銘菓郷愁 - 南蛮貿易の香り「カスドース」 長崎県平戸
「カスドース」は、ちょうど一口で食べられそうな大きさのカステラを、砂糖の混じった卵黄の衣で、厚くたっぷりぬり固めたといった趣の菓子で、長崎、平戸ゆかりの逸品です。
平戸は、中世を通しての中心的貿易港で、ポルトガル船が初めてこの港に入ってきたのは、1550(元文19)年のことでした。
当時、平戸には王直という倭冠の頭目が住んでいて、武装した商船を指揮して、広く活躍していました。彼らは、アジアの海を我が庭のごとく走り回っていました。平戸へやってきたポルトガル船は、この王直の手引きでやって来たのではないかと言われれます。
それから十数年間、平戸は南蛮貿易港として栄え、ポルトガルの商人やキリスト教の神父たちが町に住みます。また、京都や堺など諸国の商人が、異国の品を求めて集まり、平戸は西の都と言われるほどのにぎわいを見せました。
西欧人が生活していたわけですから、当然ながら彼らの食文化もこの地に紹介されていきます。1560年当時のある神父の手紙には、平戸の町の人たちが牛肉や豚肉を食べ、ポルトガルと同じような食材もある、と書かれているそうです。カスドースもそんな背景の中で日本にもたらされた南蛮菓子の一つで、1502(文亀2)年に創業した「つたや総本家」の祖先が、ポルトガル人から製法を伝授されたということです。
カスドースという名は、ポルトガル語のCastella(カステラ)とDoce(ドース)という言葉が変化して出来たものだそうです。カステラはイベリア半島にあったカスティーリャ王国のことを指し、ドースは、甘いもの、菓子(キャンディー類)という意味がありますから、カステラ・ドースというのは、「カスティーリャ地方の菓子」ということになります。カステラも紹介された当時、カステラ・ボーロ(カスティーリャ地方のケーキ)と言っていたそうですから、カステラとカスドースは、親戚のようなもので、カスドースは「甘いカステラ」ということにでもなるのでしょうか。
カスドースの材料は、卵、上白糖、小麦粉、水飴、グラニュー糖となっていて、基本的にはカステラと似ていますが、口に含むとまず卵黄と砂糖の融合した独特の甘さに驚かされ、噛むとカステラの風味が湧いてきて、洋菓子の日本化の歴史を思わせる銘菓です。
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