「近江の北海道」と呼ばれる湖北の旅
湖北は、米原市と長浜市になりますが、米原市は別記事を立てるので、とりあえず長浜市を中心に書いていきます。以前は、坂田、東浅井、伊香の3郡に湖北町や高月町、木之本町、余呉町などがありましたが、2010年に長浜市がそれらを編入合併し、大津市と草津市に次ぐ県下第3の都市になりました。
琵琶湖が南北に長い分、湖南と湖北とでは気候や風土ががらりと変わり、湖北には北国の厳しさがあります。湖北は「近江の北海道」とも言われ、冬はどんよりした雪雲に覆われる日が多くなります。そんな北陸型の気候を、地元の人たちは「伊香しぐれ」と呼びます。高月、木之本、余呉の各町があった旧伊香郡の「伊香」というのは、古語で「雪」を意味する言葉だそうで、その名の通り、湖北の冬はよく雪が降ります。これは湿った日本海の風が伊吹山にぶつかって雪を降らせるためで、冬場、米原や関ケ原辺りで東海道新幹線に遅れを生じさせるのは、この「伊香しぐれ」が犯人です。
関ケ原と言えば、昨日のブログ(天下分け目の関ケ原を抱える西濃地方)でも触れたように、豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた「天下分け目の戦い」で知られますが、その秀吉が、織田信長の後継を柴田勝家と争ったのが、賤ケ岳の合戦です。賤ケ岳は旧余呉町にあり、山頂からは南に琵琶湖、北に余呉湖が望め、琵琶湖八景の一つに数えられています。
長浜市の中心は、滋賀県唯一の新幹線駅米原のすぐ北にあります。ここは、豊臣秀吉が初めて城を築いた地で、長浜城は出世城と呼ばれましたが、豊臣家滅亡後、廃城となりました。1983年、湖畔に天正様式の天守閣を持つ城が再建され、長浜城歴史博物館となっています。
長浜から湖岸を北へ向かうと、虎姫、湖北、高月、木之本と続きます。琵琶湖八景の一つ竹生島は、この辺りからの眺めがお勧めです。島には長浜港と木之本の飯浦港から船で渡れます。
旧湖北町には、野烏センターがあり、観察室のスコープや双眼鏡でバードウォッチングが楽しめます。湖岸には、コハクチョウや天然記念物のオオヒシクイなど1万羽を超す鳥が飛来します。天気の良い日は超望遠レンズをつけたカメラマンたちが、水鳥たちや美しい夕陽を撮っています。
高月町の向源寺には、国宝十一面観音立像があります。腰を少し左にひねった官能的なプロポーションや、大きく作られた頭上面とその配置などが特徴的な観音像で、日本彫刻史の最高傑作と言われています。
渡岸寺観音堂というお堂に安置されているため、一般的には「渡岸寺の十一面観音」と呼ばれていますが、この渡岸寺は地名です。湖北地方は「観音の里」とも呼ばれ、昔から集落それぞれで観音様を守っています。渡岸寺の十一面観音も、戦国時代には村人が土中に埋め、戦火を免れたと伝わります。
渡岸寺の十一面観音は、個人的にも好きな仏像なので、拝観に伺ったことがあります。秋だったので、向源寺の境内には曼珠沙華が咲いていました。で、この花、秋の彼岸の頃に咲くため、彼岸花という名が付いていますが、曼珠沙華という別名がどうして付いたのは定かではないようです。
曼珠沙華は、法華経の序章と言える序品の一節「是時天雨蔓陀羅華。摩訶蔓陀羅華。蔓殊沙華。摩訶蔓殊沙華。而散仏上及諸大衆」に由来すると言われます。「蔓陀羅華」は白蓮華、「蔓殊沙華」は紅蓮華のことで、釈尊が多くの菩薩のために経を説いた時、大小紅白の蓮の花が天から降り注いだという情景を表現したものです。となると、我々が曼珠沙華と呼んでいる彼岸花は、法華経の「蔓殊沙華」とは違う花ということになります。
それを解く鍵は、経典が音写で伝わったことにあるとする説が有力です。「蔓殊沙華」の古代サンスクリット語での発音「マンジュシャカ」は「赤い」という意味で、これに中国で「蔓殊沙華」の漢字が当てられ、更に日本に伝来する中で赤い花を彼岸花としたのではないかというものです。
と言っているうちに、また横道に逸れたので、元に戻りましょう。
次の木之本には、先に記した賎ケ岳古戦場があります。賎ケ岳の眼下に見えた余呉湖は、湖北最北の湖。別名「鏡湖」と呼ばれ、天女の羽衣伝説や龍神・菊石姫の伝説が残る神秘の湖です。伝説では天女が産んだ男の子が菅原道真公で、近くの菅山寺で勉学した後、京に上ったと伝えられます。湖岸には、天女が羽衣をかけたとい衣掛けの柳もあります。
北陸本線は、その余呉湖の北岸に沿って西ヘカーブし、西浅井町へと向かいます。西浅井には、琵琶湖で最も長い岬・葛籠尾崎が突き出ています。急斜面の山が湖面に迫る岬の山腹や尾根、湖岸をぬうように奥琵琶湖パークウェイが走り、奥琵琶湖の自然美が満喫出来ます。
月出峠から眠下を見ると、静かな入江に琵琶湖特有の漁法・魞が矢型を描き、遠くには伊吹山がのぞきます。山頂には竹生島や周囲の山並みを一望出来る展望広場もあります。ここからは永原駅方面へ向かい下りとなります。
下りきった所には、奥琵琶湖パークウェイ開通までは、交通も船に頼った陸の孤島・菅浦の集落があります。中世から漁業などの特権を守る自治組織を持っていた漁村で、門戸開放後は、隠れ里の歴史と共に、釣りや冬の鴨料理が人気となっています。
この後、北陸本線を北上すれば若狭へ、また湖西線に乗れば、更に琵琶湖周遊の旅を続けることが出来ます。
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