神秘的な地底湖がある龍泉洞と、迷宮型鍾乳洞の安家洞
2011年3月11日の東日本大震災では、沿岸部の小本地区を中心に、死者9人、202棟の家屋が流失または損壊し、漁業を中心に産業も打撃を受けました。その年4月に町営化50周年を迎えた龍泉洞も、震災の影響で地底湖が白濁。洞内の安全点検後、4月27日に営業を開始しましたが、5月の来客数は前年の8割減となっていました。
私は震災の年の6月19日に岩泉を訪問しました。この時は、内陸部のみだったので、途中にあった「すずらん給食」の舞台・藪川小学校には寄れましたが、被害が大きかった沿岸部までは回れませんでした。しかし、仕事の合間を見て、龍泉洞に入ってみました。
龍泉洞は、大規模な地底湖と多彩な鍾乳石群の美しい造形で、秋芳洞(山口県)、龍河洞(高知県)と共に、日本三大鍾乳洞に数えられています。日本の地質百選にも選ばれている他、洞内で生息するコウモリも含め国の天然記念物に指定されています。
龍泉洞の洞内は、既に判明している範囲だけでも4088m以上あり、全容は5000m以上に達すると言われています。一般公開されているのは、そのうちの1200mで、この区間は歩道や照明も整備されていますが、足元は滑りやすいので、注意しながら歩いてください。
龍泉洞の最大の見どころは、透明度の高い地底湖です。鍾乳洞の奥から湧き出る清水が、数箇所にわたって地底湖を形成しており、中でも水深98mの第3地底湖は、世界有数の透明度を誇ります。ライトアップされた湖は、鍾乳洞の名前からドラゴンブルーと名付けられた青みがかった水をたたえています。
この龍泉洞から北へ18kmの場所に、もう一つの鍾乳洞「安家洞(あっかどう)」があります。安家洞は、総延長2万3702mと、日本一長い鍾乳洞として有名です。主洞は東本洞、西本洞、奥本洞の三つに分けられますが、実際には1000本以上の支洞が入り組んでおり、「迷宮型鍾乳洞」と呼ばれています。
既に埋没期に入っている主洞の長さは約2300mで、 ヘルメット着用での入洞になりますが、観光洞として一部が公開されています。ただ、さすがの「迷宮型」なので、一般公開されているのは、入口から500mのみ。それでも、龍泉洞からそう離れているわけではないので、時間があれば寄ってみたいポイントです。
ところで、安家洞がある安家地区に、「安家地大根」と呼ばれる伝統野菜があります。表皮は鮮やかな紅色で、中身は白ないし紅色という印象的な色合いと、強い辛みが特徴で、おろすと紅白の色合いが奇麗に生かされます。中国の寒冷地がルーツであると言われ、寒さの厳しい岩手県北部の気候にも順応してきました。
戦後は青首大根の普及で栽培が激減しましたが、以前の記事(十三浜ワカメに焼きハゼ、石巻焼きそば、そして鯨の刺身)で紹介した、石巻市長面浦の焼きハゼなどと共に、スローフード国際協会により「味の箱舟」に指定されたことで、現在も門外不出の伝統野菜として、安家の人たちにより守られています。
例年8月上旬に種をまき、10月頃に収穫。年間生産量は約3000本程度で10月から12月までがシーズンです。栽培は安家地大根保存会、集荷と販売は岩泉町の第3セクター・岩泉ホールディングス株式会社産業開発事業部が担当しています。産業開発事業部は、龍泉洞の水充填施設「ミネラルハウス」や、二つの道の駅(道の駅いわいずみ、道の駅三田貝分校)などを運営。そのため、安家地大根も道の駅で購入出来ます。
盛岡から岩泉までは、北上山地を越えて太平洋側の岩泉町小本へと抜ける、昔の小本街道 ー 国道455号をひた走ります。盛岡から30kmほど走ると、左手に日本一美しい人造湖と言われる岩洞湖があり、ここから約25kmで、道の駅三田貝分校に着きます。これは、1889(明治22)年に開校し、1999(平成11)年に児童数の減少により閉校した岩泉町立門小学校三田貝分校を有効活用した施設です。
三田貝分校の「購買部」では、地元の農畜産物や加工品などが並び、安家地大根以外にも、日本の短角種のルーツいわいずみ短角牛のコロッケや、名物の「分校まんじゅう」、「きなこあげぱん」などが売られています。また、「給食室」では、分校時代に実際に使われていた机が並び、「三田貝分校の給食風セット」「分校ラーメン」、岩泉のソウルフード「ホルモン鍋定食」などのメニューが味わえます。
三田貝分校は、「日本一ノスタルジックな道の駅」とも呼ばれているので、私のように盛岡からレンタカーを選択した場合は、ぜひとも立ち寄りたいものです。
コメント
コメントを投稿