福山市民のソウルフード、大衆食堂「稲田屋」さんが閉店

たぶん、広島県の中で、一番多く行っている所は福山市だと思います。記憶にあるだけで8回、ここ2年に限っても福山で三つの取材をしています。また、福山の北にある三和町や豊松村(2004年の新設合併により現在はいずれも神石高原町)で取材をした際には、取材時間の都合で福山で前泊または後泊をしており、回数としては恐らく2桁を超えていると思います。

ちょっと話が逸れますが、子どもの頃、同じ東京の小金井市に住んでいた従姉妹(母の妹の娘)は、私より一つ年上で、一人っ子の私にとって、姉のような存在でした。その従姉妹が広島県庄原市の男性O君と結婚。彼と従姉妹は、安倍前首相と同い年、同じ大学の出身で、卒業後は東京と広島で遠距離恋愛を続けていました。彼は広島市内の会社に就職しましたが、数年後、実家の仕事を継ぐために庄原市へUターン。そのため従姉妹も、結婚を機に、庄原に住むことになりました。

稲田屋特製定食(880円)と関東煮(1本180円)
ある時、従姉妹から、庄原に行ってから知ったという漬物、広島菜漬と安芸紫が送られてきました。広島菜漬は、九州の高菜、信州の野沢菜と並ぶ日本三大漬菜と言われる広島菜の漬物で、安芸紫は、じっくり熟成させた広島菜をしそ風味に仕上げたものでした。で、この安芸紫が非常においしく、これさえあればご飯がいくらでも食べられちゃうという漬物でした。これ以降、広島出張の際には、必ず安芸紫を探すようになりました。

ところが、福山ではなかなかお目にかかれないのです。ある時など、安芸紫自体を知らない土産物店の人がいました。今でこそ、銀座に広島県のアンテナショップがあったり、ネットで安芸紫を購入出来たりしますが、当時は広島への出張時にしか入手出来なかったので、その反応の悪さに憤慨したものです。

広島菜は、1600年代前半、福島正則の参勤交代に従った人が、帰途に京都で手に入れ持ち帰った種子が元になっています。それが、明治時代に川内村で品種改良され、現在の広島菜が出来上がったと言われます。川内村(現在の広島市安佐南区川内地区)ではその後、広島菜が盛んに作られるようになり、広島を代表する特産となりました。

関東煮(1本180円)と純米酒(600円)の熱燗
となれば、広島菜から作る安芸紫も、知っていて当然でしょ! というのが、私の思考です。こうなると、同じ広島県でも、広島を中心とした西部は安芸国、福山を中心とした東部は備後国で、基本別物という噂は本当かも、とうがった見方をしてしまったりするわけです。

そんな福山に、江戸時代から続く伝統的な郷土料理「うずみ」があります。旬の野菜や肉などの上にごはんをのせ、出汁をかけた料理で、江戸時代にぜいたくが禁止され、具をご飯の下に埋(うず)めて食べたことが始まりと言われます。かつては同じ吉備国だった岡山に「備前ばら寿司」がありますが、これにも、ぜいたくを禁じられた町民が、豪華な具材をお重の底に入れ、人前ではご飯だけを食べ、人目がなくなったらひっくり返して食べたという言い伝えがあります。

福山のうずみは、昭和40年代頃までは一般家庭で普通に食べられていたものの、近年は食べる機会が減っているそうです。そこで最近では、伝統的な郷土料理をもっと広めようと、学校での調理実習や、うずみレシピ集の公開、「福山うずみごはんマップ」の策定など、さまざまな取り組みが行われるようになっているようです。

肉玉うどん(680円)
そんな伝統食とは別に、福山のソウルフードと呼ばれるものもあります。それが、昨日2020年9月23日に、創業から101年の歴史に終止符を打った大衆食堂「稲田屋」さんの看板メニュー「肉どんぶり」です。

