銘菓郷愁 - 漱石にも勧めたい「坊っちゃん団子」 愛媛県松山
米の粉を水で練って、小さく丸めて蒸したり、ゆでたりしたものを団子と呼んだのは、ずいぶん昔のことだったそうです。宮崎県などには、神武天皇の話にちなんだ団子を「だご」と呼び、お祭りの時に作る風習が見られたりしますから、団子作りは、稲作文化と共に伝わった、と考えた方が良いのかもしれません。
江戸時代に書かれた『瓦礫雑考』という随筆集では、中国の唐の時代(7世紀)に、「粉団」という名の団子を、端午の節句の時に作っていたことが出てくるそうです。中国では、小麦以外の穀物の粉をこねて、小さく丸めて蒸したものを「円」と呼び、その中に餡を入れたものを「団」と言ったそうで、団子の製法も中国から伝わったのだろうと言われています。
団子を串にさして、焼き団子にして食べることも、かなり古くから行われていたようで、室町時代にはあったのではないか、と言われています。
松山の「坊っちゃん団子」は串団子に工夫を凝らしたもので、夏目漱石の名作『坊っちゃん』にちなんで作られたものです。『坊っちゃん』には、団子を食べるくだりが、次のように描かれています。
「住田と云う所は温泉のある町で(略)おれの這入った団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいと云う評判だから温泉に行った帰りがけに一寸食ってみた」。
漱石は、1895(明治28)年4月、愛媛県立尋常中学校(後の松山中学校、現・松山東高校)に教諭として赴任し、1年後、熊本の第5高等学校の教授となります。『坊っちゃん』は、その当時の教員体験をもとにして書かれたもので、「住田」というのは道後温泉のことのようです。
漱石は甘いものが大好きで、胃弱に悩んでいたのに、甘いものをゲップが出るほど食べまくったそうです。ですから、道後の団子の評判を聞いて、何はさておいても食べてみたかったのかもしれません。もっとも、小説ですから、本当のところはどうだったのか知っているのは、漱石だけということになりますが、他の作品にも団子がよく出ます。
「坊っちゃん団子」は、三つの団子を串ざしにし、餡でくるんであります。これはもう、ほとんど餡を丸めたのか、というほどにも軟らかで、山葵色と玉子色、鶯色のまろやかな餡で包まれ、至福の甘さは、漱石に勧めたいほどです。
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