南蔵王連峰山麓・弥治郎に伝統こけしの源流を訪ねて
白石市福岡八宮字弥治郎。ここが、弥治郎系こけしの発祥地です。白石市街から北西へ約5km、昔から奥羽の薬湯として知られた鎌先温泉があります。弥治郎の集落は、ここから更に北西へ1.5kmほど行った所にあり、こけしは鎌先温泉の土産物として発生しました。
「伝統こけし」は、東北地方に限って見られる木地玩具ですが、いずれも温泉場を本拠とした湯治土産が元で、その担い手は木地師というロクロ工人団でした。
木地師の本拠は当初、京阪周辺の山地で、特に近江(滋賀県)や吉野(奈良県)が中心だったようです。やがて原材が乏しくなるまま、彼らは深山に良木を求めて散っていきました。それは、地方的な漆器工芸の形成とも関係します。
東北地方にも、こうした木地師の集落は多く、特に会津山地に集中していました。これらは会津漆器と結びついていましたが、会津城下から外れた山地に入った木地師団は、漆器問屋との関わりがなく、そのため湯治客相手の木地物商売とりわけ木地玩具の製作販売を始めたと見られています。東北地方には、温泉が多くあります。その湯治客に目をつけたのは、当然だと言えるでしょう。こうして発生した伝統こけしは、10系統に分類されます。土湯、鳴子、遠刈田、そして弥治郎の4者をいわば源流とし、作並、蔵王高湯、肘折、木地山、津軽、南部の6者を、後の発生ながら独自の型を伝えるものとしています。そして更に、これらの分派が各地にあります。
これは、近くの温泉という小さな市場だったことから、長男以外が木地業で身を立てる場合は、自分で新しい市場を開拓して独立する必要があったためです。弥治郎系のこけしが白石、小原、仙台、飯豊、米沢、郡山、熱塩、塩川、いわき、そして北海道の弟子屈などに散在するのも、このためです。しかし、今では東北地方全体の土産として、また日本を代表する人形として海外にまで、販路は広がっています。
弥治郎も昔は半農半工で、木地仕事は農閑期に限られていましたが、今では1年中やっています。そして毎春、白石市では、「全日本こけしコンクール」が開催され、日本中のこけし製作者の自信作が持ち寄られます。白石という地名は、こけし愛好者にとって、メッカの感さえある地名なのです。
←ロクロ工作は清和天皇の兄、惟喬親王(844-897)が、近江国小椋の里に隠棲中に創案したと言われます。弥治郎には惟喬親王を祭った「こけし神社」があり、1月2日は初挽きの儀式、10月の祭礼にはこけしの奉納なとが盛大に行われます。
コメント
コメントを投稿