稲田屋さんは、1919(大正8)年の創業とされています。現在の店主稲田正憲さん(66)は、そこから数えて5代目になるそうです。牛肉と豚肉を使った肉どんぶりは、そんな稲田屋さんを代表するメニュー。戦後から変わらない味で、これぞ福山市民のソウルフードと呼ぶ人もいます。また、昭和初期から出している、ホルモンを甘辛く煮込んだ「関東煮」も、多くの人に愛されてきました。

稲田屋さんの閉店は、長年の立ち仕事のため、ここ1年ほど膝の関節痛に悩まされてきた稲田社長の体調不良が理由だとか。それに、新型コロナウイルスの感染拡大によって、4月以降、客が半減状態になっていたことが追い打ちをかけることになりました。

「稲田屋閉店」のニュースが広まると、長年親しんだ味を求めて多くの人が訪れ、連日行列が出来ていたそうです。私は、インスタグラムでフォローしているハッシュタグ「#大衆食堂」で、閉店の話を知りましたが、その投稿者によると、前日は店に入る前に売り切れ、そのため翌日は11時の開店前の9時半に行ったものの、既に並んでいる人がいたと投稿していました。

新聞報道によると、「開店前に70人が列をなした」「開店から1時間20分で完売」などなど、いかに稲田屋さんが福山市民に親しまれていたかが、うかがえます。

もちろん私も、何度かお邪魔しました。一昨年9月には昼に行って、稲田屋特製定食と関東煮を食べました。また、昨年3月の時は、前日からの微熱でだるい中、一仕事終えてホテルに入ったところ、外に出るのが面倒になっていました。が、薬を飲むためにも食事へ。となるとやっぱ、稲田屋さん。外は寒かったので、関東煮で熱燗の後、肉玉うどんを注文。身体の芯から温まり、ホテルに戻って即就寝。おかげで翌日の取材は、快調にこなすことが出来ました。

ちなみに、閉店を聞き付け、味を引き継ぎたいと希望する人が複数いるらしく、そのうち1人には店名も譲るつもりだとか。稲田社長は「熱意のある人に伝統の味を引き継いでもらい、『この人』という人が現れれば、店を継いでもらいたい」と話しているそうです。

コメント

  1. 老舗と呼ばれる歴史ある店が次々と閉店しているようですね。もともとやめようかと考えていたところに新型コロナウイルスがトリガーになったケースが多いと思います。

    備後福山藩と安芸広島藩は、譜代と外様大名で歴史的にしっくりしてないと聞いたことがあります。いまでもその名残りがあるみたいですよ。

    私も福山には数回行きましたが、北の方ではなく南の鞆の浦でした。初めて食べたママカリの味が忘れられず、スーパーで見つけたら買いますが、あの時の味には巡り会えません。

    返信削除
    返信
    1. やっぱり、備後と安芸はイマイチなんですね。そう言えば、某奉仕団体のキャビネット事務局もそのために固定できないと、かつて聞いたことがあります。今はどうなっているか、分かりませんが・・・。

      同じようなことが、青森県の津軽と南部にもあるようですね。津軽の人と南部の人を知っているので、そのうちネタにしようかな。

      削除
    2. 世が世なら南部藩の藩主になっていたかもしれない方がうちのPCCでした。ご存じですか?

      削除
    3. 上皇陛下のご学友でしたっけ?

      削除
    4. そうです、そうです。残念ながらお亡くなりになったのです。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

悲しい歴史を秘めた南の島の麻織物 - 宮古上布

愛媛県南部の初盆行事 - 卯之町で出会った盆提灯

銘菓郷愁 - 米どころ偲ばせて「養生糖」 新潟県新発田

『旅先案内』都道府県別記事一覧

岩手の辺地校を舞台にした「すずらん給食」物語

上州名物空っ風と冬の風物詩・干し大根 - 笠懸町

越後に伝わるだるまの原型「三角だるま」

地域の復興に尽くすボランティアの母 - 八幡幸子さんの話

飛騨高山で味わう絶品B級グルメとスーパージビエ

日本最北端・風の街 - 稚内