桃太郎伝説が残る吉備国の総鎮守
以前のブログ(福山市民のソウルフード、大衆食堂「稲田屋」さんが閉店)で、私の大好きな漬け物・安芸紫にまつわる話について、「広島県でも、広島を中心とした西部は安芸国、福山を中心とした東部は備後国で、基本別物という噂は本当かも」と書きましたが、この備後国は、もともと吉備国から分割されたものです。
古代において、吉備国は、大和国を始めとした畿内や出雲国と並ぶ勢力を持っていたと言われます。範囲としては、現在の岡山県と広島県東部、それに香川県の島嶼部に兵庫県の西部まで及んでいました。それが、3カ国に分割されたのは、689年のことです。
これは、天武天皇が進めていた律令事業でしたが、686年に天皇が崩御したため、皇后の鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)と皇太子の草壁皇子が事業を継承。3年後の689年の飛鳥浄御原令の発布をもって、備前国、備中国、備後国に分割されました。
で、備後国は、先述した通り、福山など現在の広島県東部、備中国は岡山県西部、備前国は岡山県東部に香川県島嶼部と兵庫県西部の一部という形になりました。当然、いろいろと影響が出ましたが、その一つが、吉備国の総鎮守であった吉備津神社でした。
吉備津神社は、備前国と備中国の境にある吉備中山(175m)の北西麓にあったことから、備中国の一宮となり、分霊が備前と備後それぞれの一宮になりました。備前は、吉備中山の北東麓に吉備津彦神社を、備後は今の福山市新市に吉備津神社を造営しました。備前と備中を分ける吉備中山は、古来、山そのものがご神体とされていたため、吉備国分割後、備前国も吉備津彦神社を山麓に建てたのでしょうね。
ちなみに、1889(明治22)年の町村制施行に伴い、吉備津神社のある吉備中山の北西麓は賀陽郡真金村に、北東麓は津高郡一宮村になります。その後、真金は1960(昭和35)年に高松町に編入合併して高松町吉備津へ改称、一宮は55年に他の村との合併で一宮町となった後、いずれも71年に岡山市へ編入され、現在はどちらも岡山市北区となっています。そんなわけで、今では同じ岡山市北区、距離にして2kmも離れていない吉備中山の東西に、吉備津神社と吉備津彦神社があります。もとは同じですから、どちらも大吉備津彦命を主神としています。この大吉備津彦命は、桃太郎のモデルとされ、当時、人々を苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を退治したと伝わります。
吉備津神社には、鬼退治の矢を置いたと伝わる矢置岩や、鬼の首を埋めたと言われる御竈殿などがあります。御竈殿では、炊き上げる釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事」が行われます。首領である温羅の首が、埋めた後も13年にわたってうなり続けたという伝承をもとにしたもので、ご祈祷を受ける際に申し込めば個人でも体験出来るそうです。
国宝に指定されている吉備津神社の本殿は、吉備津造と言って、平入の2棟を結合した独特の屋根形式を採用しています。また、本殿から続く360mの美しい廻廊は、自然の地形をそのまま利用して一直線に造られており、一見の価値があります。
ところで、備中国は、廃藩置県により、藩領がそのまま県に置き換わりました。そのうちの一つ、庭瀬藩は、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの功によって、戸川達安が初代藩主となりました。その後、1699(元禄12)年に藩主が板倉氏になり明治維新を迎え、廃藩置県で庭瀬県となった後、第1次統合で深津県、第2次統合で岡山県に編入されました。また1889年の町村制施行で庭瀬村と撫川村が発足、後にそれぞれ町制を施行しますが、1937年に合併して吉備町となり、71年、高松町や一宮町と同様、岡山市に編入合併されました。その備中国の撫川に、藩政時代から続く伝統的なうちわがあります。武士の手内職として始まり、江戸後期には参勤交代の土産として江戸や中四国、九州などに広まったとされます。明治初めには十数軒の業者があったようですが、戦後にはほとんど廃れてしまいました。それを惜しんだ、吉備町撫川の坂野定香さんが、うちわの復元製作に取り組み、伝統を継承。その後を長男の次香さんが継ぎ、更に伝統技術の継承のため、公民館で月2回の実技講習会を開催。現在は、その講習会を受講された方たちにより、撫川うちわ保存会「三杉堂」が組織され、その技術が伝えられています。
一見、繊細で優雅な品格を備えたうちわに見えますが、手にとるとパリッとした感触で丈夫。実用的な健やかさを併せ持つうちわになっています。
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話ががらっと変わりますが、吉備津神社を取材した際、岡山のB級グルメに出会いました。「えびめし」です。
うわっ! 味濃そう。初めて見た時は、そう思ったのですが、その見た目のインパクトと違って、味は意外とまろやかで、香ばしい香りが口の中に広がりました。
基本的には、えびピラフなんですが、デミグラスソースとケチャップ、カラメルソースなどをベースにした「えびめしソース」を絡めて黒褐色に仕上げています。岡山B級グルメのもう一方の雄が「デミカツ丼」であることを考えると、岡山の人はかなりのデミグラスソース好きなのでしょう。
この「えびめし」、実は東京の「いんでぃら」というカレー店が元祖。そこで働いていた人が、のれん分けで岡山に店を出した時、カレーと共に「えびめし」もメニューに加えました。それが爆発的な人気を呼び、あっという間に岡山名物に。今では他店のメニューにもなり、スーパーの惣菜コーナーでは定番になっているそうです。
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