香ばしい皮に包まれた「空也もなか」 東京都中央区
まだ築地に事務所があった2014年、久しぶりに訪ねて来られた知人が、手土産に空也の最中を持って来てくださったことがありました。「空也もなか」というと、母が存命中、「予約してあるから昼休みに取ってきて」と、よく言いつかったものです。
空也は、銀座6丁目の並木通り沿いにあり、事務所からは歩いて15分程度。昼休みの散歩には、ちょうどいい案配でしたが、いつも取りに行くだけで、私の口に入ったためしがありませんでした。ただ、予約しないと手に入らないことだけは頭に入りました。
1884(明治17)年に創業した空也の初代古市阿行は、実は江戸城の畳職人だったそうです。それが、大政奉還で職を失い、踊り念仏仲間の一人、榮太樓總本鋪の創業者である細田安兵衛(幼名栄太郎)の力添えもあり、職人を集めて和菓子屋を開いたといいます。そして、踊り念仏の由来である空也上人の名を屋号としました。また、踊り念仏の拍子をとる時に叩くひょうたんから着想を得て、最中をひょうたん型にしました。
「空也もなか」の最大の特徴は、「焦がし種」とよばれる香ばしい皮にあります。これは、初代が懇意にしていた9代目市川團十郎を訪ねた際、團十郎が長火鉢で炙った最中を出してくれ、それが美味だったことから、皮を焦がした最中を作るようになった、と伝えられています。中の餡は、北海道の契約農家から仕入れた小豆に白ざらめを加えて炊き上げ、最後に水飴でつや出しをしています。シンプルですが、すっきりと控えめな甘さに仕上がっています。
ところで、空也というと、よく、夏目漱石が愛したとか、『吾輩は猫である』に登場するとか紹介されます。前の記事(銘菓郷愁 - 漱石にも勧めたい『坊っちゃん団子』 愛媛県松山)にも書きましたが、漱石は甘いものが大好きだったそうです。
で、漱石が、自宅の菓子鉢に常備していたのが、空也餅だったらしく、『吾輩は猫である』に登場する空也餅のくだりは、実話だったようです。そのうちの1カ所は、門人である水島寒月の縁談で、相手の母親が訪ねて来た時の話でした。
「『御話は違いますが ― この御正月に椎茸を食べて前歯を二枚折ったそうじゃ御座いませんか』『ええその欠けた所に空也餅がくっ付いていましてね』と迷亭はこの質問こそわが縄張内だと急に浮かれ出す。」
実はこれ、夏目漱石の門人・寺田寅彦のエピソードだそうで、寺田自身がエッセーの中で、次のように書いています。
「いつかどこかでごちそうになったときに出された吸い物の椎茸をかみ切った拍子にその前歯の一本が椎茸の茎の抵抗に負けてまん中からぽっきり折れてしまった。夏目漱石先生にその話をしたらひどく喜ばれてその事件を『吾輩は猫である』の中の材料に使われた。この小説では前歯の欠けた跡に空也餅が引っかかっていたことになっているが、そのころ先生のお宅の菓子鉢の中にしばしばこの餅が収まっていたものらしい」
というわけで、漱石は、寺田寅彦や、迷亭のモデルと言われる美学者・大塚保治らと、空也餅をほおばりながら、ほら話に講じていたのかもしれません。ちなみに、空也餅は現在、年に2回、11月と1月中旬から2月中旬の2~3週間のみ、期間限定で販売されています。
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