、三重の輪が描かれ、ベレー帽をかぶったように見えます。色も鮮やかで、赤、黄、緑、紫、黒が基本色です。

前の記事では、弥治郎こけし組合長だった佐藤辰雄さんに協力して頂いたのですが、その後、その弟子の佐藤英雄さんも取材させて頂いたことがあります。佐藤英雄さんは、もともと焼肉店を経営していました。しかし、母方の祖父の代で途絶えていたこけし作りの再興を切望され、1981年、32歳の時に一念発起して修行を始めました。その修行先が佐藤辰雄さんの所でした。

ロクロ技術の修得に3年。その間は無給。お子さんが4人いた英雄さんとしては、かなり思い切った決断です。が、伝統を受け継ぎ、それを伝えるのが自分の使命だと、考えたそうです。後継者難に直面している現状に、英雄さんは、「子どもたちにはアマチュアとしてでもいいから、ロクロ技術だけは伝えたい」と話していました。


コメント

このブログの人気の投稿

悲しい歴史を秘めた南の島の麻織物 - 宮古上布

愛媛県南部の初盆行事 - 卯之町で出会った盆提灯

銘菓郷愁 - 米どころ偲ばせて「養生糖」 新潟県新発田

『旅先案内』都道府県別記事一覧

岩手の辺地校を舞台にした「すずらん給食」物語

上州名物空っ風と冬の風物詩・干し大根 - 笠懸町

越後に伝わるだるまの原型「三角だるま」

地域の復興に尽くすボランティアの母 - 八幡幸子さんの話

飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

日本最北端・風の街 - 稚内